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--既にPIZZA OF DEATHのサイトのKenさんのコラムで、出会いからレコーディングの秘話まで、いろいろと明かされていますが……。
ヤマケン: そうですね、だいぶ出ちゃってますからね(苦笑)。
--このタイミングでDRADNATSを知る人もいると思うので、さらに遡ったところから、3人の口で話してもらいたいと思います。まず、結成は2005年。そこから不動のメンバーですか。
ヤマケン: そうですね。DRADNATSは、メンバーが一回も変わったことがないので。元々、俺以外の二人が違うバンドをやっていたんですよ。俺も違うバンドをやっていて、ライヴハウスで対バンをしたりしていたんです。それで、お互いのバンドが解散して、DRADNATSになったっていう。ざっくり言うと。
--解散のタイミングが近かったとか?
ヤマケン: いや、この3人でやりたいから解散した、みたいな。
--そうなんですね!
ヤマケン: まあ、俺が誘ったんですけど……当時から(キクオは)めっちゃ声が良かったんで。俺もギターヴォーカルやってたんですけど、あんまヴォーカルやりたくなかったんで。
--そんな(笑)。
ヤマケン: そういうのもあるんですけど、それまでバンドを全然やったことがなかったんですよ。で、続けたら面白いなと思ってきて、だったら、やりたい奴とやりたいと。それで誘ったんです。
--二人のバンドは順調だったんですか?
キクオ: 僕らは続けていくノリで、誘われた時点では、その後のスケジュールも決めていました。プラス、ベースがいて、3ピースでやっていたんですよ。当時(高円寺)20000Vでヤマケンのバンドとかと対バンしていて、そうしたら一緒にやろうぜって言われて、いろいろ話して。確かトノの家で集まって話して、その時にお互いのバンドを解散させるっていうことが決まりましたね。あれ、ヤマケンのバンドは決まっていたライヴは……。
ヤマケン: 全部キャンセル。
--そこまでしたんですね! (↗)
ヤマケン: いや、俺以外のメンバーが、もうヤだって。解散するなら、もうここでするっていう感じでした。
--解散してまで結成したということは、当初からDRADNATSに対する思い入れがハンパじゃなかったんですね。
ヤマケン: いや、そうですね。だから続けてこれた感はかなりあります。
--でも、二人のバンドはベースだけ代わったわけですよね? 揉めなかったんですか?
キクオ: ベースの奴も非常にユニークで(笑)。僕とトノで、これはあいつに言わなきゃってことで、どっかのマクドナルドだよね?
トノ: 高円寺だね。
キクオ: 僕ら普段ミーディングとかしないのに、「ちょっと緊急ミーティングするから」って言って、そいつも何かおかしいなって思いながら来たと思うんですけど。それで3人で話して、「どっちが言い出す?」みたいな。それで言ったら、感づいていたっぽくて、結局は「頑張ってくれよ」みたいな感じでまとまって、それで終わったんですけど。でも、そいつもバンド続けてたもんね。
トノ: 今はわかんないけど。
キクオ: 僕らよりも先にロフトでライヴをやったりしていましたね。
--冷静に受け止めてくれたんですね。
トノ: まあ、凹んでましたけどね。「マジかあ……」って連呼していたし。
キクオ: 結果報告、みたいな感じでしたから。でも、受け止めてくれたんじゃないかなあ。
--ヤマケンさんは、二人のバンドを見てどう思っていたんですか?
ヤマケン: 初めて二人のバンドを見た時に、とにかくベースがいらねえなって思って。
--さっきから、その方が読んだら心配になるような内容になっていますが(苦笑)。
ヤマケン: いやいや、人間的にはいい奴なんですよ。でも、3ピースのメロディックってコーラスが肝になりますけど、そいつのコーラスが全然良くなかったんで。(キクオは)せっかくいい声を持っているのに、って。俺はどっちかっていうと、ヴォーカルよりもコーラスの方が得意なので、こいつの声に俺のコーラスを入れたら面白いな、っていうのが、DRADNATSを結成しようと思った最初のキッカケだったんですよ。
--仲が良くてっていうよりは、音楽的に惚れたんですね。
ヤマケン: そうそう。当時、ここ(トノ)と家がめっちゃ近くて。よく飲んだり、AIR JAMのビデオを見たりしていたんです。こっちは、ドラムが好きっていうよりまず人間性から入ってますね。こっち(キクオ)は歌から入ってます。だから最初、あんま仲良くなかったですね。お互い構えてて。誘ってはみたものの、くんづけで呼んでたし、敬語で話されていたし。 (↗)
キクオ: そうだね。
--それが幾つくらいの時?
ヤマケン: 9年くらい前なので……俺が24歳とかですかね。
--そのくらいの年齢って、バンドを続けるか辞めるかの岐路に立つ人も多いと思うんですけど。
ヤマケン: どうなんですかね? 俺自身が、バンドをはじめたのが凄く遅くて。23歳の後半くらいから、前のバンドをはじめたんです。半年くらいで解散しましたけど。それまでは大学辞めて、フリーターやって、みたいな感じだったんで。
--なんでその時期に、趣味とかで留まらない、ライヴハウスに出るくらいのバンドをやろうと思い立ったんでしょう。
ヤマケン: うーん、モテたかったっていうのがなかったと言ったら嘘になりますけど(笑)、単純に、これといって何かをやってきたことがなかったんです。部活くらいしか。何かやりてえな、自分発信でって思った時に、ハイスタめちゃくちゃ好きだったし、ライヴハウスは行っていたんで、バンドやってみよう、と。あんま年齢のこととか考えなかったです。
--楽器は?
ヤマケン: 楽器は、中学の頃にギターとか流行るじゃないですか。その程度ですね。友達の家に集まって、兄貴がいる奴がいて、兄貴がギターを持っていて、それを回しながら、XとかGLAYを弾く、みたいな。
--放課後の遊び道具だったっていう。
ヤマケン: そう。文化祭にもちょろっと出たりもしましたけどね、一回だけ。
--二人は? バンドを生活の中心に置いていきたい、みたいなことは前々から考えていたんですか?
トノ: いやあ、それはなくて。元々キクオを紹介されたのも、大学の友達で。ドラムは地元で触っていたくらいだったんですけど、たまたま軽音楽部に入ったら、俺がドラム叩いてるのをそいつが見て、どうしても紹介したい奴がいるんだけど、って。でも俺、正直ドラムに打ち込んでなかったんですよ。でも、キクオと会った時に、メロディックパンクが好きだって言っていて。それで、気も合いそうだし、またドラムはじめようかなってなったんです。でも、その時期にバイク事故にあって、もうドラム叩けねえやって思ったんですけど、キクオが「辞めないよね?」って言ってきて、「ああ。頑張ろうよ」、みたいな感じで、バンドになっていったんです。
--もしその時、キクオさんに言われていなかったら……。
トノ: まあ、キクオに熱がなかったらやっていないですよね。
キクオ: 僕は、元々地元の友達とバンドをやっていたんですよ。でも、ドラムの奴がジャズでやっていきたいってなって抜けて。それで、大学の友達にトノを紹介してもらって、これでやれる!って思ったら、トノが入院して、そのタイミングでベースが家業の葬儀屋を継ぐって言って辞めることになって、うわあやりたいのになあって……たぶん、メンバーがどんどん抜けていったことで、余計にバンドがやりたくなったっていうか。それで、トノが退院するまでにベースがいなかったら、このバンドは終わるなって思ったので、ネットで探して。そうしたらユニークな奴が現れたんです。
トノ: さっきの、マクドナルド事件の(笑)。
キクオ: 彼が入ってくれたから、トノが帰ってきた時にバンドをやれる環境が作れたんですよね。
--バンドを結成して、その先の目標があったというよりは、とにかくバンドがやりたかった?
キクオ: そうですね。僕、中三くらいからライヴは見に行っていたんです。HAWAIIAN6がブッキングで出ていた頃から。学校の友達に好きな奴が多くて、ライヴハウスに制服で行っていたんですよね。だから、自然とバンドをやってみたい!っていうのに結び付いたんだと思います。モテたいっていうのもあると思うんですけど、それ以前に、バンドをやっている自分がカッコいいと思っていたのかな。
--その思いは、ある程度の年齢になってもブレなかった?
キクオ: はい。僕、大学を中退しているんですけど、親にバンドをやっていきたいって言ったし、そういうのもあって、出来る限り続けていきたい気持ちは強かったと思います。
--ヴォーカリストとして、歌が好きとか、自分の声が魅力的だとは思ったことはなかったんですか?
キクオ: いや、全然ないです。DRADNATSの前のバンドの時は、自分の声が良いなんて思ってもいなかったし、バンドやりたい! ギターヴォーカルカッコいい!ってそれだけです。DRADNATSも最初は、どっちがメインヴォーカルやるかっていうのも定かじゃなかったと思います。ヤマケンがメインを張る時もあったし。 (↗)
ヤマケン: 曲調によって、自分の声の方が合ったりしたので。でも途中で言われたんです。どっちがメインか決めましょうって。それで、どうぞどうぞって。曲の作り方も、こいつの声に合わせるようになりましたね。
--それが、今の音楽性の土台になったというか。
ヤマケン: そうかもしれないですね。
--バンド名もずっと、DRADNATS?
ヤマケン: 変わっていないです。
--この名前にした時点で、3人の目指しているところが一致していたんだなって想像出来ますけど。
ヤマケン: まあ、好きでしたからね、目標というより。そのバンドがいなかったら、このバンドをやっていないので。
--でも、大胆ですよね!
ヤマケン: いや、当時は(ハイスタは)やっていなかったので、そんなに気にしてなかったです。いいじゃん、ぐらいで。
--ひっくり返すっていうアイディアは?
ヤマケン: ほんとはカッコよく言いたいんですけど……実は、(キクオが)俺らが当時使っていたスタジオの店員だったんですよ。そこの店長が付けてくれました(笑)。
--ナイスアイディアですよね!
キクオ: 何か、迷いなく言われましたよ。「逆にすりゃいいじゃん」って。逆っすか!?って思いましたけど。読み方も、ドラッドナッツって読むようにすればいいんじゃない?って。
--普段から、そういうアドバイスをバンドマンにしてあげてたのかな?
キクオ: いやあ、物静かな、キーボード好きな店長だったんで、そんなんじゃないと思うんですけど(笑)。
--でも、ハイスタは止まっていたとはいえ、ハイスタチルドレンなんて言葉もあったくらい、モロ影響下にいるなって思えるバンドはたくさんいた時期じゃないですか。そういう中で、こういったバンド名にしたことで、何か思うところはなかったんですか?
ヤマケン: そんなに意識がなかったのと、STANDARDを逆にしてハイスタ大好きです!って言っているわりには、曲はハイスタっぽくなかったので。そこが他のバックトゥザ90年代って言っていた子たちとは、ちょっと違うのかな。ハイスタが好きでバンドをはじめて、ハイスタみたいになりたいって掲げているんじゃなく、ハイスタみたいなことをやりたかったんですよ。AIR JAMに出たいんじゃなくって、AIR JAMみたいなことをやりたいっていう。そういう奴らに対して突っ張ってた時期もあったので。同じライヴハウスに出て、つるんでるのがダサいと思っていたし。その温度差はあったかもしれないですね。
--敢えて、まんまハイスタのような曲を作らないようにしようとしていたんですか?
ヤマケン: いや、そういう曲が作れなかったんですよ。声も合わないんですよね。自分のヴォーカルだったら作れたかもしれないんですけど、キクオは綺麗な声をしているんで、そうなってくると、もっと綺麗なメロディの方がのりやすいのかなって。
--突っ張ってた時期っていうのが……ヤマケンさんらしいですね。
ヤマケン: ありましたねえ。同世代に突っ張ってた時期、先輩に突っ張ってた時期、いろいろ俺はあります。昔っからそうでした、中学生くらいから。
--DRADNATSと同世代のメロディックパンクのバンドからも、00年代中盤から後半に掛けて盛り上がりを感じたことがあったんですけど、今は解散したり淘汰されてきているじゃないですか。そういう現状に対しては、どういう思いがありますか?
ヤマケン: 当時はあんまり実感がなくって。そんな際立ってセールスがあったわけでもないし、単純に何百人を集められるレベルで、単体で何千人のレベルのバンドは出ていないので。でも、今となってみれば、盛り上がっていたのかなって思うし、結構みんな辞めちゃったんで、寂しいですよね。続ける続けないは本人たちが決めればいいですけど、気付いたら辞めてんなあって。俺らにとってはライバルが減っていいですけど、仲いい悪いは関係なく、ライヴハウスを盛り上げようとしていた奴らが、いろんな理由で辞めていったのは、寂しいですね。 (↗)
--DRADNATSがここまで続いているのは、やはり結成した時の意識が高かったからですかね。
ヤマケン: それは結果論で、みんなそう思ってはじめたと思うんです。俺らはたまたまこのバンドのために集まりましたけど、幼馴染でやっている奴らとかも、どっかのタイミングで、 バンドで食っていきたいとか、こいつらとずっとやっていきたいとか思うだろうし。俺らが辞めなかったのは、その気持ちを、ありきたりですけど持ち続けていただけで。それが一番難しいと思うんですけど。年は勝手にとるし、生活環境も変わるんで。その違いだけですね。
--みんなが持ち続けられた理由って、何だと思います?
ヤマケン: 多分……他のバンドよりも、ずば抜けてバカですね。
二人:はははははは!
--そんな理由!?(笑)。
ヤマケン: 生きていると、いろいろ情報が入ってきて、いろいろ考えるじゃないですか。ハードコアのバンドを見ていると、土日しかライヴをやっていなくて、普段は家族のために働いていて、週末に自分たちのやりたいことをやりたいようにやるだけでいいんです!って言い切っている人って多いじゃないですか。それを見ていて、本当にカッコいいなって。でも、俺らみたいなジャンルってハイスタがいるんで、ちょっと夢があるんですよ。音楽でご飯を食べるとか、何万人を集めるとか。俺らは、それを未だにガチで信じてます。CDが売れないって言われている時代でも。
--それ、いい話!
ヤマケン: ほんとは、どう考えても趣味でやっているだけの方が楽しいですもん。二人は東京出身ですけど、こいつ(トノ)は九州出身で、わざわざ地元から出てきて、30歳にもなって、バカじゃないと続けていないです!
トノ: そうっすね(笑)。
ヤマケン: DRADNATSで家族を養っているとかでもないし、DRADNATS以外に東京にいる理由がないですからね。でも俺は、もしかしたら、来年から、このメロディックシーンが、ハイスタの時みたいになるんじゃないかなって、毎年毎年思ってます。
--でも、今こうしてPIZZA OF DEATHからKenさんのプロデュースでリリースできるんですから、信じてやり続けるって大切なことじゃないですか。
ヤマケン: 全然目標には到達していないんですけど、続けていればそれなりにあるんだろうなあって思いますよね。
--これは、若い世代にも聞かせたい話だなあ。
ヤマケン: でも、現段階で俺が言っても、まだ説得力がないので、今の言葉に説得力を付けられるように頑張んなきゃなって思っています、今は。
Interview by 高橋美穂
Vol.2.へ続く
--Kenさんのプロデュースはどうでした? コラムを読んでいると、スパルタだったのかな、と思いましたけど……。
ヤマケン: いや、言われていることとかを文字にしたらすっごくスパルタに見えますけど、Kenさんの言い方はとてつもなく上手いので、嫌な感じは一切しませんでしたよ。俺なんかが言ったら速攻でバンドが辞めちゃうと思うんですけど、説得力が違うんで。
--新曲も、かなりの数を作ったそうですね。
ヤマケン: それは当たり前だと思っていました。
--それくらいやるのは、Kenさんにプロデュースしてもらうなら当たり前だと。
ヤマケン: そうですね。日本のトップじゃないですか。そういう覚悟はハンパじゃなかったですね。
--とにかく食らいついていったと。
ヤマケン: そうですね。制作に一年半くらい掛けたんですけど……。
--長いですね!
ヤマケン: 生まれてから初めてくらい、物事を真面目にやりましたね。
--ずっと我武者羅にやってきたって言っていましたけど、時間を掛けて練り上げる作業っていうのも、初めてだったんじゃないですか?
ヤマケン: やってはいたんですけど、それよりもさらにやりだしました。
--でも、なかなかレコーディングという本題に辿り着かないなあ、とは思いませんでした?
ヤマケン: まあ、モチベーションを保つのは大変でしたね。レコーディングの日が決まれば、そこに向かってやるだけじゃないですか。でも、なかなか決まらなかったんで。いつやるんだろうっていう。Kenさんも忙しいので。
--見えない日に向かって曲を作るって、不安に駆られそうな気もするけれど。
ヤマケン: うーん、そうですね……。
トノ: ヤマケンの、曲を持ってくるスピードは早かったですね。
ヤマケン: 干されると思っていたので(苦笑)。日本のトップを引っ張り出して来て、中途半端なことをやったら、もう二度とバンドなんて出来ねえぞと。
--確かにねえ。曲作りって普段から早いんですか?
ヤマケン: いや、遅いです。
--しかも量産だけじゃなく、あのKenさんを納得させるキラーチューンを生み出さなきゃいけないわけで……修行ですね。
ヤマケン: ……そうっすね。狂ってましたね。
--没になった曲は、どれくらいあるんですか?
ヤマケン: ああ、いっぱいありますよ。それでアルバムが作れるくらい。ボツベストみたいな(笑)。 (↗)
--でもKenさんは、DRADNATSを信じてたからこそ、もっと良いものが出来るはず、もっと良いものが出来るはずって作らせ続けたと思うんですよね。何か言われた言葉で印象的だったものって、ありますか?
ヤマケン: んー……俺が一番印象に残ってるのは、アコギの曲(『My Very First Love』)が入ってるんですけど、今までの俺らだったら、多分作らなかったんですよ。スタジオが終わった時に、「Mr.BIGの『TO BE WITH YOU』みたいな曲を書いてきて」って言われたんです。まじか!?って。だいぶ名曲じゃないですか。
--そ、そんなやり取りが!
ヤマケン: 世界中のどれだけの人があの曲を知ってるんだよって思いながら、わかりました!って。やってみたら通ったので、良かったなって。
--アコースティックの曲がなかったのって、やりたくなかったんですか? それとも発想がなかったんですか?
ヤマケン: 発想がなかったですね。
--この曲に限らず、自分たちで気付かなかった魅力を引き出してもらうようなプロデュースだったんでしょうね。
ヤマケン: それはあります。
--ダメ出しは細かく言われたんですか?
ヤマケン: ダメっていう言われ方はなかったですね。「この曲微妙」みたいな。「Aメロはいいけど、それに対してこのサビは、必要性がわからない」とか、そういう言い方はありましたけどね。
--その意見を参考に曲作りをしたりしたんですか?
ヤマケン: それはなかったですね。一回考えると止まると思ったんで、ひたすら作っていました。数打ちゃ当たるじゃないですけど。俺が煮詰まっちゃったら、バンドで出来ないじゃないですか。
--なるほどね。あとはミーティングにもKenさんが参加していたそうで。アルバムの話だけではなく、バンドのスタンスについても話したりしていたんですか?
ヤマケン: 寧ろ主にスタンスについてですかね。夢ある話を。
--朝までとことん話していたこともあったようで。
ヤマケン: そうですね。俺らが付きあったこともありますけど(笑)。
--言いますね~(笑)。あと、それぞれに対する細かいアドバイスもあったようですね。コラムにはドラムのやり取りが記されていましたけど。
トノ: やっぱドラマーだからこうでしょっていう考えをひっくり返されたっていうか。鳴るもんだから思いっきりやろうよっていう意識は俺の中になかったので。8ビートを16ビートにしてみてとか、直感でKenさんは言ってくれるので。そういうふうに細かいところまで見てもらいましたね。
--それなりにバンドも歴史を重ねてきて、ドラマーはこうあるべき、メロディックパンクはこうあるべき、っていう固定概念もあったんじゃないですか?
トノ: そうですね。やってきたことで慣れちゃってる感覚もあるので、そうじゃないところを引き出されたっていう。これでいいんだ!って思ったことがたくさんありました。カッコよければいいんだって。
--それで、楽になったところもあるんじゃないですか?
トノ: そうですね。正直楽になりました。追い詰められる、っていうよりも。思いっきり出来ましたね。そこも人間性を見られてるんだなって、パッション的なところというか。
--トップに立っている人から、技術的なことや哲学的なことだけじゃなく、パッション的なアドバイスを受けるって、何だか大切なことに気付かされる気がしますね。歌詞に関しても、いろいろとアドバイスを受けたんじゃないですか?。
キクオ: そうですね。
ヤマケン: 歌詞は大変だったね。。
キクオ: 正直、今のメロディックで在り来たりな歌詞……前向きなことをひたすら並べるとか、そういう方向に寄り気味だったので。それをKenさんに投げたら、「ほんとにそう思ってんの?」って。僕たちの目線でみんな絶対出来るよ!って言われても、Kenさんみたいに立ち位置がある人から言われれば説得力があるけど、僕らが言ったところで微妙なところもあるんじゃない? ほんとに思ってることを書けばって言われてから、全部書き直したんです。それで、僕、根暗というか……よく明るいって言われるんですけど、グロいところもあるんだなっていうのは、歌詞を書いているうちに直面して。
--歌詞を書いていて、自分の隠された面に気付いたというか。。
キクオ: そうです。結構性格悪いなって。一曲、凄く暗くなっちゃったんですけど、でも、それをKenさんに見せたら、これでいいんじゃない?って。
--それってどの曲ですか?。
キクオ: 『Sign』です。ヤマケンから暗過ぎるって言われて、書き直したものも送ったんですけど、Kenさんからは「暗い方がいいんじゃない? その方が説得力があるから」って。それからは、ムカついてることとかも全部書いちゃえ!って。でも、そうやって書いてみてほんと良かったなって。Kenさんも、歌詞を深夜に書いていて興奮して汗かきながら書くこととかあるみたいなんですけど、そのニュアンスが僕もわかったし。書き直すことになって、期間も短くなったんですけど、等身大の自分に出会ってからは、書くスピードも上がりましたね。
--歌詞も、どっか縛られてたんですかね?。
キクオ: なんか、どうでもいい物差しが僕の中にあったんだと思います。明るい曲だから、こういう歌詞を書かなきゃダメだとか、メロディが切ないから切ない歌詞とか。それが壊せなかったんだろうなって。それをKenさんに指摘されて、壊せたんですよね。
--これまでは、その物差しが正しいと思って書いていたわけでしょう?。 (↗)
キクオ: そうですね。手を抜いて書いているわけでもなかったし、在り来たりな歌詞も好きなんですよ。ただ、やっぱ英語で書いている以上、もっと捻って書いていい立ち位置にいるっていうのも気付いたんで、だったらどんどん自分の捻くれているところを出そうって。それが楽しくなって、新しいスタイルが出来ましたね。
--歌詞を書く人に話を聞くと、どんなに暗い歌詞でも最後だけは明るく着地したいって言う場合が多いんですけど、キクオさんの場合《こんなにも嫌いな奴もお前くらいだよ》(『Day After Day』和訳)で締め括られるっていう(笑)。。
キクオ: あははは!そうですね。
--でも、それがいいと思うんです。さっき言っていた『Sign』の歌詞が一番響きましたもん。。
キクオ: ああー。DRADNATSの歌詞に前向きさを求めている人もいるかもしれないですけど、それって逆に残酷だなって。
--確かにね。。
キクオ: 映画やドラマやいろんな媒体があるんで、明るい言葉はそこで噛み締めてもらって、僕の歌詞は現実的でいいのかなって。あんま嘘をつかないようにしようと。ここまで書いていいのかな?っていう戸惑いもあったんですけど、書き切ったっていう感じですね。
--コラムに載っていた写真も裸だけど、心も体も真っ裸にされちゃった感じですね(笑)。。
キクオ: そうですね!(笑)。
--制作は修業だったとしても、写真を見る限り、レコーディングは和やかだったんじゃないですか?
ヤマケン: 楽しかったですよ。
--やっとレコーディングに入れる!っていう喜びもあっただろうし。
ヤマケン: そうですね。日程が決まった時は、良し!っていう。そこに向けて、やれることを全部やろうと。
--1年半も準備期間なかなかな長いし、DRADNATSとKenさんとピザの三つ巴の気合いを感じますよね。実際に聴いても大傑作で。
ヤマケン: Kenさんのプロデュースが入ることによって、今まで以上のモノが出来たんで、現段階の自分のキャパを越えている作品なんですよ。あんま自分たちが作った感覚もないんですよね。
--いやいやいや、正真正銘のDRADNATSの作品ですよ!
ヤマケン: そうなんですけど……普段、自分の作品って聴かないんですけど、今回はよく聴いてますね。よくこんなの作ったなあっていうよりは、良いアルバムだなあって。
--手放しで傑作だと。
トノ: 言えますね。
--自分たちの作品云々置いておいても、メロディックパンクの傑作というか。
ヤマケン: そうですね。
--1曲目の『Bright Star』は、語りからはじまるし、決して勢いだけの曲じゃないですよね。これで幕を開けるところにも本気度を感じました。
ヤマケン: 実は、曲順には殆どメンバーは関わっていないんです。
--そうなんですね!
ヤマケン: その曲だけ、元々あったんです、唯一。4年くらい前に作ったんですけど。語りは、MEANINGのHAYATOがやってくれたんですけど。
キクオ: メンバーでも曲順は考えていたんですけど、これを誰も一曲目にはしなかったんですよね。
--そうなんだ。メンバーじゃない声ではじまるけど、だからこそ掴まれますよ。じゃあ、曲順はKenさんやピザの意見で?
ヤマケン: そうですね。曲作りの段階で、アルバムの中でこういう流れでって考えている人もいると思うんですけど、今回はひたすら作ったので。そもそも曲順に拘りが俺はなかったんです。録ってみたら浮かぶかな?とも思ったんですけど、それもなかったので、唯一最後の曲(『This Song Is For You And For Me』)くらいでしたね、ここがいいって思ったのは。
--え、じゃあインタールード的なインスト『#Summer Days』の成り立ちは?
ヤマケン: それは、「インストを作ってきて」って言われて。作ったこともないし、飛び抜けて楽器が上手いわけじゃないので、どうしよう……と思って。カントリー調にしようと思ったんですけど、ギターが難し過ぎて弾けなくて。じゃあウクレレにしちゃおうかなって、ちょっと夏っぽくなったんです。これが、出来る精いっぱいのインストです!
--なるほど(笑)。
ヤマケン: そうですね。インストがあれば流れが見えた、みたいにKenさんに言われて。三部構成ぐらいを描いていたっぽくて。確か、これが最後に作った曲じゃなかったかな。
--アコギもインストも、やったことないことをガンガン振られたんですね!
ヤマケン: そうですね(笑)。
--でも、2曲目『Footsteps』の、この思いがあったからこそここまで来たっていうような歌詞は、アルバムの頭の方にくるに相応しいと思いましたよ。
キクオ: 確かに。歌詞に込めた思いは、やってこれたことと、未来に向かって頑張るよっていうものなんですけど、最後に、未だ足跡は残せていないとは書きたかったんです。ハイスタだったら、足跡を作っていったって歌えるところに対して、俺らはほんとこれからなんで、こういう歌詞で終わらせたかったんです。
--なるほどね。《鋲ジャン、鋲ベルトは着ないが心の中で装着済みだ》も、いいフレーズですよね!
キクオ: これは、Kenさんとスタジオで、パンクって何だ?って話になって。
ヤマケン: あったねえー!
キクオ: それってKenさんの発言で。外見をイカツイ感じにはしないけど、誰よりもパンクな自信はあるし、心の中にはしっかり持ってるよ、外見では関係ない、要はどう考えて動いているかがパンクだよって言っていて、その言葉が俺は頭から離れなくて。パンクの定義なんて壮大じゃないですか。いろんな価値観があって。そこで、俺の中では、カッコいいって120%思って行動したり発言することが、その人にとってのパンクになるって思ったので、その台詞を自分らしく解釈して入れたかったんです。
--また、良い話ですね。
キクオ: Kenさんから吸収したことは、歌詞の中には入っていますね。意識したわけじゃないですけど。
--そして、4曲目の『Good Morning And Good Night』はリードチューンですけど、温かいメロディや疾走感、さらにシンプルで刺さる言葉にDRADNATSらしさが出ているし、メロディックパンクの輝きも詰まっているなって思いました。これは、出来た時に手応えあったんじゃないですか?
ヤマケン: ありました(即答)。この曲は絶対に通ると思いました。
--ソングライターとして、ヤマケンさんが何かを突破した瞬間だったのかもしれないですね。
ヤマケン: そうかもしれないですね。これが出来たのは、制作の後半だったと思うので。ここまで、ずば抜けてると思える曲が自分の中でなかったので、ちょっと楽になりましたね。
--不意に出来たんですか?
ヤマケン: はい。全部不意にですね。
--走りながら作っていても不意にこういうダイヤモンドが出てくるっていうのは、発見だったんじゃないですか?
ヤマケン: はい。録りが終わった日も、Kenさんに、お前またすぐに曲を書けって言われましたね。全部絞り出しているから、そこからさらに絞り出せば、また凄いのが出来るかもしれないからって。俺、その言葉を聞いて思ったのは、自分で可能性を潰すなっていう。やり切ったで終わりじゃなくって、そっからさらに絞り出せば、作ったものを踏まえて新しいものが出てくるから。
--それって、曲作りに限らず、何に対してでも当て嵌められる言葉ですね!
ヤマケン: だと思いますね。自分たちが限界だと思っていた時に扉を開いてくれたのは、誰でもなくKenさんなんで。次は自分自身で開けられるキッカケをくれたと思います。 (↗)
--あと、さっき話題にも出てきた『Sign』って、歌詞だけじゃなく、歌も良いなって思って。この曲に限らずですけど、ヴォーカリストとしては今作に対して、どう向き合いました?
キクオ: レコーディング中にKenさんに、今まで声を伸ばしていたところも、リズムに合わせて切るとか、そういうテンション的なところをアドバイスしてもらって。僕としても、やりながら新しい歌い方に出会えた気がします。ここで伸ばさなかっただけで、こういう表情になるんだとか、引き出しが増えていって。今まで、比較的綺麗に綺麗に歌おうとしていたんですけど、若干声がドライヴしてもありだなって気付かされたのは『Sign』だったかな。狙いながら歌ったっていうよりは、ひたすら歌っているうちに気付いたっていう。
--また『Like Flower』のテンポチェンジを聴いていて思ったのは、DRADNATSって、こういう展開をナチュラルにやりますよね。そこも、いいなって、
ヤマケン: いやいや、引き出しがないだけだと思いますよ(笑)。
--(笑)。そして、最後にすると決めていた『This Song Is For You And For Me』。
ヤマケン: 遅いテンポから早くなるんですけど、ミックスが終わって聴いた時に、イントロから、この1年半のエンドロールが俺の中に出てきたんですよね。これはもう最後だな、って思って。
--歌詞も最後っぽいですよね。
キクオ: 結果そうですよね(笑)。
--この歌詞は前向きじゃないですか。さっき、歌詞が暗いって言っていましたけど、ここに至るまでに暗さや怒りがあるから、この前向きさの説得力が出るんだと思いますよ。
キクオ: ほんとそう思います。バランスを考えながら書いていたわけじゃないんですけど、流石に暗い歌詞ばっか書き続けていて、暗過ぎるなって思いつつ、でもあからさまに明るい歌詞は書きたくなかったので、そう思ってもらえるといいですね。
--最後にアルバムのタイトル『MY MIND IS MADE UP』は、腹を括った、っていう実に素直な意味合いで。
ヤマケン: タイトルもなかなか決まらなかったんですけど、Kenさんに、「結局お前らこのアルバムをどういう気持ちで作って、このアルバムでどうしたいの?」って言われて、ほんとに俺たちはPIZZA OF DEATHでKenさんのプロデュースってなった時に、命を掛けようって思ったので、それをそのまま。英語の語呂的にもしっくりきたし。
--確かに、リズム感がある言葉ですよね。あとはリスナーの反応が楽しみですね!
ヤマケン: 若い子の反応が凄く楽しみですね。同じ世代の人は、そうそう!って思ってくれそうな気がするんですけど、ハイスタやKenさんを知らない高校生とかが聴いたらどう思うのか、興味があります。
--これをキッカケに、シーンに風穴を開けたいとか、AIR JAMのように世代を確立していきたいとか、そういった目標は明確になってきていますか?
ヤマケン: ありますね。やっぱり、Kenさんにも言ったんですけど、メロディックパンク=DRADNATSにしなきゃいけないと思っています。
Interview by 高橋美穂
--Kenさんとの出会いは、コラムによると2008年だそうで。
ヤマケン: そうですね、ちゃんと話すようになったのは。
--最初はどんな感じだったんですか? バンド名の由来になったほどの人じゃないですか。
ヤマケン: まあ、芸能人扱いですよね(笑)。意外とちっちぇえ!とか。
--そこですか(笑)。初めて対バンした時は、見せ付けてやろう!みたいな意気込みはあったんですか?
ヤマケン: 最初の時はなかったなあ。
キクオ: (新宿)MARSだよね。しかもリハを見てたよね。元々、僕個人の話だと、僕が働いていたスタジオを、Kenさんが使ってくれていたんですよ。それで、僕らが初のMDのデモを作っている時に、同じ階の違うスタジオに、Kenさんは弾き語りで急きょ、当日の予約で入ってたんですよ。店員なんで、その情報が入ってきて。デモも完成間近だったから、出来たら渡しに行こうってなって、それがDRADNATSの存在を初めてKenさんに伝えた時だと思うんですよね。一応、「バンド名はSTANDARDの逆なんですよ」とか言ったら、「ハンパねえ!」って笑ってくれて。そこから時が流れて、MARSの初対バンの時は、お願いします!って挨拶したら、ばって抱きつかれて、「今日からスタッフじゃなくて、いちバンドマン同士だからね」って言われて。
ヤマケン: 良い話! いちいちかっけえ!
キクオ: Kenさんは覚えてるかわからないけど、俺はもう、それが頭から離れなくって。
--Kenさんはバンドマンにとって良い兄貴ですね、ほんとに。
キクオ: スタジオでは柳沢くんって呼ばれていたんですけど、「これからは柳沢くんじゃなくなるからね」って言われて鳥肌が立ったのは覚えていますね。だから、気合いが入っていたっていうよりは、ドキドキしていたと思います。僕、DRADNATSを9年くらいやってきて、ライヴ中にピックを2回くらいしか落としたことないんですけど、そのうちの一回はその日ですからね。
--そこまで覚えているんですね。でも、ヤマケンさんはKenさんのコラムに、生意気だったって書いてありましたけど……(笑)。 (↗)
ヤマケン: 初めて対バンやった時は、あんま喋ってないんですよ。4WAY(Split=2009年にリリースされた、Ken Yokoyamaと若手バンド3組のスプリット『The Best New-Comer Of TheYear』。DRADNATSも参加)の時が、バンド史上一番とんがっていた時期なので、相当生意気だったと思います。でも、あんまり……自覚はないんですけどね。
--そうなんだ(笑)。
ヤマケン: ぺこぺこするタイプじゃないので、流石に若手バンドは、Kenさんを目の前にしたら、みんなぺこぺこするじゃないですか。ハイスタに憧れてきたわけだし。そこを、しなかっただけだと思います。何か言ったとか、そういうのはないと思うんですけどね。
--二人から見てて、ヤマケンさんは誰に対してもフラットな人ですか?
キクオ: うん。あんま変わんないかもしれないです。この人だからこう、みたいには。
トノ: そこはずっとブレてないですね。
ヤマケン: あんま自分では、生意気だなって思ったことはないんですけど(苦笑)。でも、同世代のバンドが先輩と接しているのを見ると、丁寧だなあ……と思ったりはしますね。だから最初は嫌われますよ。
--4WAYに誘われた時は、どう思ったんですか?
ヤマケン: 当時、Kenさん自体が、俺ら世代と対バンするイメージがなかったのと、元々CR JAPANにいて、その社長とKenさんは仲良かったんで、だったら俺らかな、って冷静に見ていましたけど(笑)。
--舞い上がることもなく?
ヤマケン: 嬉しかったですけどね。よし、売れた!って思いましたし(笑)。
--(笑)。Kenさんのコラムには、そのリリースライヴが絶賛されていますけど、やはり気合いがハンパじゃなかったですか?
ヤマケン: その時は凄かったですね。ガツガツやってやろうとは思っていましたね。
--当時、ああいう絶賛の言葉は掛けられたんですか?
ヤマケン: その日は言われなかったですね。2年くらい前に盛岡と仙台に誘ってもらって、その時の仙台で……いや、違うな。コラムに書いてあったけど、俺がKenさんと夜中に遊んだことがあって、その時ですかね、個人で言われたのは。メンバー全員には仙台で言われました。
--自分たちとしても、手応えがあるライヴだったんですか?
ヤマケン: いや、なかったですよ。幾らやってやったって、KEN BANDではドカンって盛り上がるんで、それを見ちゃうと勝てないなあって。 (↗)
--まさかその時に、KenさんがPIZZA OF DEATHからリリースさせたいと思ったとは……。
キクオ: 知らずでしたね。
--コラムには、その後のDRADNATSに勢いを感じなくなっていったっていう印象も赤裸々に書かれていましたけど、2010年~2012年あたりは、振り返ってみてどんな時期だったと思いますか?
ヤマケン: うーん……一生懸命やってるんですけど、やり方がわからないというか。4WAYぐらいまでは、ひたすら我武者羅にやってきただけで、それに対して、いい具合にタイミングも重なって上がっていったんです。でも、それがピタって止まって。我武者羅にはやっているんですけど、結果が付いてこなくなると、間違ってるんじゃないのかな?って思うじゃないですか。今までどういうふうにしてここまで来たかをわかっていないので。こういう曲を作って、こうやって……っていうのも考えずにやっていたから。だから、一生懸命泳いでるんですけど、前に進まない、みたいな時期だったと思いますね。
--消耗はするけど前に進まない状況ですよね。
ヤマケン: そうですね。ただ疲れるだけ。
--それって……しんどいですよね
ヤマケン: しんどかったですね。
--それでも、バンドや音楽に対して、楽しさは感じられていたんですか?
ヤマケン: いや、楽しくなかったです。
--ああ……でも、立ち止まるとか終わるとかじゃなく、続けられたのは何故なんでしょうね。
ヤマケン: たぶんそれは、たまーにやるんですけど、なるべく原点に帰ることはしていましたね。なんでこのバンドを組んだのか?っていう。それはハイスタみたいなことをやりたい、俺たちだって出来るって思ったからじゃない?って。そこで、じゃあもうちょっと頑張ろうってなるっていう繰り返しでした。誰かが爆発すると、誰かしら冷静だったりするじゃないですか。3人が同時にドーンはなかなかなかったので。
--同時にドーンってならなくて良かったですね。
ヤマケン: それは、酔っ払った時くらいです(笑)。
--役割分担がちゃんとしてるんでしょうね。3人が同時にドーンってなった時って、解散 とか脱退とか、悲しい結果を生み出すと思うんです。
ヤマケン: そうかもしれない。3人のバランスがいいかもしれないですね。
--そんな中で、Kenさんに、PIZZA OF DEATHからリリースしたいって直訴したんですか?
ヤマケン: 1st(アルバム)出して、4WAYがあって、2年くらい空いて2ndだったんですけど、そんときが一番低迷していて。ツアーも廻ったんですけど、このままじゃダメだなって。そこでPIZZA OF DEATH……他のバンドは知らないですけど、メロディックをやってる以上はHi-STANDARDが大きい存在としているから、PIZZA OF DEATHは凄いレーベルだと思うじゃないですか。だからこそ、あそこだけには入らないって思っていたんですよ。それはあの人たちを越えられなくなるから。
--ああー。
ヤマケン: でも、メンバーがみんな30歳も超えるし、そんなことも言ってられないなって。それに、KEN BANDに誘ってもらえるようになって、PIZZA OF DEATHの人と話すようになって、凄く魅力的なレーベルだな、スタッフ全員がアーティストに近いなって思うようになったんですよね。そこで、昔持っていたようなプライドは捨てて、2ndのファイナルが終わるちょっと前くらいに、俺が二人に言ったんです。CRとはアルバム2枚を出すっていう条件があったんで、これが終わったら契約上は切れるから、次は違うレーベルでもいいんじゃないの、違うんだったらピザがいいと思うんだよねって。
--それを聞いた時に、二人はどう思ったんですか?
トノ: いや、KEN BANDとのツアーの時に、ISOさん(PIZZA OF DEATH)とかに、「来ればいいじゃん!」って言われて、えええ!?ってなったりもしましたし。そっから意識はするようになりましたね。その時に言われたのは、「KenさんもDRADNATSを気にしてるよ、 若手でそんな気にしてるのも珍しいよ」って。それでまた、えええー!って。
--そういうプロローグがあったんですね。
トノ: あと、珍しくキクオが、俺はピザに行きたい!って。そういう提案系はヤマケンが引っ張ることが多いんですけど。
キクオ: 移動中に、ヤマケンが運転してて、そういう話になって、PIZZA OF DEATHってみんな入りたいんじゃないの?って思っちゃいましたね。ピザに入ったらどうのこうの、って言う人も多少はいるかもしれないですけど、青春時代から頭に一番入っているレーベルだし、入りたいっしょ!っていうのは素直な意見だったかな。それで、入るには覚悟を決めなきゃっていうのはありましたけど、入れるチャンスがあるなら入りたいとは思いました。
--話を聞いていると、ほんと、ピュアな気持ちを信じて進むバンドですよね! (↗)
ヤマケン: Kenさんにも直接言ったんですけど、俺たちの憧れていたPIZZA OF DEATHって、メロディックパンクのレーベルなんですよ。ハイスタがいて、ハワイアンがいて。でも、ハワイアンがIKKI NOT DEADを立ち上げてからは、東京のメロディックの3ピースがいなくて。じゃあ次は俺らじゃない?とは思っていました。
--Kenさんプロデュースっていうところでも、ハスキン、ハワイアン、その次を担うわけですからね。
ヤマケン: プレッシャーは尋常じゃないですよ! ハイスタも含めて、その各世代の代表バンドじゃないですか。
--プロデュースっていうのは、Kenさんからの提案だったそうで。
ヤマケン: そうっすね。俺らもやって欲しかったので、一致した感じですよね。
--そういったことが決まって、低迷していた時期の糸口は見えたと思いました?
ヤマケン: うーん。結果論でしかものが言えない世界っちゃ世界じゃないですか。わりと長いことバンドもやってきたんで、仮にピザからKenさんプロデュースで出しても、ハスキンやハワイアンみたいになれる保証はない、っていう後ろ向きな考えもありましたね、全然。よしこれで行ける!みたいな感覚ではありませんでした。それは毎回スタジオでも言っていましたね。次のスタジオまでにこれをやってきて、みたいなことをやってこなかった人がいたりすると、「お前もうPIZZA OF DEATHから出すから売れたと思ってるんだろ」って(笑)。
--つくづく、誰かが緩むと誰かが引き締めるんですね。
ヤマケン: そうですね。
Interview by 高橋美穂
Vol.3.へ続く