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SAND [Spit on authority] リリース記念 インタビュー Part.01

Interview Part.02 »

--そもそも激しい音楽を聴くようになったのはどこからですか?

Makoto 田舎だったので、友達の兄ちゃんなんかからBOOWYやブルーハーツとかを聴かせてもらって。小学校5、6年ですかね。全く意味わかってなくて。ブルーハーツの曲聴いたりして「あ、ヤベ、ヤベ」「これ、パンクっつうんだ」って言って。その子供の頃の流れから、それ以降も全く意味がわかってないまま、たまーに行ったレコード屋なんかでOi!パンクなんか買って聴いたり(笑)。レコードをジャケ買いして「何だろうこれは?」みたいなのがありましたね。その中で普通にマッドボール(注:1988年から活動するNYハードコアを代表するバンド)を買ったりもしてたんですけど、転機は大阪のStraight Savage Style(注:IMMORTALITY、atmosfear等のメンバーが在籍したハードコア・バンド)のライヴを観てからですね。そこでガラッと。「ハードコア・パンク」というイメージが俺の中では全く違ったんです。それまでは、(ドクター)マーチン履いて〜、とかだったんですが、オーバーサイズの真っ黒のパーカーに、黒バンダナで口も隠しちゃって、太めのパンツに、ボールチェーンでアディダス履いて〜みたいな。腕ブンブン振り回しながら、いわゆるモッシュですよね。それを初めて見て、「何だべ!?」とか思って。これ何なんだ?って誘ってくれたツレに聞いたら、いわゆるニューヨーク・ハードコア・のダンスのスタイルなんだ〜ってことで、何だこりゃ?!って(笑)。
ゾクゾク!って鳥肌もんですよね。ガキの頃、ちょっとバイクで正月に走ったからって地元のヤンキーの先輩に山に呼び出されて「車でひき殺してやる!」とかって言われた時のあのドキドキに近い感じ(笑)

--そこからニューヨーク・ハードコアにハマっていったんですね。

Makoto シック・オブ・イット・オールのレコードなんかも持ってたんですけど、やっぱり意味わかってなかったんですよね。それで日本人のライヴを観て。最初ケンカしてるのかと思って面白そうだからワーッて入っていったら、気づいたら自分も血まみれになってて。(笑)普通の人より多分ちょっとバカだったんで、何かスゲー楽しいな〜!と思ったんです。そっからですね、ドハマりしたのは。

--そこからすぐにバンドを組もうと思ったんですか?

Makoto すぐですね。「こんなんやるべ!」とか言って、現ギターのIshiちゃんに言って、「これ面白そうじゃねーか?」って。

--それがSAND?

Makoto そうですね。

--じゃあSANDを組んだ時にはもうそういうスタイルの音楽をやりたいっていうのは決まってたんですか?

Makoto そうですね。

--そこからの活動は?

Makoto 普通の小バコからですよね。関西のStraight Savage StyleやEDGE OF SPIRIT(注:1997年から神戸、大阪を拠点に海外でも活動を展開するハードコア・バンド)とかのみんなに「デモテープできたから聴いてほしい」って渡して、「いいじゃん、やろうや」って言ってくれて、そっからです。

--SANDは最初はマジだったんですか?

Makoto いや、当時は当の本人達はマジだったんですが、いま思えば所詮遊びレベルでしたね(笑)。

--でもそこからマジになっていったのは?

Makoto 適当なノリと勢いだけで「まぁ、オレ負けねえし」とか思ってたんすけど、全然やっぱり違うじゃないですか、いいバンドとやっていくと。腕っぷしがどうのとか全然通用しないことに気がつきまして(笑)。ライヴを重ねれば重ねるほど、「何だこれ?!」って、すげー悔しくなってくるじゃないですか。「クッソーー!!」とか思って。気づいたらハマってたんでしょうね、そういう部分で。対バンしても、自分たちは全然ワーッて盛り上がらなくて、やっぱ先に始めてた上手いバンドとか、名前が通ったバンドとかだとワーッて盛り上がって。「何が違うんだよ?!」みたいなところから、「クソッタレ」みたいな。

--負けたくなかったんですね。

Makoto そうですね。昔、負けすぎましたよね(笑)。所詮音楽のことも、バンドのことも、なーんにもわけわかってないんで。「暴力的だったらいいんだろ」とか思ってたんです。時が経てばわかるじゃないですか。通用しないな〜と思って。それで「練習するべ!」つって、一生懸命練習して。

--2003年には1stアルバム『24-7』を出してますが、その頃にはもうバンドとして固まってましたか?

Makoto まだ模索中ですね。結局、アルバム切った後にまたライブやってくと、それでもやっぱり負けが込む。(笑)もちろん音楽は勝ち負けじゃないんですけど、いろんなところに行き、パッとしないLIVEが続くと「どうにもならねえな」「スゲエむかつく」と自分では勝手に思ってて(笑)。そこからっすね。まあ当然いいLIVEもあるにはあったんですけど。

--そこがバネになったんですね。

Makoto そうですね。本当に、NUMB(注:1995年結成。東京のハードコア・シーンを代表するバンド)やCALUSARI(注:名古屋の伝説のハードコア・バンド)のみんなと一緒に回らしてもらってる時なんて自分的には地獄でした(笑)。やっぱ比較するので、しょっぱいライブしかできなかった日とかは、自分たちにムカつきすぎて、挨拶もせずに先に帰ったりとか(笑)。今思えば、その悔しいのが良かったんだと思います。帰りのバンの中で大ゲンカになって、高速で停めて、メンバー同士「てめえのせいだ」とかお互いわけわかんないこと言って(笑)。すぐ殴り合ったり。
このツアー自体が東京のNUMB、名古屋のCALUSARI、大阪のSANDで、3都市ガチンコっぽい感じで各地やっていこうよみたいな感じで誘っていただいて。どこも自分的にはボッコボコにやられて(笑)。「クソッタレ!」とか思って(笑)。「次のステージは絶対殺してやる」と思って(笑)。傍目ではバレないようにしてるつもりだったんですけど、一人でいつもむちゃくちゃブチ切れてましたね。「こんなんじゃ俺らは大阪の面汚しだ」と思っていました。
でもそんな中、先輩みーんなスゲエかわいがってくれてたんで、ありがたかったですよ。今思えば。ハードコアのみんなに育ててもらったと思います。

--もうその頃には、FREESTYLE OUTRO'(注:ハードコア、ヒップホップ、スケート、グラフィティ、ブロック・パーティ、FMX、祭のテキ屋など盛りだくさんの内容の夏のストリート・フェスティバル)も2002年から主催しているわけで、シーンを自分たちで作ろうという気持ちはあったんですか?

Makoto 名古屋にONI君(注:ブランド「SQUARE」代表)が主催するMURDER THEY FALL(注:1998~2010年に行われたハードコアとヒップホップの祭典)というイベントがあって、それに呼んでもらった時に「超面白え」と思って。

--ハードコアとヒップホップがミックスされてるところとか?

Makoto そうっす。こんなのがあるんだ?と思って。で、音楽と仕事は割と自分の中では別軸でやってて。ONI君もアパレルやってて、僕も大阪でアパレルやってて、何かしら別ジャンルでの顔見知りも増えるんですよ。「ONI君、こんなんやってるんすね。俺らも大阪でもやってみたいですね」つって、そこからでした。要はパクリですよね(笑)。

--ヒップホップも好きなんですか?

Makoto そうすね。お店に寄ってくれたりするんで。「今日ショーがあるから」とか言ってくれて、「じゃあ観に行くよ」みたいな感じで、普通にニュートラルな状態で僕はいろんなジャンルのライブを観に行ける機会がありました。

--大体は店をやってた繋がりで知ってたんですか?

Makoto それもありますし、街でちょろちょろしてると絶対にぶつかるじゃないですか。いい意味でも悪い意味でも(笑)。まあ仲良くなりますよね。もちろん最初から気が合う子もいるし。

--2002年に行われた最初のFREESTYLE OUTRO'ではどんなメンツが出演してたんですか?

Makoto 最初はヒップホップだとM.O.S.A.D.、AK-69などなど。ハードコアはNUMB、T.J. MAXX、CALUSARI、SANDなど。

--ベイサイドジェニーでやってたんですよね?

Makoto ええ、もう初期は地獄みたいな空間でした(笑)。最初は全く水と油なんで、もうスゴい回数のケンカとかありましたね。最初はわけわかんないすよね。モッシュがバッとぶつかったらヒップホップの子とかが「何だこのヤロウ」みたいになるじゃないですか。余計に言うと、どぎついメンツばかり集めてたんで。ハードコアもヒップホップも。もうあっちこっちで(笑)ワヤでしたね。

--ハコ的には大丈夫だったんですか?

Makoto いやあ、ハコのスタッフと仲良かったんで、わかってもらえてたから良かったんですけど、普通なら、完全にNGですよね。

--それで毎年重ねていくうちに大きくなっていって、会場を名村造船所跡地に移す頃にはかなり大きくなっていきましたよね。

Makoto 名村はスペースがあったんで、ばか騒ぎできる大人の遊園地みたいなのを作れないかな?と思ったんすよ。その時に、アメ村ってギューッといろんなものが凝縮されたような街なんで、スケーターもいればパンクスもいたり、グラフィティ・ライターもいたり、ラッパーもバンドマンもいっぱいいるじゃないですか。みんな入れちゃおーか、ってなったんですよね。DJもいるし、ダンサーもいるし。全部だ、って。で、異常に面白いものができたっていう。んで「お祭りだったらやっぱテキヤいねえとダメだろ」ってテキ屋も呼んで。

--FREESTYLE OUTRO'は2011年まで続いて一旦終わりましたよね。

Makoto 風営法とかゆうやつで。鬱陶しいですね。

--それで、去年からP.D.F SUMMER BASHというイベントを主催してるんですよね。

Makoto FREESTYLE OUTRO'は風営法のせいで一旦できなくなったんすけど、何か継続したかったんで、NUMBの(ヴォーカルの)SENTA君と毎年海外のアーティストを呼んでるので、それもちゃんと継続して、バンド・スタイルで1000人程度のハコで毎年やりたいと思って。それだけだと、ヒップホップが放ったらかしになるんで、じゃあそっちもやろうってことで、両軸でやっていければと。P.D.F SUMMER BASHはバンドの方で、PIT DOGG FILES - BLACK FLAVORっていうのをヒップホップでやっていってる感じです。一番最近ではSUMMER BASHをやった翌週にjouleでやりました。AK-69、"E"qual、RUFF NECKとかが出演して。で、またいいタイミングが来たらバチンとFREESTYLE OUTRO'復活させれればなと思ってるんですけど。そのためにも続けた方がいいと思ってます。

INTERVIEW BY Toshiya Ohno (FLJ)
Part.02に続く...

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