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 昨年9月15、16日に“約束の地”=東北で行われたHi-STANDARD主催による『AIR JAM 2012』。あの奇跡的にして希望の光に満ちた2日間のハイスタのステージが遂に映像化されることとなった。前回の『Live at AIR JAM 2011』リリース時には難波章浩と横山健の2人がハイスタ復活や『AIR JAM』、東北への想いを語ってくれたが(こちらもぜひご一読を→Hi-STANDARD Pizza of Death OFFICIAL INTERVIEW Part.1)、今回はドラムス・恒岡章も交えて念願のメンバー全員取材を敢行。11年ぶりの復活から『AIR JAM 2012』に連なる、この国の音楽史に燦然と輝くドラマについて話を聞いた(インタビューは3回にわたってお届けします)。何ひとつはぐらかすことなく、フランクかつ誠実に応えてくれた3人に(とりわけデリケートなトピックについても忌憚なく語ってくれたツネさんに)心からの敬意を。そしていち音楽ファンとして、引いては一人の日本人としてHi-STANDARDと同時代を生きていることを改めて誇りに思う。

インタビュー Part.02 »

--昨年9月の東北『AIR JAM』でのハイスタのステージが約一年の歳月を経て晴れてDVD化されます。改めて映像としてご覧になられて、どんな感慨がありました?

横山 あの、随所にお客さんのカットが入ってて。オレら、ステージ上からはそんな細かく見えなかったから、それがすごく印象的で。DVDを観てくれる人も、「あぁ、こんな雰囲気だったんだ」ってわかってくれると思う。

恒岡 そうですね。健くんが言ったみたいに、お客さんの表情がすごく良くて、ニヤニヤしながら観て(笑)。その表情が見られて、初めてホッとしたっていうのが正直なところです。自分たちが演奏している場面だと、ナンちゃんと健くんのやり取りで「こんなこと言ってたんだ」って思ったり。でも、僕はライヴの記憶って正直なくて。演奏するだけで、もう精一杯だったんで。

--難波さんは、どうですか?

難波 そうだね、僕たちのリアルな時間を収めたわけなんだけど、客観的に見てもすごい素晴らしい作品だなと思って。もう携わってくれた人がたくさんいて。カメラマンとか音響とか、みんながベストを尽くしてた仕事をしてくれて、あとオーディエンスのみんなも半端なかったし……うん、みんなの想いが詰まったスゲェいい作品だなと思いますね。

--確かに、みんなの想いの結晶のような映像ですよね。

難波 うん。あと、DVDを出すっていう前提でやってたわけじゃないんで。本当だったらマルチ入れてとか、予算組んでできたんだけど、それをやらないであの音になっちゃうって、やっぱハイスタってスゲェなって思って。エンジニアの及川さんの力もあるんだけど。

--開催前にはDVDにしようという計画はなかった?

横山 ハッキリとはなかった。もしいいライヴができたら出すのもアリだよね、くらいで。だから、ちゃんとしたプロダクションはしてなくて。それが、あの日から1年弱時間がかかってしまった理由でもあって。

--なるほど。昨年の『Live at AIR JAM 2011』の特設サイトでは、難波さんと横山さんのお2人に話を聞かせてもらったんですが、改めて『AIR JAM 2011』に対するツネさんの感慨というか、想いを聞かせてもらいますか?

恒岡 そうですね……元気を与えるというか、僕らが動くことでみんなが楽しんでくれて、元気になってくれたらいいなっていう、その一心でしたね。

--横浜『AIR JAM 2011』の時は、難波さんは2日前から寝られなかったくらい相当なプレッシャーがあったと思うんですけど。

恒岡 僕も熟睡できるような感じではなかっですね(笑)。やっぱり、ざわざわはしてました。

横山 やっぱり、ナンちゃんは総監督的な位置にいるし、『AIR JAM』をすごく背負ってるしね。オレなんか前の日は余裕で爆睡だけど。

一同 はっははははは。

横山 ツネはツネで、俺が言っていいことかわかんないけど、ここ数年、精神のバランスがちょっと悪くて。

恒岡 うん。それもあって、ざわざわした感じが。それこそ、ナンちゃんは監督的な役割だし、僕が感じているよりも、もっと責任みたいなものは感じてただろうし。僕はイッソンのバンド(2011年に出演した磯部正文BAND)でトップで出てて、それ以外の時間はダラッとしてたりもしたけど、ナンちゃんは楽屋とか、ずっとパトロールしてたし。

横山 パトロールしてたね(笑)。インカム付けて。

恒岡 そのプレッシャーたるや、計り知れないものだと思うから。2日間、寝られないのも当然というか。

難波 いや、でもみんなが支えてくれたんスよ。今回のリリースも健くんのPIZZA OF DEATHがしっかり責任持ってやってくれて、そこは俺はタッチしてないから。それぞれに役割があってね。

横山 そう。ナンちゃんはその役割があってんだと思う。ちゃんと朝から入って、「みんな、OK?」とかやってるの、性に合ってんじゃないかな。

難波 好きだけどね。

横山 で、オレなんかは、夕方とかものら〜っと来て、その辺りにあるジュースとか飲んで、「ワザー?(Wassup?)」って。

難波 健くんはそれでいいの。

--はははは。『AIR JAM 2011』はもともと難波さんが横浜スタジアムでフェスをやろうと思っていて、その流れで仕切ることになったんでしたっけ?

恒岡 いや、『AIR JAM』はもともとそういう感じで。

横山 そう。だから東北も(それぞれの役割は)変わらなくて。ナンちゃんが仕切って、ツネは自分のケアをして、オレはダラっとして。

難波 (笑)でも、当日までみんなでミーティング重ねて、一緒に考えてるんだけどね。

横山 ちょっと話が飛ぶけど、この間の「NO MORE FUCKIN' NUKES 2013」(2013年7月14日@渋谷AX)でもナンちゃんはインカム付けてね、司会もやって。どんな登壇者を呼ぼうかとか全部コーディネートして。そういうこの人の感じって、いいよね。

恒岡 うん。

難波 演者としてステージに立つ自分と、もうひとり自分がいるっていうか。裏方に徹したい自分もいるんですよ。その部分もしっかりできてるから、最近はすごく充実してますよ。

--それでも東北『AIR JAM』は、今までになかった規模のものだからいろいろと困難もあったと思うんですけど。特にどういったことに苦慮されました?

難波 チケットの券売は大変だったね。結構シビアな感じだった。

横山 そうね。「テイパーズ」っていう顔認証のシステムを採用して。ちゃんと顔写真を登録しないとチケットが買えないようにしたら、必要条項を満たしてない応募者がすごく多くて。でも、そのシステムを導入したのには理由があってね。

難波 2011年に(チケットの)転売がすごいあったんだよね。オークションとかで、ものすごい数と額になっちゃって。それはもう全然僕らの望むところじゃないから。

横山 アタマくるよね。ちょっと見逃せないレベルのものだったし。

難波 ショックっていうか、哀しかったのよ、本当に。それで次ばっかりは東北でやるし、東北の子たちが観たいってなった時に、何万円も出さなきゃいけないとしたら、そんなことあり得ないでしょ? だから絶対転売できない方法を考えようって、みんなで考えてトライして。初めてやることだから、いろいろうまくいってなかったところもあっただろうけど、みんなでその都度乗り越えて。で、結果、転売はゼロにできたんだよね。

--完全に撲滅できたんですね!

難波 そう。そういう意味でも、2012年の『AIR JAM』は意味のあるものになったなと思う。これからも転売、ダフ屋行為はダメっていうメッセージにもなったと思うし。

横山 少し混乱はしたけども、本当にグッドトライだったと思う。結果的に、あれだけの人が観に来てくれたしさ。

--その甲斐あってというか、参加者の意識がすごく高かったですよね。みんながハイスタの想いに共感して会場に集まっているようだったし。

横山 うん。お客さんも手間かけてチケット取ってくれたわけだからね。参加してくれたバンドとか関係者はもちろんオレたちの気持ちを汲んでくれてただろうけど、お客さんにまで浸透してたのかもね。

難波 それはホントそうかも。

--僕自身も東北『AIR JAM 2012』に行かせてもらったんですけど、あの2日間を思い出すだけで未だに元気が湧いてくるというか。本当に奇跡的なイベントだったと思うのですが、3人は当日のことを振り返ってみてどうですか?

横山 とにかく東北で『AIR JAM』をやるために、Hi-STANDARDは再び集まったんであって、それをやれてる実感がすごい嬉しくて。2日間とも、ものすごく楽しかった。演奏も2011年に比べて個人的にはよかったと思うし、これはリリースしてみんなに観てもらうのがいいんじゃなかなと思って。

難波 演奏とかヴォーカルとかには、個人的にいろいろあるんだけどね。克服しなきゃいけない部分とか、もちろんあって。でも、今のハイスタがリアルに出てるから、これはこれでいいんだと思う。だって、東北で『AIR JAM』できたんだもん。

Part.02に続く...
INTERVIEW BY 奥村明裕

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