DESSERT Complete Album [1998-2001+1] 2025.10.21(水)リリース! Code: PZCA-118 / Price: ¥2,750 (Tax in)

RELEASE

DESSERT Complete Album [1998-2001+1] ジャケット画像

DESSERT Complete Album [1998-2001+1] 2025.10.22(水)リリース! Code: PZCA-118 / Price: ¥2,750 (Tax in)

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TRACK

[ WORLD OF FANTASY ] (1998)
1.DECISIVE MANNER / 2.WORLD OF FANTASY / 3.THE TRUTH / 4.BAD BLOOD / 5.WRONG / 6.CHASE MY DREAM / 7.LOST(Vinyl only)
[ SOUL SEARCHING ] (2000)
8.INTRO / 9.SHOW YOUR COURAGE / 10.BRIGHT FUTURE / 11.FRIGHTEN / 12.IN A DISTASTEFUL SOCIETY / 13.DREAMS MUST BE EARNED / 14.DON’T COUNT ON / 15.TRUE SELF / 16.PUSH YOUR WAY THROUGH / 17.LOOK FOR THE EXIT / 18.CRY OUT FOR
[ DESSERT vs MINOR LEAGUE ] (2001)
19.WHAT MUST BE DONE / 20.IN THE HOPE
NEW SONG
21.RISE UP

LIVE

CAST
  • DESSERT
  • GARLICBOYS
  • Hawaiian6
  • MEANING
TIME
OPEN 18:00 / START 19:00
PRICE
ADV: 4,500yen (+1D) /
DOOR: 5,000yen (+1D)
※小学生以下保護者1名につき1名まで入場可
※小学生以下チケット不要
INFO
LOFT 03-5272-0382
TICKET

Interview

DESSERT Complete Album [1998-2001+1] Official Interview

Interview Vol.01

―― 今年8月11日に、DESSERTの復活ライヴとして21年ぶりに『-IGNITE vol.13-』を開催しましたね。久しぶりにDESSERTとしてステージに立って、いかがでした?

Ryuji やってみて…これという感じでもないのかな(笑)。ライヴのための練習をそこまでみっちりやってきたわけじゃなかったんだけど、とりあえず、復活の第一歩は踏み出したことだし、これからの方が大事なのかなと思う。お客さんからの評判もけっこう良かったし。メンバーそれぞれ、反省点はあるだろうけどね。

KASUGA すごく久しぶりのDESSERTのライヴだったんだけど、やってみたらそんなに昔を感じさせなかったというか…まぁ、メンバー同士仲が悪いわけでもないし、ちょこちょこ会っているしね。やったら本当に普通にできたなっていう感じ。それぞれ別でバンドもやり続けていたから、プレイヤーとしてのブランクもなかった。

Jun Gray 久々にDESSERTをやって「これこれ!この感覚懐かしいな~」っていう感じだった。当日は30分くらいのセットだったんだけど、普段は1時間半とか、それ以上の長さのライヴをやっているから、けっこう楽にできるかなと思っていたんだけど、意外と疲れたね(笑)。

KASUGA それは年齢もあるんじゃない (笑) ?MCでしゃべる人がいるわけでもなく、どんどん曲をやっていくからね。

―― たしかに、MCも一切なかったですしね。となると、フィジカルがダイレクトに出るドラムのMUROCHINさんはいかがでした?

MUROCHIN 昔の曲は体に染みついているから、やっていて楽しかったですよ。でもいろんな課題があって…今回披露した新曲では、今までやったことがないようなプレイも要求されたから、個人練習に入ったりしましたし。できるかどうかわからないというか、できないんじゃないかって、少し不安な感じがありましたね(笑)。とはいえこの3人と久々にいっしょにやると、やっぱりビンビンくるなと思ったし、ライヴも楽しかったです。

Jun Gray 普段自分がやっているバンドとはスタイルも違えば、立ち位置も違うんですよ。普段Ken Yokoyamaではステージに向かって右側にいるんだけど、DESSERTでは左側だから、見える景色も違うし。

―― 復活ライヴはNO EXCUSE、END ALL、IN FOR THE KILL、THE DEAD PAN SPEAKERSの4バンドがラインナップされました。この中でいわゆるハードコア・パンクと言えるのはNO EXCUSEくらいで、ほかはスラッシュメタルだったりサイケデリックだったりとバラバラですよね。過去のIGNITEでも、同様にジャンルに縛られずに開催していたんですか?

Ryuji そうだね。基本的に俺が全バンドを決めて、声をかける形だった。俺の中でのバランスを取りながらも、ジャンルとか枠を超えたかっこいいバンドに出てほしいという、今までとそういう流れだったね。

―― さっきも触れたように、復活ライヴでは新曲も披露したじゃないですか。2018年はチャリティ目的で2本だけライヴをやりましたが、今回新曲があるということは、現役のバンドになったということだと思います。取り組み方や気持ちに変化はありますか?

Ryuji DESSERTをまたやることに決まったのは去年だったんだけど、過去のままでやるようなことはしたくなかった。新曲を作って、少しでも前向きな形でならやってもいいっていうことがスタートだったからね。

Jun Gray ライヴでの感覚はあまり変わらないかもしれないけど、新曲があれば、ライヴをやる意味も変わってくるからね。

KASUGA 新曲を作るにあたって、チューニングを以前から1音下げたんですよ。最初の方はリハーサルでもなかなか慣れなかったんだけど、それもあって決してノスタルジックとか懐メロとかじゃなくて、また新鮮な気持ちで再スタートできたなって思うね。

―― ここからDESSERTにまつわる振り返りをさせていただきたいんですが、元々は80年代前半に、仙台でRyujiさんとKASUGAさんがDISARRAYで、Junさんが責任転嫁で活動していたのが始まりですよね。ジャパニーズ・ハードコアといえばG.I.S.M.やGAUZE、DEATH SIDEあたりが海外からもよく名前が挙がるし、後追いの世代でもイメージしやすい存在として定着しています。そんな中で当時の仙台では、パンクとかハードコアというのはどんな状況だったんでしょうか?

Jun Gray シーンって言えるほど、バンドはたくさんいる感じではなかったね。3、4バンドくらいは仲間がいたかなっていうくらい。

Ryuji 82、3年ごろっていうのは、ハードコアといっても、パンクとかちょっと違うスタイルのバンドもいっしょにやっていたからね。

Jun Gray 地方都市だから、東京のバンドが遠征でライヴを来たりすると、それに影響されてシーンが活気づくところがあったね。ハードコア・パンクの波が来る前に、THE STALINとかアナーキーとかが仙台に来てくれて、俺たちもそういったライヴで客同士として知り合ったりしていたんですよ。「この眉毛が無いイカついやつ、どこから来たんだ?」みたいな(笑)。で、今度はUKハードコアの波と一緒にGAUZEとかが活動を始めたし、THE EXECUTEやSODOMを仙台に呼んだりもして。そういうとこからだんだん動き出したのかな。

KASUGA 当時はインターネットもなかったし、情報を集めるのも必死だったよね。例えば海外のバンドのレコードが欲しくても、なかなか仙台では手に入らなかった。ましてやパンクスなんてごく少数派だったからね。

Ryuji 当時はシーンがどう…というよりも、仙台の田舎で情報源もなく、小さな仲間内なりに集まってやっている感じだったよ。そうしたら責任転嫁がADK Recordsのオムニバスに参加したり、DISARRAYも単独で音源を出したりして、それで全国的に仙台が注目され出した部分もあったと思う。その中で口コミじゃないけど、LIP CREAMのメンバーが他の地方に行ったときに、「DISARRAYがいいぞ!」って広めてくれたりもしたし。

Jun Gray 今なら、例えば東京でバンドを結成したら、大阪や名古屋に行ってツアーを廻るのが普通だけど、当時は東京のバンドですらそういうツテがなかったんだよね。THE STALINとかも、地方にいる知り合いのパンクスに呼んでもらって、それがつながってツアーのような形になる感じだったし。

―― シーンとか、今あるバンド活動というものができあがっていく時期だったとうことですよね。ほか3人が仙台出身の一方、MUROCHINさんは関東出身ですよね?

MUROCHIN 俺は神奈川の出身ですね。80年代は高校生でLIP CREAMとかが好きだったし、ほかにも消毒GIGとか、LAUGHIN' NOSEも観に行ったりしていました。初めてLIP CREAMを見に行った時、WAR PAINTED CITY INDIANといっしょだったんですけど、たしかそのツアーの仙台でのライヴをDISARRAYが企画していたはずです。当時のことを、後になってメンバーから聞いてビックリしました(笑)。

―― その頃は、まだバンド活動はしていなかったんですか?

MUROCHIN ドラムは大学から始めたから、少し遅いんですよ。Ryujiさんと出会ったのは、COCOBATに入った時ですね。いっしょだったのは1年あるかないかくらいでしたけど。

―― MUROCHINさん以外の3人は、DISARRAYと責任転嫁が解散した後は、しばらく別々に活動していましたけど、すぐ東京に出てきたんですか?

Jun Gray この中では、僕が一番初めに東京に出てきたんですよ。THE STALINを辞めたタム(g)が、G-ZET(後のBLOODVERI)っていうバンドでベースを弾かないかと誘ってくれて、20歳のときに東京に出てきた。

MUROCHIN それって、タムさんから直接誘われたの?

Jun Gray いや、あぶらだこのメンバーが「タムさんから預かってきました」って、俺に手紙を持ってきたの(笑)。メールなんかも無い時代だからね。それに「G-ZETで今ベースがいないので、弾いてくれませんか」って書いてあって。その時は東京に出るつもりなんてなかったから、どうしようか悩んだけど、ちょうど通っていた専門学校を中退したところだったし…じゃあ行くしかないかなと思って。その次に上京したのはRyujiかな。

Ryuji ちょうどJun Grayが上京した1、2年後に俺が出て、そのまた1、2年くらい経った後に、KASUGAちゃんがTHE POGOに入るために東京に来たんだよな。

KASUGA THE POGOに入る前は、IDIOT IDOLATERSをやっていたよ。『全日本ハードコア選抜大会』っていうオムニバスに仙台代表として参加して、東京でライヴをやりましたね」

―― それからRyujiさんはCOCOBATやBACK BONE、JunさんはKENZI & THE TRIPSやBAD MESSIAHに参加する、という流れですね。でもDESSERTを98年に結成するまで10年くらい経っていますけど、どんな流れだったんですか?

Ryuji 当時俺はBACK BONEをやっていたんだけど、メンバー探しで活動が止まっていたんだよ。そんな時にJun GrayとKASUGAちゃんが遊びでスタジオに入ろうかっていう話をしていたから、じゃあ俺も…と混ぜてもらう形で、3人で集まった。その時はハードコアをやろうとか、何も決めていなかったね。

Jun Gray 思い出した!STONE TEMPLE PILOTSみたいなのも好きだったから、そういうこともできるんじゃないかって思っていたんだよね。でも実際にやってみたら、結局ハードコアがしっくりくるっていう(笑)。

Ryuji 最初はKASUGAちゃんがリズムマシンを持ってきて、オルタナぽいことをやろうとしていたんだけど「こういう曲を作ったところで、どこでライヴをやるんだ?」ってなったんだよな(笑)。だからちゃんと話し合った結果、3人の共通点であるパンクとかハードコアをやろうと。で、俺たちと同じように、仙台出身で東京に出てきたドラマーを探そうと思ったんだけど、誰もいなかった(笑)。

Jun Gray それでRyujiがMUROCHINを連れてきたんだよね。

MUROCHIN Ryujiさんからハードコア・パンクをやるってスタジオに誘われて、ビックリしましたね(笑)。「あ、じゃあ行く行く!」みたいな。でもJunさんもKASUGAさんも面識がなくて、呼ばれたスタジオで初めましてだったんですよ。

Jun Gray 初めてのスタジオで、どんなパンクスが来るんだと思っていたら、なんかちっちゃいやつが入ってきて「まさかこいつじゃないよな…」って思った(笑)。でもMUROCHINもその時点でキャリアがあったし、合わせてみたらいけるってなったんだろうね。

―― MUROCHINさんはその頃ABNORMALSをやっていたし、JunさんもKASUGAさんもバンドを掛け持ちしていましたよね。

MUROCHIN たしかABNORMALSに加入して、1stアルバムを出したあたりだったんじゃないかな。みんな聴いたって言ってくれたのを覚えています。

KASUGA 俺はちょうどTHE RYDERSを脱退するあたりのタイミングなんだよね。それで時間ができたから、JunやRyujiとスタジオに入ろうってなったんだよ。で、これからはDESSERTをやっていこう…っていうあたりで、LAUGHIN' NOSEから声がかかって加入したっていう流れ。

Jun Gray 俺はbad messiah解散後に再加入したKENZI & THE TRIPSをやりながらDESSERTをやることになったんだけど、いざ始まったらDESSERTもけっこうライヴが多くなってきて、KENZIの方から「どっちかにしたら?」って言われたんだよね。それで「じゃあ俺、DESSERTやるね!」と脱退した(笑)。

―― 98年結成で、同年にEP『WORLD OF FANTASY』をリリースしています。1曲はDISARRAYのものとはいえ、曲作りはスムーズにできていたんでしょうか?

KASUGA 曲作りは早かったよね。Ryujiが元ネタを作って持ってきて、スタジオで合わせたらもう1曲できているような感じだったし。

Ryuji 98年の何月に結成して、いつ初ライヴをやって、いつレコーディングをしたのかまではさすがに覚えてないんだけど、レコーディング前に何度かライヴをやったはずだよね。だからその時点で10曲くらいはあったはず。4人でスタジオに入りだして、とりあえず20分なり25分なりでワンステージできるようにするために、10曲くらい一気に作ったんだよ。それでライヴをやり始めたら、あっという間に音源を出そうか、という話になった。

―― でもその時点で全員キャリアと実績があったとはいえ、結成した年に音源をリリースとうのは、相当早いですよね。

Jun Gray あの頃、ああいう音楽のシーンが盛り上がっていたのも大きかったんじゃないかな。

Ryuji AIR JAMなんかも少し前に始まった(97年初開催)し、Hi-STANDARDが出てきてからの何年かで、あの辺のインディーズが一気に盛り上がった時期だったんだよ。その余波で、周囲のシーンも流れが早くなっていったんだと思う。

KASUGA バンドとファッションとのつながりも深い時期だったよね。それまではパンクバンドなんて『DOLL』くらいにしか載らなかったのが、ファッション誌にもいっぱい出るようになったし、ハイスタもそこで火が付いた部分があったんじゃない?

Jun Gray そうだね。AIR JAM 2000はかなり規模が大きくなっていたし、その前後の時期は相当の盛り上がりだったんだよね。だからレーベルの方も、いいバンドを見つけたら、すぐ音源出そうって声をかけるような感じだった。

Ryuji 俺がCOCOBATをやり始めたころから、バンド=ファッションみたいな見られ方もされていたけど、そういったストリートカルチャーみたいなものが注目を集めていたと思う。

interview by MOCHI (LIVEAGE A.D.)
Vol.02へ続く...

Interview Vol.02

―― ハードコア・パンクには元々UK、アメリカ、日本、スカンジナビアと地域によって違った特徴があるなかで、DESSERTを結成した98年というと、そこに年代的な区切りもついて、ハードコアが細分化されていましたよね。DESSERTはどちらかというとUKと日本のハードコアの要素が強いと思うんですが、これはDISARRAYからの流れで、無意識にこうなったんでしょうか?

Ryuji ハードコアといっても、UKとアメリカでは全然違うからね。両方取り入れて、この曲はUKぽい感じ、この曲はアメリカみたいなスタイルってやっていたら、俺の中で核の部分がなくなるから、まずある程度絞り込むことにした。それで俺、Jun Gray、KASUGAちゃんの3人は10代の頃からの知り合いでもあるし、まず俺の中にあるUKハードコアというものを母体にして、毎年出てくる新しい音楽もたくさん聴いたうえで、俺の中でこのメンバーでできることを入れつつ…っていう感じだった。

KASUGA そうだね。DISARRAYの頃は、DISCHARGEみたいなUKハードコアにものすごく影響されていたから、それが身体に染みついているのは大きかったと思う。やっぱり当時はアメリカよりUKだったな。

―― でもDESSERTを聴くと、リズムにUKにはあまりないリズムのバネのようなものを感じることがあるんですよ。そういう部分がちょっとアメリカっぽい要素というか、独特のものになっているように思います。

KASUGA それはもう、完全にMUROCHINの要素だね。すごく個性的なスタイルだし。

MUROCHIN 俺のせいってこと(笑)?

Jun Gray DESSERTに関しては、結成時で全員30歳前後だったからね。それなりにキャリアがあって、いろんなことをやってきたし。10代の頃にUKハードコアに影響を受けたのはあるけど、その後にやってきた要素が反映されると、オリジナリティにつながっているのかも。

―― もうひとつ、DESSERTならではの要素として、ベースが低音を支えるだけじゃなくて、ものすごく動くんですよね。ギターもメロディアスなリードを弾いているけど、お互いの音を邪魔せずに引き立て合うようになっているし。

Ryuji そこはやっぱり、2人ともプロなんだよ。

KASUGA 阿吽の呼吸っていうかね(笑)。

MUROCHIN 40年も付き合っていると、こうなるんだなっていう絶妙なバランスだよね。

Ryuji この2人は自分勝手なことをするんじゃなくて、相手のことをちゃんと見ているんだよね。今までいろんなメンバーとやってきたけど、ここまでお互いを理解したコンビネーションはなかなかいないと思う。今でも、リハーサルで音がぶつかるようなところがあったら、お互いに1音ずつ確認して話し合っているのをよく見るし。

Jun Gray スタジオで録音した音を後で聴き返した時に、なんとなく気持ち悪いなと思ってしまう部分は、どうしても出てくるからね。それでお互いに確認しながら考え直したりとか。そういうことをやっていると、いわゆる若々しいUKパンクの雑なかっこよさはなくなって、なんか玄人みたいな感じになるけど(笑)、それがDESSERTなんだろうな。

―― たしかにDESSERTに初期衝動みたいなものはないかもしれないですが、単純なBPM以上の体感速度というか、音が塊になって突進してくるみたいな感覚はありますよね。

MUROCHIN だいたい俺のドラムって突っ込み気味になるんですけど、弦楽器の2人はそれに完璧に合わせてくるんですよ。だからこそ、音がちゃんとひとつになって推進力みたいなものが生まれるんじゃないかと思います。一丸となっている感じですよね。

Ryuji 一拍くらい突っ込んでも2人がドラムに完璧に合わせるから、ライヴだと歌の呼吸するタイミングが難しいんだよ(笑)。

Jun Gray それはしょうがないよ。ドラムに合わせないと崩壊するんだから(笑)。

―― RyujiさんはBBをやっているとき、他のメンバーが遠慮して曲について意見を出してこないと言っていましたが、DESSERTではどうなんでしょうか?

Ryuji 俺がイントロから最後まで、基本的に基盤は作っちゃうから、それを渡して、あとは自分勝手にやってください。それであまりにも違うことがあったら、この部分はもっとこうしたらどうだ…とか話し合う感じだね。

Jun Gray ある程度は任されている部分もあるからね。

KASUGA うん。ギターソロなんかは好きなように弾かせてもらっているし。

―― UKハードコアらしいDビートで走るだけでなくて、例えば“WRONG”は中盤でテンポを落として、ギターとベースが絡み合うようなパートが出てくるし、この時点ですごく独特なことをやっているんですよね。それはメンバーのセンスによる部分が大きいのかなと。

Ryuji DESSERTを始めた頃から、80年代の焼き直しではなくて、いろんなものを散りばめて、メンバーのセンスが入ってくるような感じにしたかった。曲を作る時、俺の頭の中に鳴っている音があるわけじゃん?それを何も変えずそのままやるという選択肢もあるけど、せっかく4人集まっているんだから、このメンバーだからこそ出せるものがやりたいんだよ。

Jun Gray 普通なら20年以上も前の自分の音源を聴いたら「未熟だな」とか「若いな」って思うんだろうけど、再結成にあたって久々にDESSERTを聴き直してみたら、うまいんだよね(笑)。「もうこんなことやってんのかよ」と思った(笑)。

KASUGA あの時点で、それぞれプレイヤーとしてのスタイルが確立されていたんだろうね。

Jun Gray 古いUKハードコアなんて、ボコボコしたドラムとノイズみたいなギターで、ヘッタクソなの(笑)。それがかっこいいんだけど、DESSERTはそこに影響を受けつつ、全然違うんだよね。

―― さっきも話に出ましたが、DISARRAYの“BAD BLOOD”が再録されています。言い方は悪いですけど、曲を作るペースも速いし、オリジナリティが出せているのなら、わざわざ昔の曲を引っ張ってくる必要もなかったんじゃないか…と思ったんですが。

Ryuji 会話の流れは忘れたけど、MUROCHINがDISARRAYの曲をやろうって言いだしたんだよな。

Jun Gray すごく単純な「やってみようよ」ってノリだったよね。それで“BAD BLOOD”だったら面白いかもしれないと思ったんじゃないかな。

Ryuji MUROCHINは最初のスタジオのときも、DISARRAYをやるものだと勘違いしてる節があったんじゃないか(笑)?

MUROCHIN たぶんDISARRAYに入りたかったんですよね(笑)。「これで俺もDISARRAYだ!」みたいになっていたのかも(笑)。

―― 今回リリースされるコンプリート盤『1998-2001+1』には、『WORLD OF FANTASY』のアナログ盤でしか聴けなかった“LOST”も収録されていますが、貴重ですよね。

Jun Gray 存在を完全に忘れていたんだけどね(笑)。Ryujiとリリースについてミーティングした時に、ぽろっと「アナログにしか入ってない曲があったよね」って言われたけど、まったく覚えていなくて。そんなのあるんだったら入れたいって曲を確認したら「こんなの知らねえ!新曲じゃないの?」って思ったくらい、まったく記憶になかった(笑)。

Ryuji もう、今はアナログをそうそう聴ける環境じゃないからね。話に出た時も、どんな曲だったのかは俺も一切覚えてなかった(笑)。みんなに「こういう曲があるはずなんだけど、だれかわかるヤツいないか?」って連絡を回したくらい。

KASUGA 俺がアナログ盤から、デジタルに変換したデータをみんなに送ったんだよね。持っていてよかった(笑)。

Jun Gray Ryujiがミーティングでそのこと言わなかったら、1曲入らなかった可能性だってあったわけだよね(笑)。

―― 2年後、2000年にアルバム『SOUL SEARCHING』がリリースされますが、ドラムの音が格段に大きくなっているし、それに伴って全体の厚みや激しさが増していますよね。

MUROCHIN そうですかね?自分ではあんまり意識したことはないんですけど…。

Jun Gray そうだと思うよ。『WORLD OF FANTASY』も音質が悪いわけじゃないけど、ドラムはちょっと引っ込み気味だったし。

KASUGA スタジオやエンジニアも違うからね。最初の音源を踏まえての、反省点もいきているだろうし。

Jun Gray アルバムだというのもあっただろうね。USUGROWがジャケットを描いてくれることになったし、より気合が入っていたんじゃないかな。レコーディングのペースも速かったと思う。

―― 実際『WORLD OF FANTASY』で存在していた要素が、すべて強くなっているように思います。ベースの音の詰め込み方というか、ヴォーカルに負けないくらい、さらに早口でまくし立てるような感じですよね。

Jun Gray 今やっているKen Yokoyamaでもそうなんだけど、新曲を作る段階で「ここ空いているんなら俺が埋めときまーす!」みたいなのがあるんだと思う(笑)。音のすき間を探して、自分の音で埋めてっちゃうのがクセなんだよ」

MUROCHIN なんか曲の終わりにみんなで音を伸ばすときも、Junさんだけ長いんですよ。最後にベースでウィィーン、みたいなのが入ってくる(笑)。

Jun Gray そう?目立ちたがり屋なのかもしんない(笑)。

―― ギターの音も刺々しくなっているけど、いわゆるメタリックなサウンドとも違いますよね。独特なスタイルというか、不思議な響きだと思います。

Jun Gray KASUGAちゃんは、あんまりメタルなギタリストではないよね。ロックンロールでハードコア・パンク!!俺が大好きなLIP CREAMのナオキくんに近いタイプみないな。

KASUGA ヘヴィメタルっていうよりもハードロックを通ってきた感じだと思う。速弾きよりチョーキング一発みたいなね。メタルも多少知ってはいるけど、このサウンドには自分なりのこだわりがあるつもり。

Jun Gray それがまた特徴というか、味になるんだよね。曲を作っていて、Ryujiとしては本当はもっと細かくガガガって弾いてほしいんだろうなっていう場面でも、KASUGAちゃんは弾かないもん。さっきRyujiが言っていた、自分の中にある音とメンバーの出す音、どっちを取るかって話が合ったけど、Ryujiの考えや気持ちもわかりつつ、でもそれをやったらKASUGAちゃんらしくなくなるんじゃないかって思ったこともあるし。

―― ところどころで出てくるリードやソロも、ものすごく渋いんですよね。そこもメタルとかの泣きとは違って、ブルースとかに近い味わい深さというか。

MUROCHIN 10代の頃からそうだったみたいですからね。初めから渋かったという(笑)。

Jun Gray 俺も仙台で責任転嫁をやっているときにDISARRAYを聴いて「なんでこんなサンタナとかエリック・クラプトンみたいなギター弾くんだ?」って思っていたよ(笑)。

Ryuji 俺なんかは10代のときから、KASUGAちゃんがそういうギターを弾くんだって知っていたわけじゃん。DISARRAYの後にいろんなバンドでギターを弾いているKASUGAちゃんを見てきたけど、その要素を出していなかったんだよね。だったらDESSERTでは、そのKASUGAちゃん独特のギターを出した方がかっこいいし、いっしょにやる意味もあるんじゃないかって思ったよ。

―― バンドサウンド以外にも“DREAMS MUST BE EARNED”では曲の終わりのハウリングからドローンぽいノイズにつながったりと、ちょっと変わった試みも入っていますよね。

Ryuji 昔のレコードだったらA面とB面に分かれていて、アルバムの途中でひっくり返すことでちょっと休憩になるというか、また新たな気持ちで聴けるようになっていたと思う。でもCDの場合は一気に聴く形になっちゃうから、中盤でインターバルみたいなものを入れようかっていう話になったんだよ。そうしたらMUROCHINの知り合いで、打ち込みを作れる奴がいるっていうから、じゃあお願いしてみようっていう話になって。

KASUGA 今回マスタリングで改めて聴くまで、忘れていたけどね。こんなのあったっけって(笑)。

―― 全員の持ち味やアイデアが出ていつつ、細部まで整理されたアルバムで、ここでDESSERTの音がひとつ固まったのかなと思います。この翌年にマイナーリーグとのとスプリット『DESSERT VS MINOR LEAGUE』がリリースされます。どういう流れから実現したんでしょうか?

MUROCHIN 俺が当時、別でINHEILっていうバンドをやっていたんですけど、同じMEGAFORCEからリリースしていたマイナーリーグとか山嵐なんかと、よく対バンしていたんですよ。それで友だちになった感じですね。

Ryuji その前からマイナーリーグを聴いていたのかは覚えてないけど、たぶん何かのライヴのときに、MUROCHINからメンバーを紹介してもらったんだよ。それでいろいろ話したりライヴを観に行くようになって、世代は違うけどかっこいいと思って仲良くなったし、いっしょになにかやるかという話まで、とんとん拍子でも盛り上がったね。

Jun Gray 知り合う前にマイナーリーグがリリースしていた『青い空』なんかは当時すごく売れて話題にもなっていたよね。だからバンドの存在そのものは前から知っていたし、いっしょにやるのもいいんじゃないって感じだった。

interview by MOCHI (LIVEAGE A.D.)
Vol.03へ続く...

Interview Vol.03

―― 収録された曲は『SOUL SEARCHING』に収録されている曲の延長にある感じですよね。

Jun Gray 時期的には、1年くらいしか離れていないからね。

Ryuji たぶんスプリットを出す話が出てから作った曲だったと思うんだけど、マイナーリーグに寄せようとも思わなかったし、いつも通りのスタイルで作ったね。でもマイナーリーグのヴォーカル2人が、こっちの曲にコーラスで参加してくれたんだよ。俺は向こうの曲に参加はしてないけど、アイツらがなかなか作業を進めないもんだから、俺がトラックダウンやマスタリングの時にスタジオであれこれ意見を言ったりした(笑)。

―― その後、DESSERTは2004年に解散します。MUROCHINさんは2003年末に加入したWRENCHを続けて、KASUGAさんはLAUGHIN' NOSEをやりつつMOSQUITO SPIRALを結成していますよね。Junさんは2008年にKen Yokoyamaに加入するまでは、どんな活動を?

Jun Gray Ken Yokoyamaでの初ライヴが、2008年の12月だったのは覚えています。それまでは、DESSERTが終わる少し前からやっていたVIDEODROMEで1枚EPを出したほかに、ちょこちょこバンドをやっていたね。

―― Ryujiさんは今年6月に活動を休止したBBでの活動が知られていますけど、結成は2010年ですよね。けっこう時間が空いている印象ですが。

Ryuji DESSERTが解散した後、ちょっと疲れたから1、2年くらいバンド活動は休もうとは思っていた。でも人のライヴに行くと、自分でもやりたくなるんだよ(笑)。それでいろんなやつと、遊びでスタジオ入ったりしていたね。その流れで、たしか2009年くらいにWRENCHの坂本(東/g)と、オルタナとか変則的なのをやってみようかと動き出したものの、ベースとドラムがなかなか定まらない状態で。そこからマイナーリーグのリズム隊2人が入ったのが2010年だから、一応メンバーが揃った時が結成っていうことになるのかな。その後は2年くらいスタジオで作曲や練習を続けて、ライヴはやらなかったけど。

―― 毎年12月に、DESSERTのメンバーが集まった忘年会の写真をSNSにあげていますよね。あれを見ていたから、メンバーの関係は悪いものではないと思っていましたが、忘年会は解散からわりとすぐやるようになったんですか?

Jun Gray さすがに解散してすぐではなかったけど、ここ10年…もっとやっているかな。

MUROCHIN たぶんもっと長くやっているよね。俺の子どもが小さいのときに連れて行ったこともあるし、15年くらい経つんじゃない?

Ryuji 解散後に、たまたまみんなで集まる機会があったんだけど、それからは生存確認も兼ねて、毎年1回はメンバーと当時のスタッフで会おうということになったんだよな。コロナ禍はさすがにできなかったけど。

Jun Gray その恒例の忘年会が、今回の再結成に繋がっている部分はあったのかもしれないね。

―― 最初に触れましたが、2018年に災害の復興支援として、チャリティライヴを2本やりましたよね。その時にRyujiさんが「DESSERTはこれで本当に終了」と言っていたので、なおさら今回の再結成には驚きました。

Jun Gray 2018年にライヴをやったことで「DESSERTって動けるんだ」と思った人が多かったみたいなんだよね。それで俺もあちこちから誘われて「一応Ryujiに聞くだけ聴いてみるけど…」っていう感じでRyujiに話すけど、いつも答えはノーだった。

MUROCHIN 毎年そんな話になっていたよね。酔っぱらったら「やろう!」って言うんだけど、Ryujiさんは「やらない!」みたいな(笑)。だから今回やるって言ったときは驚きましたけど、Ryujiさんがそのつもりならやりたいと思いました。

Ryuji みんな年を重ねてきているから、例えば数年後にやろうと思っても、メンバーの誰かがもういない可能性だってあるわけだよね(苦笑)。今まで俺の中でやる必要性を感じなかったんだけど、年齢という事実もあって、みんなが元気なうちにやれるなら…とちょっと見方が変わったのはある。俺の周りでも「もうみんないい歳なんだから、やれるうちにやりなよ」って言う人も多かったし。

Jun Gray やろうと思っても、いろんな事情で動けなくなったバンドもいるからね。メンバーが欠けたりして。

Ryuji それで過去の名前でやるんじゃなくて、新曲を作って、ちょっとでも前を向いてやれるんなら考えると言ったら、その場でやろうと意見が一致したね。そこまで言った手前、じゃあ復活ライヴをやろう、IGNITEを久しぶりに開催しよう、ってどんどん話が進んでいった。

Jun Gray その中で、そういえば音源は全部廃盤で、サブスクにもあがっていない状態だと気付いて。それはもったいないから「せっかく新曲も作るんだし、それも入れて何かできないか」と思って、今回の『1998-2001+1』リリースに発展していったんだよね。

―― やっぱりRyujiさん以外は、DESSERTをやりたい気持ちはあったんですね。

Jun Gray Ryujiがうんって言えばだけどね(笑)。さっきも言ったように、たまにライヴをやらないかと誘われて、面白そうとは思いつつ、まぁRyujiがやりたくないって言うでしょっていう感じだったし。でもチャリティライヴのうち1本は、岐阜の柳瀬にあるANTSっていう、昔からの知り合いがやっているライヴハウスを助けたいっていうのがあったからね。その時は軽いフットワークでやろうってなったんだよね。

Ryuji DESSERTがやることで、義援金を集めなど協力できるならやろうとなったんだよね。柳瀬のANTSのほかにも広島の豪雨支援GIGがあったし、少しでも力になれるなら、復活してやる意味があると考えた。

―― 今回『1998-2001+1』は、PIZZA OF DEATH RECORDSからリリースされます。僕はもちろん、たくさんの人が驚きつつも納得…みたいな感じになったと思うんですが、どんな経緯でPIZZAからのリリースが決まったんでしょうか。

Jun Gray コンプリート盤を出す話が持ち上がった時は、俺的にはPIZZAは頭になかったんだよね。もちろんPIZZAもレーベル内レーベルがあるし、SLANGやMEANINGみたいな例があるけど、もっとハードコアを中心に扱っているレーベルから出すのが普通なのかなと思っていた。でも(横山)健が乗り気で、やりたいと言ってくれて。それで健とも話したんだけど、PIZZA OF DEATHというレーベルを長年やってきて、いろんなバンドをリリースしてきたけど、やっぱりメロディック・パンクが中心にある。でもSuspended 4thみたいな変わったタイプとか、マネージメントという形でサバシスターもいる。そういう中で、健はDESSERTみたいなバンドをリリースするのも、レーベルとして意味があるんじゃないかと思ってくれて、その一押しで決まった部分もあるね。サバシスターとDESSERTってとんでもない対局だし、いっしょの会社にいるっていうのは不思議な感覚になるけど(笑)。

―― 復活ライヴでも披露した新曲“RISE UP”を作る時、すぐDESSERTの曲として取り組めましたか?新曲は24年ぶりで、その間に変拍子の多いBBを長らくやっていたわけで。

Ryuji 初めてのバンドで、やったことのない曲を作るわけじゃないしね。手癖で奇数の拍子が出てくるところはあって、ここはいつの間にか七拍子になっているな…とか修正はしたけど。

―― メンバーにどこまで任せるかのバランスとか、曲が完成するまでの過程には違いがありましたか?

Ryuji さっきもMUROCHINがちらっと言っていたけど、今回は過去のDESSERTではやっていなかったようなドラムのビートを取り入れているのね。俺の中でこれを絶対に出す、出さなきゃならないっていうテーマがあったから、MUROCHINには、これを練習して叩けるようになってほしいと伝えた。ドラムの土台がある程度できあがれば、ギターやベースも生きてくるし、俺の中にある先々の構想にもつながってくる。それができないままだと、2000年前後のDESSERTの焼き直しになってしまうから、絶対にそうならないようにしようと思った。

―― MUROCHINさんはこれまでと違うドラムに挑戦たということですが、KASUGAさんとJunさんはどうでしたか?

Jun Gray KASUGAちゃんがこう弾くなら俺はこういく、みたいなのは昔からやっていたことでもあるからね。そこはあまり変わらなかったかな。

KASUGA Ryujiから新曲のデモをもらった時点で、ある程度は見えていたね。DESSERTらしいというか、Ryujiらしい曲だなと思ったし、それならこういうギターを弾こうっていうのは、漠然とだけど最初に見えていた。こういうのを弾いたら喜んでくれるんだろうなって(笑)。

Jun Gray スタジオで曲を合わせる時に、KASUGAちゃんがソロを弾くじゃん?もう全員でニヤニヤしちゃって(笑)。

MUROCHIN もう大喜びですよ!みんなで「出た出た!来たぞ!」ってなったもんね(笑)。

Ryuji SNS用にスタジオの練習風景を撮ったときも、KASUGAちゃんがソロ弾きだした瞬間、MUROCHINがドラムを叩きながら笑っていたもんな(笑)。KASUGAちゃんも、こっちが何も言わなくてもわかっているんだよ。

―― それがDESSERTらしさのひとつであって、求められているものですよね。結果、DESSERT史上一番長い時間でドラマ性がありつつ新しいけれど、元々の持ち味もしっかり出た新曲だと思いました。

Jun Gray 最初に聴いたとき、まず単純に尺が長いなって感じだったけどね(笑)。とはいえ20年以上のブランクがあっての一発目だし、こういった大作があるのもいいんじゃないかと思った。

Ryuji イントロと間奏があるけど、自分としては長いと思っていなかったんだよね。でも実際にスタジオでやってみたら驚いた。5分以上もあるのかって (笑)。DESSERTらしくないのかもしれないし、BBの流れで曲が長いと思われるのもシャクだしな…と悩みはしたけど、最終的にはまぁいいかな、と思った。

―― 新境地も開拓できたところで、今後はさらに曲作って、まとまった新しい音源も考えられますか?

Ryuji 例えば今後のライヴで、復活の時にやらなかった曲を練習してやるのか、もっと新曲を入れていくのかはまだわからないけど、これからどういう流れになってもいいように、曲は作っておいて悪いことはないからね。俺の中では数曲できあがっているんだけど、後は3人次第かな。

KASUGA せっかくやるんだったら、もっと新曲は作りたいよね。

MUROCHIN やっぱり新曲はもっとやりたいし、作る方向でもあるんですよ。

―― そんなこと言うと、またやったことない要素が出てきて個人練習が大変なのでは…(笑)。

MUROCHIN それなんですよね(笑)。

KASUGA でも20何年も経っているから、過去の曲でも新しい発見があるし、気持ちとしては新曲みたいな感じでできるんだよね。さっきも言ったけど、チューニングが変わったのも大きいと思う。

Jun Gray まぁ、ほかのことにかかりきりで完全に毎日動けないわけでもないし、ぼちぼちスタジオに入ってやっていくのもいいかもしれないね。

―― 少し今後のライヴの話もありましたが、これから決まっているものはありますか?

Jun Gray 今回の『1998-2001+1』のレコ発を2026年の2月に予定していて、もう少し経つと詳細が発表されると思います。10月にリリースして、レコ発は翌年の2月って、ゆるい感じだけど(笑)。

Ryuji そのレコ発の後、東京以外でのライヴを予定はしているよ。

Jun Gray その都度チェックして、遊びに来てもらえるとうれしいですね。

―― 復活ライヴを配信しか見られなかった人もいるでしょうしね。DESSERTがまた現役のバンドとして、ライヴに加えてリリースも期待されていると思います。

MUROCHIN みんな生きているうちに出したいよね。

KASUGA 本当にそう(笑)。

interview by MOCHI (LIVEAGE A.D.)