『横山健の別に危なくないコラム』
Vol.97
なんと18年ぶりのアルバム。できた。リリースされた。
まず最初にお話ししておきたいことは、この文章は「3人組のバンドのうちの、1人の私見である」ということ。メンバーに頼まれて書いているわけではないし、3人を代表して書いているつもりもないという意味で、飽くまでも「私見」だということ。その上で書き進めていくので、ご了承いただきたい。
18年越しのアルバム……その年月の数だけ見ると、なにかものすごいドラマチックなものを感じる。実際にドラマチックではある。
オレはよく「曲は人の生活、人生に寄り添うもんだ」と言う。「あの曲を聴くとあの頃を思い出す」ということが多々あると思う。人の顔でも風景でもなんでも構わない。それこそが曲が人生に寄り添っている証拠なのだ。オレにもそういう曲はたくさんある。辛い思い出が蘇ってくるから聴けない、なんて曲すらある。しかしそれすらもオレの人生に寄り添っているのだし、いずれ懐かしさとともに聴ける時が来るだろう。
そして自分の曲が誰かにとってそういう存在になっているのなら、音を鳴らす人間としてこれ以上の喜びはない。
ハイスタンダードの楽曲は、たくさんの人達の人生に寄り添ってきた。だから求められた。曲を求められたし、なによりも「ハイスタンダードとして存在すること」を求められた。
でもオレは分かっていながらも、それに抗い続けた。意地で抗っていた時期もあったが、もちろん意地だけではない。
一度壊れた物は決して元には戻せない。修理は可能かもしれないが、それは決して元通りではない。バンドは物ではないのでなにか方策はありそうなものだが、物ではないだけにもっと厄介だったりもする。
ハイスタンダードは2011年の Air Jam で11年振りに再始動した。実は、これは簡単だった。オレにとっては、音楽や演奏の良し悪しはさて置き、その場にいることが全てだったからだ。翌年 Air Jam 2012 も同じような感覚だった。とにかく3人揃って、ハイスタンダードを名乗って人前に出ることが全てだったのだから。簡単とは言いつつ、もちろん大変だった。心の中は乱れに乱れた。
しかし本当の闘いはそれからだった。再始動したハイスタンダードとして、どう次に向かうか。果たしてまた一つにまとまることができるのか。
2016年、シングル「Another Starting Line」を発表した。本数は少ないながらもツアーも敢行し、Air Jam 2016 も開催した。
まずここまでに、再始動から5年も経っている。さすがに徐々に戻りつつ…いや戻れないので、「新しいハイスタンダード」になりつつあったが、とにかくそこまで5年もの時間が必要だった。
ハイスタンダードは、やっぱりアルバムのバンドだ。シングルも Air Jam ももちろんハイスタの大きな要素なのだが、アルバムで一番本領を発揮するバンドなのだ。
最後のフルアルバム「Making The Road」からの18年間……活動再開してから Air Jam も3回も開催したし、シングルも2枚リリースした。しかしアルバムに向かっていくことは、「一番大きな、一番失われている1ピース」を獲りに行く作業なのだと実感した。
18年だ。
オレ達3人はその間必死で考えて、もがいて、やっとまた一つの目標に向かって走り出せたわけで……とにかく必死で18年間生きてきた。どこかに隠れていて、この時が来ることを知っていたわけではない。長いようで短い、それでも事実長かった18年間。そして今、3人で力を合わせて作り上げた「The Gift」、胸を張りたい。
昨年の終わり頃から新曲作りは始めていたが、特に「アルバムに向けて」という意識は強くはなかった。ゼロだったわけではない、「アルバムまでできりゃーいいね」とは話し合ってはいたが、そこまで強く願っていなかったように思う。数曲作ってはボツになった。
俄然ギアが入ったのは、今年に入ってから。1月にこのアルバムの1曲目になった「All Generations」ができた。他の2人はどう思ったか正直わからないが、歌詞が付いてない状態ではあったがこの曲が仕上がった時、「これはいける!」ってオレは思った。もしかしたら「このままいきたい!」って思ったのかもしれない。そして気が付いたら、アルバムに向かって自然と3人で走り出すことができていた。
いまや3人ともハイスタンダードだけに専念しているわけではない、それぞれにやることがある。そんな中でも集中して、いまの3人のモードに正直に、背伸びをせずに曲を作っていったら、4月の終わりには16曲できていた。全員ものすごい集中力と、エネルギーの放出量だったと思う。
「一服する暇もないほどレコーディングに集中するオレ」
ハイスタンダードの場合、曲作りはオレかナンちゃんがなにかのきっかけを持ってこないとスタートしない。今回ナンちゃんは一回の練習で3つも4つも元ネタを持ってきた。オレだってネタを持っている時もあったが、それを出させないくらい猛烈な勢いで「健くん、これどう思う?」といって聴かせてくるのだ。今回はそういうネタ達を、オレは全部真摯に受け止めた。
あの人は曲を頭から最後まで作って持ってくるようなことをしない。もちろんできる人なのだけれど、ハイスタに対しては「全部作っても、絶対にその通りにならないから」という理由で、たったのワンメロディーだけで持ってくる。
今回はそれをどう使うか、どう料理するかがオレの役割だったと回想できる。もっとも、ハイスタっぽいコード感や、ハイスタ独特の曲の整合性を出すことは、以前からオレのハイスタのギタリストとしての仕事ではあるのだが。とにかくナンちゃんの持ってきた野菜をどう料理するか、オレはそういった役割に今までで一番徹した。アレンジャーというべきか、チーフシェフというべきか……そんな感じだった。
ツネはそれに、彼自身の越えるべき課題を課しながらも、彼らしい、彼にしか考えつかないような解釈をして、最高のドラムを叩いてくれた。ナンちゃんとオレの雲をつかむようなイメージを一生懸命理解するよう努めて、最高のドラミングをしてくれた。
3人ともめちゃくちゃ必死だった。必死で、一生懸命で、誠実だったと思う。
ちなみにこういった「メンバー全員で作りあげていく」作曲法はバンド形態に於いてはよくある手法だ。ハイスタンダードも結成以来ずーっとそうだった。ただ90年代はエゴとエゴがぶつかって上手くいかなかった。幸い形になった曲も、実に時間がかかったりした。きっとエゴを引っ込めるのに時間が必要だったのだ。
今はそうではない。エゴはかつては互いの人格に向かっていたが、今のハイスタンダードはしっかり「曲を作り上げること」、「ハイスタというバンドをカッコよくすること」に向いている。ナンちゃんの持ってきたネタがピンとこない時は正直に「イマイチ」と言うし、ネタが良い時はナンちゃん以上にオレが興奮した。
エゴ、不仲、活動停止、変わっていく生活、様々な噂、一度は完全に離れてしまった気持ち、いまそれぞれが取り組んでいる音楽活動……、そういったこと全てをクリアしたところに、今のハイスタンダードはいる。
「でももしかして、ハイスタって90年代のあのギスギス、ギトギトした感じが良かったんじゃない?」という方がいらっしゃったら、申し訳ない、オレ達はもうそれは失ってしまった。新しいものを手にいれた代わりに、互いを軽く見るようなエゴは捨てた。当時のハイスタマジックはもうない。
しかしオレは残念でもなんでもない。なぜなら現在進行形のハイスタマジックを手に入れたからだ。
かつてイギリスに The Police というバンドがいた。スティングがボーカル/ベースだった、大成功した3ピースバンドだ。そのバンドの記事をまだオレが中学生くらいの頃に音楽誌で読んだのだが、「3人の仲はギンギンに悪いが、3人にしか出せない音があるからしょうがないんだ」というような内容だったと記憶している。当時はそういうことがイマイチ理解できなかったが、今はそれが分かる。
結局 The Police は不仲が原因で解散した(という説が一般的)ようだが、まるで活動停止前のハイスタも同じようなものだ。
しかしハイスタンダードはそれすら超えて、今の3人にしか起こせない「新しいハイスタマジック」を手に入れた。
正直にお話しすると、3人で一緒にいる時以外、オレはツネやナンちゃんがなにしているか知らない。実は興味もない。練習後に飯を食いに行くこともないし、昨年のツアー中だって会場にいる時以外はほぼ別行動だ。念のため言っておくが、仲が悪いわけでは決してない。むしろ90年代より全然仲が良い。
絆があるのだ。
そして「3人にしか出せない音」が、間違いなくあるのだ。
それが大切なのだと、3人ともよくわかっているのだ。
事情のわからない人は理解に苦しむ、独特の繋がりなのだ。
オレはハイスタンダードが大事だし、ナンちゃんのことも、ツネのことも尊敬している。
一緒につるまなくたって、ベタベタしなくたって、「ハイスタンダード」という同じひとつのバンドのメンバーであり、ファミリーなのだ。
「美味い物を食う暇もないほどレコーディングに集中するオレ」
……とは言え、話は変わるのだが、これは個人的な気持ちなのだが、ハイスタでいることはオレには少々重荷な時がある。自分の身の丈に合わないくらい、ハイスタンダードはデカいのだ。
今年の曲作りの最中も、夏場のレコーディングの最中も、何度逃げ出したいと思ったかわからない。誰にも言わなかったが、何度も逃げてしまいたいと思った。辞めたいじゃない、逃げてしまいたいと思った。自分の性格上、絶対に逃げるわけないのだが、気持ちをシェアできる相手もなく、本当にキツい時間もあった。オレは自分ではあまりボヤかない、ボヤきたくない男なんだと思っているんだけど、今回はこれを吐き出さずにはいられない心境だ。
なんとかやり切ったから言えることなのだろうし、本来言わなくてもいいことなのかもしれないが、吐き出したいので記しておく。
レコーディングは、狛江のメガ・ハイパー・スタジオで行われた。
ギター録りについてお話すると、柄にもなく「新しい音を捕まえてやろう」と思った。
実は今回のアルバム、ギターソロがある曲が極端に少ない。それは曲作りしている最中からわかっていて、メンバーとも話し合っていたのだが、別にピロピロとファンシーに弾きたかったわけじゃない。曲が求めてないんだからしょうがない。納得ずくの事なのだ。
その代わり、バッキングのギターではトライをたくさんできた。Ken Band では自分が弾きながら歌うので、基本的に歌のバックで細かいプレイをオレはできない。そういう部分はミナミちゃんに任せている。ハイスタではオレは歌の後ろで存分に弾けるので、今回はギターソロ云々よりもそこを楽しんだ。 かつて Ozzy Osbourne Band のギタリストだった Jake E. Lee が「ギターが楽しいのは、ソロじゃなくてバッキングだ」という旨の発言をしていたが、今回オレはそんな気分だった。もちろんギターソロを弾くのはオレは大好きだからどっちがどうとは言えないのだが、曲作りの最中にその Jake E. Lee の言葉が頭に浮かんでいた。
メガ・ハイパー・スタジオのエンジニアの松金さんとの相性も良く、とても楽しい、エキサイティングなレコーディングができた。
あとギターに限らず特筆すべき点は、いまやレコーディングの主流となっている「デジタルによる直し」を極力抑えたことだ。ギターもちょっとしたリズムの揺れ、音のかすれ、昨今聴かなくなった妙な倍音など……いまの時代では排除されがちなところも、カッコよいと思った音は全部残した。
だから結局「新しい音を捕まえてやろう」というのも、音質のことではなく、ここ最近 Ken Band ですらもトライしなかったような、極めてアナログ的なマインドでレコーディングに挑み、「切ったら血が出るような音にしてやろう!」ということだったのだ。
当然ボーカルも直しを極力抑えた。ナンちゃんは「90年代の自分達の音源を聴くと、自分の歌がシャープしちゃってたりするんだけど、それがいいんだ」と言って直さなかった。コーラスももちろんそうした。なので良く聴くと歌のハモりの音程が微妙に合ってない箇所が多々あるのだが、これがいまのオレ達流の音源なのだ。昨今の綺麗すぎる音像の音楽達に対する挑戦状でもあったが、なぜだかエンジニアの松金さんも含め、みんな示し合わせずともそれを目指していたようだ。
お陰で、自分で何度聴いても、ちっとも飽きがこない……それどころか聴くたびに新しい発見があるくらいのアルバムができたと感じている。
やっぱりやり切った今思うことは、やり切った自分と仲間達をとても誇りに思う。以前どこかで発言した通り、この先ハイスタンダードを畳むことはないだろう。ただこれは個人的な希望的観測で、もしかしたら畳まざるを得ない事象が起こるかもしれないし、畳まないまでもまた活動不全の状態に陥ることだってあるかもしれない。何が起こるかは誰にもわからない。
すぐに次作を作るかもしれないし、また10年単位で空くかもしれない。それはもう誰にもわからないし、次のことなど考える頭のスペースがないほど「今」に集中している証かもしれない。
そこで「The Gift ツアー」だ。アリーナ規模でのツアーは初なので、やった後どのように感じるかはわからない。「もう一回やりたい」と思うか、「もうこういうのはやめよう」と思うか……。今後も音源を作ってツアーしたりしたいが、この規模でやるかどうかはわからない。オレ達は飽くまでも、どこまでいっても「ライブハウスの住人」なのだ。大きな会場、2,000〜3,000人を収容できる会場でも「大きなライブハウス」なら今後もやる想像がつく。さて、アリーナはどうか……。
なぜ今回アリーナツアーをしようと思ったかというと、初めて「観たい!」という方達の欲求を満たしてみたいと思ったのだ。それにはアリーナが妥当だ、と判断した。
参考までに数字の面で言うと、横浜スタジアムでの Air Jam 2011には22万だか25万の応募があった。これは当時の新記録だったらしい。長い間、阪神タイガースが初優勝を遂げた日本シリーズが1位だったらしいが、なんとそれを抜いてしまったらしい。もちろんAir Jam はフェスなのだし、ハイスタンダードが11年振りにステージに上がるという話題が大きかったからなのだが、単独ならこれくらいが妥当では?と総動員10万人規模のツアーを用意した。しかしこのツアーでさえ、応募は楽にその3倍はあったのだが……。あとは終わったあとの自分達の気持ちの問題だ。アリーナのような環境でもステージ上で自分達流のパンクロック/ロックンロールができたと思えたなら、次は東京ドームでもやってるかもしれないが……それは冗談としても、本当にこの先はわからない。なのでご縁がある方は是非目撃しに来て頂きたい。アリーナツアーは最初で最後になるかもしれないから。
ハイスタンダードで新しく踏み出せたことに誇りと感謝の心を持ちつつ、それでも何物にも縛られずに、自由に、思いのままにオレは行くのだ。
ところで、ツアーにいらっしゃる方でまだ「The Gift」を聴いてらっしゃらない方がいるとしたら、ぜひライブ前に聴いておいてもらいたい。なぜなら「The Gift」に収録されている16曲、すべてライブでできるようにしてあるからだ。もちろん毎晩16曲全部を演奏するようなことはないが、どの日にどの曲が飛び出してくるかはわからない。
ライブの曲順は当日の出番直前にメンバーで決めるが、大まかな叩き台をつくるのはオレの仕事だ。そのオレが自信を持って言えることは「毎晩セットリストを変える」こと。今回のツアーは13本のライブがあるが、13本とも全然違うセットリストでやる。近年 SNS などでその日のライブのセットリストが出回って拡散されるが、「どんどんやってくれ、明日はまた違うもんを見せるから」という感じなのである。
当然過去の曲もいっぱい用意しているし、新曲をどの程度1本のライブで披露するかはわからない。新曲は3〜4分の1程度か、あるいはライブの半分は新曲か、あるいは1日に2~3曲程度か……3人の気分で、様子を見てやっていくつもりだが、とにかく「The Gift」の曲は聴いてきてもらったほうが良い気がする。別に買えとは言ってない、誰かに借りてでも聴いて、歌えるようになってりゃいいんじゃないかと思う。
ちなみにハイスタンダードは新旧合わせて60曲の弾を持ってツアーに出る。
さて話は前後してしまうが、「The Gift」という曲について。この曲はナンちゃんがAメロBメロのネタを持ってきて、オレがサビを書いた。完全に典型的な「難波/横山」の共作曲だ。歌詞はオレが書いた。
英語でギフトというと、贈り物の他に「与えられた才能」という意味が出てくる。ある晩オレは地元の幼馴染達と晩飯を食ってた。そこでたまたま「ヒロトさんってさぁ……ありゃギフトだよな」という話になった。そこからしばしみんなで「ギフト論」に興じたのだが、最終的には「オレ達にも、誰にでも、与えられたギフトはあるはずだぜ?ヒロトさんほどじゃないにせよ、きっとなにかあるはずだろ!」という気持ちになっていった。そんなような幼馴染とのどーってことない会話から、オレはこの歌詞のヒントを得た。
才能がある人のことを歌詞にしても面白くない、それなら誰にでもギフトはあるんだっていう、かねてより思っていた切り取り方で書きたい、と思い始めたのだ。この時に頭に漠然と浮かんだ風景は「Stay Gold」を書いた時と近からずも遠からずだった。活路を見出せなくて元気のない人、やればできるのになにかのきっかけで自信を失っている人、才能があるのに全く自覚していない人、闘いたいのに闘い方がわからない人……そういう人達に届くような、「オレだって、わたしだって、やってやる!」って思ってもらえるような歌詞を書きたくなったのだ。
なんの気もなしにナンちゃんにみせたところ、すごく気に入ってくれた。「すごくいろんな含みを持たせられるよ、今のハイスタからのギフトとも受け取ってももらえるだろうし!」と言って、これをリード曲とアルバムタイトルにすることを強く勧めてくれた。
「Another Starting Line」 の時は逆だった。ナンちゃんが書いてきた歌詞からオレが特別なものを感じ、「いまハイスタが言うべきことってこれしかないっしょー!」とリード曲とタイトルにすることを進言した。
そして今回は「The Gift」をキーワードに、周りのスタッフ達も「どうすれば一番ハイスタらしく見えるか」、「どうしたらハイスタがかっこよく見えるか」、考えに考え抜いていろんな仕掛けをしてくれた。一生懸命考えて、実行に移して、形にして、バンドが格好がつくようにしてくれた。
あとは、あなた方に聴いてもらうだけだ。ある人は「ハイスタは終わった」と言うだろうし、他方「90年代よりも良い、最高傑作だ」と思ってくれる方々もいるだろう。
そしてまだ小・中学生の子どもたちにとっては、パンクロックへの入り口になることもあるだろう。これを聴いて楽器を始める子、バンドを組む子もいるだろう。
好きなようにジャッジしてもらって構わない。「いいだろ?90年代超えただろ?」と押し付ける気持ちなどまるでない。あれはあれ、これはこれなのだ。
オレは今回のアルバムの出来や受け止められ方に関しては、全く、100%、ビビっていない。どう思われるか、皆さんがどう思っているか、興味はある。当然ある。
ただ全くビビってない。どう受け取られても良い。
越せたとか越せなかったとか考えず、関係なく、普通に3人の男達で素晴らしいアルバムが作れたとオレは思っている。
Ken Band とも NAMBA69 とも違う、やっぱりハイスタンダードの新譜をしっかり作れたと思う。
やれること、やるべきことは全てやった。
「The Gift」は各種アルバムチャートで軒並み1位を獲得し、絶賛成功中と思われるだろう。しかし「チャートの1位」なんてことに大した意味はない。そりゃ2位や3位よりは1位がいいに決まっているが、その程度のもんだ。音楽の良し悪しには(特に昨今)ほぼ関係ない。
「スケートしてリラックスする時間もないほどレコーディングに集中するオレ」
……ここまで書いて読み返してみた。野暮なことばかり長々と書いて、アルバムについて何も的確に説明できていないことに気づく。
いや、「The Gift」は言葉や、ましてや文字なんかで伝えられる代物じゃないのかもしれない。
オレ達は普通じゃない経験を通過し、とても言葉にできないような時間を過ごし、尋常じゃないエネルギーを注いでこのアルバムを作ったからだろうか。
しかしそんなことすらも関係なく、本当に、純粋に、聴いてくれる方々の一人一人がどう思うか、それが全てなのだ。
2017.10.23