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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.94

「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016」

この夏 Ken Yokoyama として2009年以来、7年振りに「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」のステージに戻る。

7年前の2009年、このフェスでオレ達にとっては大きなことが起きた。運営側が「モッシュ・ダイブを禁止、違反者には厳罰」としたのだ。実はこれは毎年「謳い文句」としては挙げられていた。他のフェスやライブハウスでも、これを謳っているところは多い。しかしこれらのことが起こっても、暗黙の了解のうちに看過されてきたのだ。

ROCK IN JAPAN は2009年、「違反者は最悪の場合、退場処分」と厳罰化したのだ。「看過しない」ということだ。これはとても大きなことだった。

もちろんこれについてはステージに上がる前、オレも別室に呼ばれ説明をされた。了承したものの、ステージから見た風景はとても悲しかった。Ken Band を観に来た人達がどうしていいんだかわからない、そのフラストレーションがステージ上まで伝わってきたのだ。オレはモヤモヤして「ロックが良い子でどうすんだ?」と言った。次の曲、たくさんのクラウドサーフが出現した。それ以来 Ken Band はそのステージに立っていない。

もちろんオレはこの規制はイヤだった。反発もしたし、批判もたくさんした。その後何年かの間に、このフェスが自分の中で「ライブの場でノリ方を規制する巨悪」になった時期もあった。

なぜそんな場所にわざわざ戻るのか?それを説明したい。

まず誤解を解いておきたいのだが、オレと ROCK IN JAPAN は喧嘩していない。

当然7年前のフェスが終わった直後には、あれだけのことが起きたわけだから、運営側と意見がぶつかることもあった。しかし考えてみてほしい、意見がぶつかるということは「話し合いの場があった」ということだ。

このフェスの Ken Band 担当は山崎洋一郎さん、ROCKIN’ ON JAPAN の編集長でもある。山崎さんは…ずっとオファーをくれていた。毎年とまでは行かないまでも、「今年はどうする?」みたいな話をしてくれた。Ken Band のライブもずっと観に来続けてくれていたし、事あるごとにインタビューしに来てくれてるし、とにかくよく会って話をしていた。

そんな山崎さんとオレが時間をかけて会話していく中で掴んだ共通認識は「時間を空ける必要がある。でも必ず時期は来る」といったものだった。

だから「ロキノンと和解したんですか?」と訊かれるが、別に喧嘩状態にあったわけでも、関係断絶状態にあったわけでもない。「フェスには出ない」ということ以外はとても良好な関係を築いていたことを改めて記しておく。

これを発信していなかったから Ken Band のライブに来てくれる方々、Ken Band を好きでいてくれる方々に「ROCK IN JAPAN を嫌っている横山健」というイメージを与えてしまったことは、非常に申し訳ないと思う。

しかしまぁ「出禁状態」であったことは事実だ(猛爆)明確に「出禁」ではないのだが、「出禁状態」ではあった。

つまり「健がモッシュ・ダイブ等の危険行為を良しとするなら、出演させられない」ということだ。オレがその条件を飲めばもっと早く戻れたのだ。しかし飲まなかった。オレには「ノリ方を規制すること」はどうしても同意できなかった。その条件は今年も変わっていない。

オレは今年、その条件を飲む。

自分の吐いたツバを飲むことになる。みっともないことを百も承知で、ROCK IN JAPAN に戻る。

オレ達のライブを「どうしてもモッシュ・ダイブ、クラウドサーフしながら楽しみたい人」には、悪いが来ることはお勧めしない。1日だけ我慢して欲しい。

なんでそこまでして出るのか…ROCK IN JAPAN が日本で一番の集客のあるフェスだからだ。

Ken Band は去年から積極的にテレビやメディアに出させてもらっている。そういう動きの中で失ったものもあるだろうが、得るものの方が大きいと感じている。

ROCK IN JAPAN はオレの認識では、ライブではあるが、一番メディア的なライブだ。もっと言うと、もはや「ライブとメディアの中間に位置するもの」なのだ。きっと何か失うものもあるだろうが、得るものもあるはずだ。それを今、掴みに行きたいのだ。吐いたツバを飲み込んでまで、なにかを得に行く価値はあるのだ。

もともとなんで積極的にメディアに出させてもらうようになったか、再三再四発言しているが「ロックの存在感が小さくなってきたことを感じた」からだ。

ROCK IN JAPAN は毎年活気に満ちている。しかし必ずしもロックファンが集っているわけではないと思う。逆に言うと、そこに可能性があるのではないだろうか?アイドルを観に来た人達、ポップバンドを観に来た人達にロックがアピールできる場なのだ。「小さくなってきたロックを広める場」なのだ。

これはよく最近のステージ上でも話すオレの見解なのだが、ロックバンドにとってゴールは、テレビに出ることや大きなフェスへの参加ではない。目標としては良いかもしれないが、それは決してゴールではない。自分たちの単独公演…ライブハウスでもホールでも、そういった場所に一人でも多くの人に集まってもらうこと、これがロックバンドにとってはゴールなのだ。だってそこが一番ロックンローラー、バンドマンとしての自分達を晒け出せる場だからだ。

そこに人を呼ぶためには「入り口」というものは必ず必要になる。自分の過去と照らし合わすと、ハイスタが出てきた90年代は、その入り口が「口コミ」だった。バンドブーム後でロックバンドが弱体化した後だっただけに、その威力は計り知れなかった。しかし今それと同じ威力は期待できない。期待度はもちろんゼロではないが、少なくともここまで年喰った自分がいまだに全てを口コミに頼ることなんてできない。だから今年の ROCK IN JAPAN は入り口として期待している。

どう期待しているか…例えば今年の Ken Band のステージを5万人が目撃したとしよう。4万9900人が「なんだこれ?」と思ったとしても、100人が「おー、こういうの好きだなー!」と思って Ken Band の演るライブハウスに足を運んでくれる、これが理想で、これは起こり得るのだ。

数が極端だなぁと思われるかもしれないが、ROCK IN JAPAN の客層を想像するとこれくらいが妥当だろう。それくらい「普通の人達」が集まるフェスだと認識している。

そして彼らが「新しい人達」としてライブハウスに足を運んだとしよう。Ken Band のライブには必ず対バンやサポートアクトがついている。Ken Band 目的でライブハウスに足を運ぶと、偶然知らないバンドも観れるのだ。それが地元のバンドだったり、若手のバンドだったり、あるいは名前は知ってても見る機会のなかったバンドだったり…。そこで偶然観たバンドに惚れてしまう、これもしょっちゅうあることなのだ。

そういう経験が楽しくてライブハウスに時々行くようになったとしよう。そうするといつの間にか、知り合いや顔見知りが出てくる。お客さん同士の横の繋がりを実体験することになる。その頃には、その人は立派な「ライブハウスの住人」だ。

なぜそこまで「ライブハウスの住人」になることをお勧めするのか?それは、オレ自身がそこで育って、素晴らしいコミュニティー…コミュニティーというと大袈裟かなぁ?ライブハウスは素晴らしい文化だと信じているからだ。…良いことばかりじゃないけどねw でもそれはどんな文化圏に属しててもそういうもんでしょ?その人次第なのだ。

だからオレは言う。「行くところがなかったら、地元のライブハウスに来ればいい。」

今年の ROCK IN JAPAN は、そのための入り口なのだ。

そもそも「モッシュ/ダイブ、クラウドサーフ」などは必要か?そりゃないとステージからの視覚的には寂しい。ああいった動きは空間を一瞬にして混沌/カオスに変える。

しかし…2009年当時のコラムに書いたことと重複するかもしれないが、もはや画一的なノリに映ることもある。

しかもあの光景を20年以上にも亘り見てきたオレクラス(猛爆)になると、「この混沌は本気か、そうじゃないか」まで見えるのだ。だから「視覚的には盛り上がったけど自分的には納得してないライブ」や「視覚的に若干盛り上がりに欠けたような気はしたけど、フロアからの熱がビンビン伝わったライブ」なんていうのもあるのだ。

もちろん視覚的な激しさ、カオス感、混沌、これらは欲しいが、もっと欲しいのは「フロアの熱」なのである。

それはもしかしたら、そういった「モッシュ/ダイブ、クラウドサーフ」がなかったとしても、十分にフロアの熱を伝えるやり方(?)があるのではないか?とか希望を含め、考えるのである。音を浴びて黙ってられないのは分かる、それならいっそのこと、思い通りの「新しい動き」をしてみたらどうだろうか?

そういう新しいノリというか、新しいものが今年の ROCK IN JAPAN のステージで感じることが出来たら、こんなに素晴らしいことはないんじゃないだろうか…。

…と、まぁここまではずいぶんと前向きなことを書いたが、実際のところはステージに出るまで自分がなにをするか、なにを発するのかはわからない(猛爆)だって決めてたって、その通りにはいかない。運営側もある程度覚悟をして呼んでくれているとは思うが、ただ1点「こちらが危険とみなしている行為を肯定はしないで欲しい」と言われている。それだけは守ろうとは考えている。

実際のところは、ステージに出てみないとわからないのである。

最後にゲロっておくが、今回の参加は武道館の翌日にオレが山崎さんに直接電話して「出させてください」とお願いして、実現した。

武道館はある程度規制のある環境だ。それを気持ち良く超えられるかどうか、やり切ってどう感じるか、そこを自分で実感してから決断したかった。結局マイクも投げず、フロアにも降りず、つまり規則を守って、なおかつ気持ち良くライブしたのだ。○○○○○はしたが…あれは直接禁止を伝えられていなかったので…「普通に考えりゃわかんだろ」という声も聞こえてきそうだが…普通じゃないからロックンローラーになったわけで(以下無限に自問自答)

この文章をコラムとして公表して、あとは当日のステージ上では「禁止事項云々」については、なるべく触れたくない。

なるべくだが、そういったストーリー抜きで、音と存在感で勝負したい。

 

 

「Air Jam 2016」

こちらも発表されたが、今年の12月23日に Air Jam 2016 の開催が決定した。今年の開催場所は…なんと福岡!「福岡ヤフオク!ドーム」での開催だ(もちろんこちらは、オレは Hi-Standard としての参加になる)。

過去の Air Jam は全て「夏の野外」だったので、「冬のドーム」というのはイメージにないかもしれない。しかしまぁ「お約束」になるよりも、そういう「変幻自在さ」を Air Jam は持っていた方がオレ個人的には楽しい。開催する頻度にしてもそうだ。毎年毎年やっていると、どうしても「来年またやるための今年」という無意識の気持ちというか、そういった感じのものが出てきてしまうのではないか…それは Air Jam に限っては絶対にイヤなのだ。別に他のフェスはそれで全然問題ないのだが、Air Jam だけは少しもそういう匂いを嗅ぎ取りたくない。なのでこの「変幻自在さ」というか「神出鬼没さ」は、オレにとってはとても心地よいものだ。

ここで Air Jam にとってとても大事な、過去に開催された「時期と場所」を改めて記しておきたい。

・1997 – お台場 レインボーステージ

・1998 – 豊洲 東京ベイサイドスクエア

・2000 – 千葉マリンスタジアム

・2011 – 横浜スタジアム

・2012 – 宮城県国営みちのく杜の湖畔公園

そして6回目の今年、これに「2016 – 福岡ヤフオク!ドーム」がラインナップされるのである。

2001年から2010年に関してはハイスタ自体が活動休止状態だったのでもちろん開催していないのだが、活動再開以降は2年連続で開催したものの、その後3年間開催していない。

これはハイスタのメンバー3人揃った時に良く出る言葉なのだが「無理してやることはない」からなのだ。思い立ったときにやる、これはある意味 Air Jam 独自の利点になったとも言える。

2011年は無理してやった。使命感から無理をした。その使命感があったのでしっかり目的のある素晴らしい一日になったのだが、ハイスタ自体は再び集まって日も浅かったので、バンドの体を成していなかった。演奏はしたものの、リアルなバンドとは言い難かった。当時はその部分でオレ個人的には相当モヤモヤしたものだ。今思い返すとそれも貴重な経験だったのだが。

昨年の2015年の11月から12月にかけて、ハイスタは突如3つのイベントに参加した。

2011年の「バンドの体を成していないハイスタ」から始まった再始動、少しずつ時間をかけて、ちょくちょくメンバーで集まって演奏して話し合って、2015年の3つのイベントでは…90年代の自分達を上回ってるんじゃないか?っていうくらいの熱量とパフォーマンス、存在感を見せられたと思う。

いまハイスタの中はとても雰囲気、関係性が良い。相変わらず時々集まっちゃ演奏し、意見交換している。今年もそれをそのままステージの上で出せたらいいな、と思う。

開催地について…上に列記したものを見てもらえばお分かり頂ける通り、Air Jam は場所に関してもいわゆる「ホームグラウンド」的な場所を持たない。今まで全部の開催場所が違う。関東圏が4回と多いものの、それでも4回とも違う場所での開催だった。2012年は東北で開催、そして遂に今年は九州だ。もう日本中どこにでも Air Jam を持っていける…今年の福岡を成功させれば、Air Jam はそんな性質をも獲得することになると、オレは考えている。他にこんなフェス、なかなかないだろう。

さて改めて、今年の開催地は福岡。「熊本地震」の直後に発表されたので、それとの関係がどうなのか?とみなさん思われるであろう。だって2011年に無理やり開催したのは「東日本大震災で気持ちが沈んでる日本を元気づける」以外に理由はなかったのだから。「九州で大きな地震があったからハイスタはソッコーで動いて Air Jam をやるんだ」という考えが出てもなんらおかしくはない。

しかし、今年は偶然なのだ。去年末に3つのイベントに出た頃、「来年 Air Jam でもやるかー!」というムードが出てきた。そこから会場探しが始まったわけだが…ナンちゃんが探してきたのが福岡のドームだった、という意外と簡単な話なのだ。

オレ達は、誤解を恐れずに言うと「震災バンド」にはなりたくない。

震災があったから再始動できた(これはとても難しい表現ではあるが…)のだが、再始動した以上、もっと「ハイスタであることを楽しむ」ことをしたかった。「楽しむこと」が真っ先にないと活動自体が楽しく見てもらえない…きっとそれはハイスタを好きでいてくれる人達がハイスタに望む姿ではないと思う。そしてやってるオレ達も苦しい思いをするだろう。

東北の被災地に物理的に近い場所でやった2012年には、「被災した方々、怖い思いをした方々へ向けて、というのは大前提だが、自分たちが屈託無く楽しんでロックンロールする姿を見せたい」ってオレは思った。そしたらとても楽しかったのだ。

しかし今年、そろそろ発表という時期に、「熊本地震」が起こった。なんというか…偶然というか運命というか…。「地震があったから九州でやってくれるんだ!」って思っている人たちに肩透かしを喰らわすことにはなってしまうが、九州開催は地震前には決まっていたのが事実だ。

しかしこうなってくると、「新しい意味」を今年の Air Jam に盛り込むことも可能になってくる。今年の12月頃に熊本がどういう状況になっているかはまだ見えてこないが、復興関連のブースを出すこともできるし、なにしろ「九州、怖い思いをしただろうけど、Air Jam 持ってきたぜ!」という気持ちでもやれる。「想いも持っていける」わけだ。

先日、大分の別府の人からメールをもらったが、温泉などの観光で成り立っている街の経済が、いま壊滅状態らしい。もし Air Jam に足を運んでもらって、その行き帰りにちょっと観光地に足を伸ばしてお金を落とせば、落ち込んでいる九州経済の助けにもなるだろう。

Air Jam で九州のためにできることはあるし、新しい意味も出てくるのだ。

さて…そしてつい先日、参加バンドのラインナップが発表された。これがいろいろと議論を呼んでいるようである(猛爆)

この「Air Jam のラインナップ」については、開催するたびに「これは Air Jam じゃない」と指摘を受けるw …まぁ人それぞれにそう思ってしまうほどの強烈な「Air Jam 像」があるのだろう。そんな想いをもってもらえるほど、皆さんの人生に鮮烈に刻まれているフェスであることはとても嬉しいことなのだが…。

逆説的に言うと、こういった指摘は「開催するたびに毎回ある」のである。しょうがないことなのだ。皆さんの思い出を壊すつもりはないのだが、オレ達も毎回同じバンドを呼んで開催するわけにはいかないし、そんな気もないのだ。

しかしツイッターなんかを見てると、「確かに…」と思う意見も散見される。

「これでは他のフェスのメンツと変わらないじゃないか」…確かに。でもこれだけフェスが多いのだからしょうがないことなのだ。それでもハイスタの3人で、現段階でベストと思われるメンツを考え抜いたことは伝えておきたい。そりゃ他にもいくつか居て欲しかったバンドや人だっていた。でも人にはそれぞれ都合があるのだ。こちらが希望した人全員に、皆さんが希望した人全員に揃ってもらうことはとても難しい。

「それならばフェスに出れないようなバンドをピックアップすべきでは?」…確かに。おそらくそういう意見をくれる人は90年代の Air Jam が気持ちの中にあるのだろう。しかし考えてみてほしい、その時代にはフェスはほぼなかったのだ。FUJI ROCK が始まったのが、Air Jam 初年度と同じ1997年。90年代にフェスなんてほんの数えるほどしかなかった。つまりオレ達周りのバンド達は、ほぼ皆「フェスに出れないバンド」だったのだ。そしていまフェスに出れないバンド達を集めたとすると…かなり「?」なことになるでしょう(猛爆)つまり Air Jam ですら埋もれてしまうくらい、フェスは多くなったということだと思う。

「そしたらもう Air Jam の意味、なくないですか?」…確かにw もうないかもね(猛爆)これだけフェスが多いなら、Air Jam をやる必要は本当にないのかもしれない。

(ちなみに…こういったことは、ナンちゃんが一番一生懸命 Air Jam をやってるのだから、ナンちゃんが話しゃいいんだよとも思ったりもするが(猛爆)、ナンちゃんは説明下手なので、やっぱりオレが説明しよう。ちなみにこういうのを世の中では愛情と呼ぶんずらw)

結局…Air Jam にとって唯一の大きなポイントは、「ハイスタが主催して出演するフェス」という点のみなのだ。そこから皆さんがどれくらいの「意味」を感じ取ってくれるかに尽きると思う。

今年はご存知の通り、今をときめくバンドがラインナップされている。よく見られる意見が「そういう彼らを観に行って、ハイスタを観ないなんて事態が起こったらイヤだ」、結構皆さんそこを心配しているように見受けられる。でももしそういったことが起こったりしたら、それがもうハイスタの実力であり、Air Jam の実力なのだ。受け入れるしかない。

ハイスタはすげぇバンドだと思う(自分で言っちゃったwww)オレは日本でナンバーワンだと思ってる(オレの中ではねwww)。でもいつまでもナンバーワンでいなくてもいいのだ。若くて勢いのある連中に背中を狙われて、「今」を思い知らされて、ナンバーワンの座を讓る。それでいいんだ。

しかし人気があって集客があるからっていう理由で、そういうバンド達に声をかけたわけではないのだ。彼らだってハイスタの音楽/活動や切り拓いた道に敬意を払ってくれているし、なにしろオレ達も彼らのことを認めている。

つまり、世代を超えて、点と点を線で結んでみたいのだ。ハイスタ好きな人がそういう若いバンド達に注目し始めるも良し、その逆も然りで若いバンド目当ての人達がハイスタに興味を持ってくれるのも良し、そうして点と点は線で繋がる。そうして「日本のロックの流れ/歴史」みたいなもの結果的に感じてくれれば、とても嬉しい。

オレ個人的には Air Jam (オレが中心になってやっているわけではないがwww)とSatanic Carnival (これに至っては何もやらせてもらえないのが実状だがwww一応最高責任者として…)は、勝手ながら「パンク/ラウドミュージック」と呼ばれるものを背負ってやっているつもりだ。

いろんなバンドが存在するわけだが、そこについているお客さん達にもいろんな温度がある。がっつりシーンの一部になっている「ガチ勢(使い方合ってんのかな?w)」から「最近知ったあのバンドしか知らない、あれだけ好きー!」といういわゆる「にわか」まで。

でも考えても見てくれ、最初はみんな「にわか」だったじゃないか?

「にわか、にわか」と言わずに…というか、オレ達バンドマンやフェスの主催者が、いかにして彼らに「ガチ勢(使い方合ってんのかな?w)」になってもらえるかを考える場としても良いのではないか。

最後に…2017年以降の Air Jam のことは、開催するのかどうかも含め、全く考えていない。

「今回は九州の人に…」などと遠慮せず、ベテランも若い連中も、日本全国から駆けつけて欲しい。

 


-Standard 2016 at 雷門(照笑)」

 

 

「Rumble Of The Month」

東京での平日月一の対バンライブ「Rumble Of The Month」が5月から始まった。Vol.1 は豊洲PIT で行われ、東京スカパラダイスオーケストラが一緒にやってくれた。

この「Rumble Of The Month」とは訳すと「今月の大暴れ」的なニュアンスになる。対バンとして参加してくれるバンド達は猛者中の猛者ばかり。ここ数年、あまり東京でライブをしていない自分に気づき、急遽始めたシリーズギグなのだが、5月にまずやってみて、改めて「こういう感じもいいなぁ」と思った次第だ。

東京スカパラダイスオーケストラとの共演、ガッツリ2バンドで演るのは初めてだった。前回のコラムで書いた通り、スカパラは自分にとっては「究極のボスキャラ」だ。その究極のボスキャラをシリーズギグ初日に迎えてしまうという、めちゃめちゃ大挑戦だった。…とは言え、「道なき道、反骨の。」のリリースが発表された直後でもあり、緊張感はあるがとてもハッピーな空気が楽屋には流れていた。

コラボし始めた昨年暮れからスカパラのいろんな現場に出入りさせてもらっているが、最近スカパラの楽屋に、メンバー用の「小さな小物入れ」が出現した。人数分用意されたちょっとした…例えば携帯だとか、車の鍵だとか、そんなようなものがポンと入れられるようなプラスチックの小物入れ。大きさでいうと、両手の人差し指と親指で輪っかを作った程度のものだ。その中にガムテープが貼ってあって、そこにメンバーの名前が書いてある。「道なき道、反骨の。」のビデオの撮影の時に登場したんだったか…?「横山健」の分も用意してくれていた。

ライブ当日も、スカパラの楽屋にお邪魔すると…その小物入れが「横山健」の分もあるではないか!マネージメントの人が気を利かせてくれて置いておいてくれたのだろうけれども、なんだかそれがすごく嬉しかった。なのでわけもなくその小物入れにタバコを置いて外に出たりして、出番までの時間のほぼ半分はスカパラの楽屋で過ごしたw あぁ、なんだかすごく嬉しかったなぁ。

スカパラ周りのスタッフの方々はとてもプロフェッショナルだ。そりゃそうだ、メジャーのフィールドでしっかり仕事している方々だ。レコード会社の人達、マネージメントの人達、楽器を扱う人達、ライブの制作の人達、みんなプロフェッショナルで、音楽を作る現場にはあまり口を挟まない。子どもっぽい表現になってしまうが「オレがオレが」なんてアピールしてくる人は一人もいないのだ。オレみたいな「The インディー」の人間からすると、そのプロフェッショナルな姿が怖く思える時もある。

先日 Ken Band がフジテレビ系の「HEY!HEY!NEO!」に出演させてもらったのは皆さんご存知のことと思う。その放送日、スカパラは宮古にいた。カウンターアクション宮古でライブだったのだ。その夜、名物店長オオタキンの焼肉屋さんで打ち上げをしたようで、その店で番組を録画してメンバー、スタッフさんみんなで打ち上げしながら観てくれたのだ。谷中さんから「録画見ながら応援してるよー!」なんてメールが届く。嬉しいじゃないか。その後も谷中さんから、そして GAMO さんや茂木さんからも写真付きや動画付きのメールが届いた。その動画を観てみると、お酒も進んだのだろうか、打ち上げのめっちゃ盛り上がっている光景だった。そして店内で大音量で流れてたのは「道なき道、反骨の。」だった。曲に合わせて、机も移動させて、みんなで大騒ぎ(クソモッシュw)して盛り上がっていたのだ。メンバーと一緒に、普段クールでビッとしているスタッフの方々も、感情を露わにして、笑顔で歌って盛り上がっていたのだ。

メンバーの皆さんがそうやって様子を知らせてくれたのも嬉しかったし、スタッフの方々の屈託のない笑顔を観れたのも嬉しかった。そして「あぁ、もしかして本当にオレはこのチームにウェルカムされてるのかも!」って思えた。

この件といい、小物入れの件といい、なにかと嬉しいのである。

あ、話をライブに戻そう。この日のスカパラは凄かった。Ken Band のお客さんを意識してか、セットリストが攻め攻めだった。これは後の自分のステージ上でも言ったのだが、この日のスカパラは明らかに「とりに」来てた。この「とりに」という言葉をどう漢字変換すればいいか…「取りに」はもちろんだが、「獲りに」もあるし、「殺りに」もあった。そのくらいの気迫で来てた。そしてステージ上でも出番が終わってからも、谷中さんはオレに「Ken Band のお客さんは本当に良いお客さんだな!」と言ってくれた。手応えもあっただろうし、本当に嬉しかったに違いない。もちろんオレだって嬉しかった。

そしてオレも「道なき道、反骨の。」を初演させてもらった(余談ですが…オレがスカパラのステージに招き入れられた時にスカパラのメンバーが演奏してたのは「徹子の部屋」のテーマ曲です猛爆)。いやぁ、スカパラで歌うのは本当に気持ち良いのだ。上手く言葉では説明できないのだが、ちょっとしたマジックがかかる。音源よりも数段いいフィーリングで歌えたと思う。初演なのにもかかわらず、大盛り上がりした。まだ1回しか演ってないので正確なジャッジはできないが、この曲はもの凄くライブ映えするんじゃないだろうかと思った。

そしてスカパラが、なんと「Punk Rock Dream」を一緒に演ってくれたのだ。ライブの数週間前に「もう1曲くらい演ろうよ」と言われたので「Punk Rock Dream 演りたいです」と答えた。それを仕上げてきてくれたのだ。豪華なホーンと鍵盤、パーカッション入り。ギターの加藤くんはスカのカッティング。「スカ+パンク」だった。「スカパンク」という感じではなく「スカ+パンク」だったのだ。ライブでは茂木さんの叩き出すビート感が気合の前のめりで、実際に Ken Band で演奏する時よりも速く感じた、それくらいの独特なグルーブがあった。素晴らしいバージョンだと思う。今後もスカパラ兄さん達と同じステージを踏むなら…また演ってみたいけど、図々しいかなぁ?でも次に演る機会があるとするなら、今度はこの曲で「Punk & Ska Dream was totally fuckin’ real」と歌ってみたい。

 


「こ、この写真はインスタにも上げたものなので、きょ、恐縮ずら…。で、でも好きな写真なんずらー!」

 

後攻の Ken Band、武道館後ということもあり、武道館でやらなかった曲を数曲演ったり、いつも通りリクエストタイムなんかも設けて、普段通りのライブができた。

でも隠し球があったのだ。

スカパラ兄さんが「Punk Rock Dream」をカバーしてくれるとのことだったので、オレ達もスカパラの曲のカバーを演ったのだ。チョイスしたのが、前回のコラムでも書いた、スカパラと甲本ヒロトさんがコラボした「星降る夜に」というオレが大好きな曲だ。コード使いも難しいし、リズムのノリもいつも演ってる感じではないからもっと難しい。それからホーンやキーボードで補い合っている部分、テンションコード的なところを「ギター/ベース/ドラム」の3つでどうカバーするか…なかなか難しいお題ではあった。でも挑戦したくなって、メンバーとスタジオのたびに少しずつ練習していった。時間はかかったが(メンバー内でアレンジについて揉めたりもしましたw)ある程度 Ken Band バージョンと言えるところまで仕上げて持ってきたのだが、オレはスカパラの誰にも言わなかった。

当日なんとなく「今日、ボク達もスカパラのカバーしますよ!でも曲は何やるかはナイショです!」と言った。「演っていいですか?」って前もって話して許可を取るのも筋としては良いが、…ナイショにしておいてビックリさせたかったのだ。「ライブの真ん中あたりでやるので、良かったら観てください!」と言い残してステージに出てったのだ。だってスカパラの曲って案外カバーされていない。曲が難しすぎて普通のロックバンドの編成では再現し切れないというのはあるが…スカパラの名曲を演っちゃいけない理由なんてないのだ!オレ達は4人で地下でこっそりとチャレンジして持ってきた。喜んでくれるかな…いや苦笑されるかな?どっちでもいい、「とにかくやって来た」っていう気概も含めて、サプライズでスカパラ兄さんに観てもらいたかったのだ。

ちなみにこの曲を演ったら、フロアは大盛り上がり。いかにこの曲が愛されているかわかる。でもオレもこの曲を歌うのが大好きだ。そういうところも伝わったのかもしれない。

この曲はヒロトさんが歌うのがぶっちぎりで一番カッコいいんだと思う。でもまぁ…オレだって歌っちゃいけないってことはないのだ(小声)名曲は歌い継がれていけばいいのだ。話は飛ぶが、実際5月末の北海道ツアー「Going North ツアー」では、5箇所中4箇所で「星降る夜に」をリクエストされて演奏した。

スカパラの皆さんはオレ達のカバーに喜んでくれていた。ツイッターでも谷中さんから「嬉しかった」という書き込みがあった(同時に「オレ達を怖いと言うなー、オレを下ネタに使うなー」とも書いてあったがwww)。

このライブが終わって一人で車を運転して帰った。途中でなんか停まりたくなった。車を停めて、その日1日のことを思い返しながら、しばらくニヤニヤしてた。最高の1日だった。

観に来てくれた3000余人の方々に「スカパラと Ken Band、いいもんを観た!」って思ってもらえたかなー?あんなライブをして「うーん、イマイチ」って思われたんじゃ、そりゃもういいや!ってくらいの納得具合だったし、それくらい心は弾んでいた。

オレは本当に幸せ者だ。いろいろやらせてくれる人が、チャンスをくれる人がいる。

ここで矢沢永吉さんの言ったことが頭をよぎる。かの有名な「成り上がり」に書いてあったことだが…ニュアンスとしては「みんなが欲しいっていう時はなんとなく欲しいってくらい。えーちゃんが欲しいっていう時は腹の底から欲しいんだ」こんな感じだったと思う。

なんでこのタイミングでこの一節が出てきたか…それは、オレはこのスカパラとのコラボを通じて得た経験、見た景色を全部自分の血に、自分の肉にしてやろうっていう気があるからだ。

矢沢さんの言葉を言い換えるなら「みんながやるっていう時はなんとなくやるって感じ。健がやるって時は全部を自分の血肉に変えるつもりなんだ」っていうくらいだ。

繰り返しになるが、先輩達と一緒にいることで得たものを全部自分の血肉に変えて、なおかつ「健と組んでやってみて良かったよ」って思ってもらえるように…まぁそこまではわからないけど、少なくともスカパラが今まで観たことない風景を一緒になって作って、それを見せられたらなって思う。

本気で取り組めば、両方とも次のレベルに行けるんだって信じてやっている。

逆を言うと、少しでも信じてなかったら得るものは少なくなる。

そういう意味でオレは気合の入った、真の「ビリーバー」なのだ。

「あ、最後に!」

6月22日に Ken YokoyamaのDVD「Dead At Budokan Returns」と、東京スカパラダイスオーケストラ feat. Ken Yokoyama のシングル「道なき道、反骨の。」が同日リリースされまーす!

是非お手に取って楽しんで下さい!

 

2016.06.09

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