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『横山健の別に危なくないコラム』

vol.86

前回からこんなに空いてしまったことはなかった。…正直言ってどこから手をつけて良いものやらわからない。

 

こういう事態は何度かあった。何ヶ月も空いてしまって、書きたい事はたまってはいるけれど、どのトピックを優先させたいのか自分でも判断がつかず、なんとなく放っておくとまた数週間が過ぎて新たに書きたいトピックが起こる。それを書けば良いものを「数週間前のあの出来事を書かなきゃ…あれよりも昨日の事の方がおもしろいかなぁ…両方書こうかな。ぶっちゃけメンドくせぇな。どうせそのうちにまた書きたい事出てくんでしょ…」こんな具合に数ヶ月過ぎる。そしたらもっと書きたい事はたまって、増々メンドくさくなっていく。負のスパイラルだ。

 

でもいいのだ。仕事じゃないからいいのだ。仕事だったら負のスパイラルだのなんだの言ってられないが、仕事じゃないからいいのだ。

 

皮肉なことに、このコラムが書籍化されたことも、書きそびれた理由としては案外大きいかもしれない。

書籍化されるということは、つまりプロの方々の著作と一緒に本屋さんに並ぶ事。まるでパッと見はプロの物書きになったみたいじゃないか。まさか…これって仕事?しかし違うのだ。プロになった…なれたわけじゃないのだ。

オレの本は過去の文章を一冊にまとめてもらったもの。本という形になった事は本当に嬉しい(本なだけにw)。しかしただのまとめであるわけで。「本が出せてエヘヘ」なんて思ってると、自分の心の中に棲んでいる「もう一人のオレ」が「だからってプロの物書きと肩並べたとか思ってんじゃねぇぞ。舐めてんじゃねぇぞ。」と言ってくるわけだ。たぶん。

手前味噌になってしまうが、「横山健 ~随感随筆編」とても売れている(と思う)し、嬉しい反響もいっぱい頂いている。他人様に喜ばれれば喜ばれるほど…心の中の「もう一人のオレ」が、オレ自身(オレのおちんちんという意味ではなく)のことをニヤニヤと見てくるわけだ。そうなると…自然と新しく書くことから遠ざかってしまうわけだ。

世間一般ではこういう人のことを「天の邪鬼」と呼んだり、「メンドくさい」とも形容する。そのあたりのことは9月に DVD がリリースされる映画「横山健 ~疾風勁草編」を観ていただければよーく分かってもらえると思う。

しかしどうだ、こうやって弁解しているようにみせかけて、しっかり本も DVD も文章に織り込んで宣伝するあたり、そのへんのヘッポコ文筆家よりもよっぽどテクニカルじゃないか (これは冗談ですちょっと悪い言葉を使ってみたくなっただけです)。

 

じゃあ罪滅ぼしのつもりで、どこにも話をしていないエピソードを紹介しよう。

なぜ横山健の DVD に「疾風勁草編」なるサブタイトルがついたか。これには監督のMINORxUとピザオブデスで激しい討論を重ねた経緯があるのだ。

 

当初、監督は「タイトルはズバリ『横山健』だけでいきたい」と主張していた。そこに異議を唱えたのがピザオブデス側。特に物販担当のフトシという男だ。普段はあまり制作の方までは立ち入って話はしてこない。そんな彼が「この映画は横山のカッコ良い面が前面に押し出されている。普段の横山はもっとだらしなくて、ふざけてばっかいて、そんな日常のカッコ悪い面が入っていない」と主張した。オレは充分に入ってると思ったのだが(猛爆)…つまり、彼にとっては「この映画は横山健の二つある面の一方に偏りすぎている」ということだった。そのタイトルに名前だけつけることに、彼は抵抗があったのだ。

 

フトシはピザ勤続10余年ほどだが、20年ほど前からオレとプライベートな付き合いのあるヤツで…つまりオレが20代中頃から毎晩一緒に朝まで遊んでいたのだ。毎晩だ。オレがどんな人間か知ってる彼は、片方だけ見せるのに「横山健」というタイトルを冠するのは抵抗があったのだろう(ちなみに彼の言う「だらしなくて、ふざけてばっかいて、カッコ悪い」というのは、彼のオレに対する最高の褒め言葉なんだと思う)。まぁ仮にも10数年もピザオブデスで働いていれば、いくら作品の制作に直接関わらない立場とは言えども、作品には「必ずしもそうではない」場合だってあるというのはイヤというほどわかっているはずだ。しかし彼はタイトルに関しては頑固に突っ張った。

しかし監督は…フトシの気持ちは分かるが、そこに寄せるわけにはいかなかった。飽くまでも収録時間にある程度の制約がある映像作品として、わかりやすくてとっちらかった内容にならないようにまとめようとして、そのタイトルとしては「横山健」がいいんじゃないかという主張だった。

オレは正直言って「…わかんない、みんなでいい様に決めてくれればいいよ」という感じだった。

そこでの折衷案が「疾風勁草編」というサブタイトルをつけること。「疾風勁草」という言葉は経理のサキコちゃんという女性が見つけてくれて、みんな「これなら納得」という感じになった。

結果から言えば、この後出版した本にも「随感随筆編」というサブタイトルをつけることにより、映像と文章という別のフォーマットの作品にも、ある種の一貫性を持たせることが出来た。オレとしては結果オーライな感じがする。

そんなやり取りの中でやはり印象的だったのが、監督はもちろんのこと、フトシを始めピザのみんなが「横山健をどう見せたいか」、「横山健がどういう人だと知らせたいか」、「今回観せれなかった部分に対する、なにか注釈的なものが欲しくないか」、そういう細かなポイントまで真剣に、必死で考えてくれているということだ。

そしてつくづく、「良い仲間に囲まれて生きてんだなぁ」と思った。

ちなみにその「疾風勁草(しっぷうけいそうと読む)という言葉の意味は「強い風の中に折れずにいる強い草」ということ。強い風が吹いて、初めて強い草であることが分かるかららしい。人生の困難や逆境を風に喩えると理解しやすい。つまり「横山健はどんな状況でも絶対に折れない」ことを表現している。

周りにそうやって思ってもらえるのは、なぜだか嬉しい。

でも正直言って、オレだって折れるし、倒れるし、泣くし、負ける。でもしばらくすると、一度折って強くなった骨のように、むしろ強くなって立ち上がるのだ。負けない人はいない。肝心なのは「負けん気」なんだ。何に対しての負けん気なのかは、人それぞれ、状況それぞれに違ったものがあるだろう。しかし肝心なのは「負けん気」だ。

人生に於いて「疾風勁草」であるためには、それが必要なんだと思う。

 

 

「ザ・クロマニヨンズ」

古い話で甚だ恐縮だが、5月に福井県でザ・クロマニヨンズと「アオッサの乱 Vol.1」というタイトルで2バンドで演った。もう半年前の話だが、やっぱり想うことがあるので書きたい。

まずはこのチャンスを作ってくれた「キョードー北陸」さんに「グッジョブ!」と伝えたい。

 

 

ザ・クロマニヨンズと言えば「ヒロト&マーシー(ここは敢えて敬称略)」。元ブルーハーツの二人だ。オレがどれだけブルーハーツの出現に衝撃を受けたか、影響を受けたかは多方面でよく話していることだ。

重ねて断言するなら、ヒロトさんとマーシーさんがブルーハーツをやっていなければ、今日のオレはいなかった。それだけ大きな…もっと言うと「絶対的な」存在だ。

ブルーハーツは数度ではあるが、友達とライブを観に行った。ハイロウズの頃にはマーシーさんと知り合いになっていたので、一度ライブを観させてもらった。遂にはザ・クロマニヨンズになってからはフェスではあるが何度か同じ舞台を踏んだ。しかし今回は2マンだった。同じ舞台を踏むにしても、その感慨はフェスとは比べ物にならない。

ブルーハーツの頃はその辺でたまに見かけた。いつもヒロトさんとマーシーさんは一緒にいるのだが、声をかけると(もちろんその頃のオレはただのガキ)いつも二人とも気さくに接してくれた。

マーシーさんは朝の渋谷駅のホームで見かけた時に声をかけると「今から金沢行くんだー」と教えてくれた。ガキだったオレは「すげぇ」と思った。そして「これからバイト?がんばってね」的な優しい言葉をかけてくれた。

ヒロトさんは下北沢の飲み屋で、ヒロトさんに憧れて買ったが履きすぎてボロボロになったブーツを見せると「おー、気合い入っとるねぇ!」とあの笑顔で言ってくれた。

もちろんこんなやり取り、あの人達が絶対に覚えているわけない。でもオレは覚えている。自分があちこちで声をかけられるようになった今、あの人達のそういった気さくな接し方がオレのベーシックになっている。みんなオレに話しかけてくる人は、オレとの些細な会話を覚えているんだと思ってる。逆説的に言うと…オレは覚えてないよ、ということなのだが(猛爆)

 

そうだ、マーシーさんとは対談で会わせてもらって知り合いになったのだ。この時やっと「ハイスタンダードというバンドをやってる横山君」と認識してもらえたんだと思う。その頃はハイロウズだった。対談は…もちろん緊張した。何を話していいかもわからず、「ただ話した」というような内容だったが、オレは嬉しかった。その後赤坂ブリッツでのライブにお邪魔して、終演後の楽屋でもいろいろと話をしたりした。その時、ライブ終演後に間髪入れずにシャワーを浴びてたヒロトさんがシャワー室から出てきて、オレの顔を見るなり「やぁ!」と言った。「こんにちわ」とか「どうもどうも」とかじゃなくて、「やぁ!」だ。ちなみにこれはマーシーさんも一緒だ。たまにメールするのだが、メールの冒頭が「やぁやぁ!」だ。

そういえば、うちに長男坊の楓太が産まれた時、マーシーさんは出産祝いの贈り物を送ってくれた。宅配便で届いたのだが、その包みに「差出人 真島昌利、受取人 横山健」と書いてある伝票が付いていた。ていねいに剥がして、我が家の家宝にしてある。贈られたおもちゃは赤ん坊用で、いまや次男坊ですら遊ばない。しかもすでにボロボロになっているのだが、それは我が家では「絶対に捨ててはいけない」ものになっている。

さて、オレがあの二人をどれだけ好きか分かってもらえたところで、話を福井のライブに戻そう。

この日はザ・クロマニヨンズが先に出番だった。舞台袖からじーっと観た。カッコ良かった。あまりのカッコ良さに、ギターを弾いてるマーシーさんの横からの姿を写真で撮ってしまった。自分たちの出番の準備もあるから途中で楽屋に戻ったのだが、ヒロトさんがライブの最後にこんなこと言ってたって話を聞いた。

「自分たちは世界で一番のロックンロールを鳴らしているつもりでやってる。今日もそうした。でも次に出てくるバンドも世界一のロックンロールを鳴らすから楽しみに待っててくれ!」

…ジーンと来た。ガキの頃から憧れていた先輩…先輩っちゅーか人生を変えてくれたヒーローにそんなこと言ってもらえるなんて。

自分の出番になって、当然「ヒロト&マーシー愛」に溢れてはいたが、でも今の自分を全開で投影させることも忘れてはならない。その2つが自分の中でごちゃ混ぜになり、しかしそれらが良い方向に作用して、とてもアットホームでありつつ、緊張感もアリ、自分たちのお客さんにも、Ken Yokoyama は初見だというクロマニヨンズファンにも、しっかりとアピールしたライブができたと思う。

ところで、オレはこの数日前から考えていた。

「ブルーハーツの『チェルノブイリ』をやりたい」。

この曲は発売当時、シングルで買った。それこそチェルノブイリ原発がメルトダウンを起こし、それを受けてブルーハーツが出した曲だ。オレなんかは「遠い国の遠い出来事」と思っていたけど、ブルーハーツも良く掲載されていた雑誌がしきりに「原発問題」を取り上げていて、関連書籍の紹介なんかもあった。そんな中で広瀬隆さんが書いた「危険な話 チェルノブイリと日本の運命」という本に出会った。買って読んだのだが…数値的なことや技術的なことは良く理解できなかったが、「あぁ、原発って危ないんだ」って知識はついた。そのきっかけをくれたのがブルーハーツの「チェルノブイリ」だった。

ブルーハーツはオレ達みたいなガキにとってヒーローであり、気持ちの代弁者であり、なによりも大切なことを教えてくれる先生…いや先生じゃねぇな、兄貴だった。きっとそうやって時代の寵児になって…「いや、そんなんじゃねぇよ、オレ達はただロックンロールが好きでさ」という気持ちと、オレみたいなファンを含めた周囲からの必要以上の期待に挟まれて、ちょっとした「乖離状態」だったんじゃないかと考えている。

チェルノブイリの件でも、恐らく多方面から叩かれたのだろう、苦い経験をしたのだろう。歌も曲解されて、自分たちの純粋な気持ちとは遠いところに行きそうになったのがイヤだったのだろう。そういうことがブルーハーツの存続自体の首を絞めることに少しでも加担していたことは、想像できる。そういうことは、オレもオレなりにブルーハーツほどではないにせよ、ハイスタで成功を収めたのでよーく気持ちは分かる。

でもオレは「横山健という、ブルーハーツに影響をうけてここまでのし上がってきた一人のガキ」…そいつの「チェルノブイリ」から始まった「原発に対する気持ち」を、その日に形にして露わにしたかった。でもKen Band のメンバーはあまりこの曲のことをしらない…。

オレはメンバー以外の誰にも相談しなかったが、唯一ダイスケ・ホンゴリアンにだけは「やったらどうなるかなぁ?」って相談した。そしたら「いいんじゃない?」って返事がきたので、チャンスがあったらやろうとは思った。

セットが進んで行くに連れて、「やっぱりやるしかねぇ」と思った。何故なら素晴らしい曲だし、場所が「原発銀座」といわれる福井県だったから。しかも、ヒロトさんとマーシーさんの前でやらなきゃ意味がない。意味がないとは言わないが、そこは言葉以上の大きな意味を見いだしていた。

ライブ中にメンバーに「1曲弾き語りさせて」と言って、チェルノブイリをつたなく歌い始めた。もちろんヒロトさんにもマーシーさんにもナイショだ。ちょっと怖かった。しかしするとお客さんから歓声が上がり始めた。みんな待ってたんだ!「いいぞー!」とか「ありがとー!」っていう声も聞こえてきた。バンドマンの強い発信と言うか、ぶっ込みというか、そういうのを待ってたんだ!

このエピソードを通じてオレが伝えたいのは「オレ、先輩にぶっ込んだ」じゃない。「横山健 ~疾風勁草編」の監督をしたMINORxUがよく言っていた「優れた表現者は優れた予言者でもある」という言葉を思い出したからだ。

ヒロトさんとマーシーさんは予言者だったのだ。

霊感があるとか本当に未来が見えるとか、そんなんじゃない(そんな人いない)。

感受性が豊かで、世相に敏感で、表現の力を信じて、作品に昇華させられる表現力をもった人達なんだ。

なぜ予言ができるのか…誤解を恐れずに言うと、優れたミュージシャンは「炭坑のカナリア」だからだ。カナリアは毒ガス検知能力に長けているので、有毒ガスが発生したら真っ先に鳴いて作業員に知らせる。カナリアをミュージシャン、毒ガスを社会問題、作業員がリスナーに置き換えるととてもわかりやすい。危険を顧みず、反論や非難を恐れず、鳴いて形にしてみせるのだ。

 

だってそうじゃないか。チェルノブイリに書かれている内容は、福一原発事故後にぴったりと当てはまるじゃないか。

“まるい地球は誰のもの
砕け散る波は誰のもの
吹き付ける風は誰のもの
美しい朝は誰のもの”

この曲を、書いた人の前で、いまなお混乱のまっただ中にある日本の、しかも原発銀座と言われる場所で、歌って良かった。

そして改めて、この曲が在ってくれた事実に感謝した。

ライブも終わり、打ち上げの席で、オレはヒロトさんやマーシーさんに怒られるかと思ってた。内心ビビってた。なんとなく世間話をしていたのだが、突然ヒロトさんが「今日のあのチェルノブイリ、良かったよ」って言ってくれた。嬉しくてオレは思わず手で顔をおおった。ホッとしたというか、感激した。もしかしたら「後輩がここまでブッ込むって覚悟がいったんじゃないかなぁ。少しはフォローしてあげようかな」とか、その程度のテンションだったのかもしれない。でも現にヒロトさんは、やったオレにそう言ってくれた。

それでほぐれたのか、打ち上げは共通の知り合いの愚痴とかw、ドラムのカツジさんによる「四十肩改善講座」とかで大いに笑って盛り上がった。

ヒロトさんマーシーさんの話に終始したが、ベースのコビーさんもドラムのカツジさんも、明るくて朗らかで、とても素敵な人達だった。

このライブの後、「ヒロト&マーシーの気持ちを考えると健はやるべきじゃなかったんじゃないか」とか「やるなら自分の持ち曲でやるべき」とか、そういった意見ももらったが、そりゃそうだろうとオレも思う。オレのやったことは誰かをイヤな気分にさせたかもしれない。いや、させただろう。でも後悔はしていないし、むしろ繰り返しになるが、やれて良かったと思う。ある意味オレもかなり小振りだけど「カナリア」だ。

そして「ヒロトさん&マーシーさん」がいかに「優れた表現者で優れた予言者でもあるか」を、オレなりの乱暴なやり方で実証できたとも思っている。

実際オレはいまでも「未来は僕らの手の中」だと思っている。年取ってきたからもう「僕ら」じゃないとは思うが、「未来は君らの手の中」だと思っている。

またザ・クロマニヨンズとの2マン、機会があったら絶対にどこかでやらせてもらいたい。

 

そしていつの日か「チェルノブイリ」という曲が、遠い過去を歌った曲になってればいい。

 

 

 

「ライブで使ってるギターの話」

最近ライブで使ってるギターが変わってきているので、その辺のことを話したい。

若干マニアックというか…全然マニアックな話じゃないんだけど、ギター好きな人かオレの使うギターに興味がある人以外にはなんのこっちゃ分かんない話なので、注意して読んでみて欲しい。まぁできれば皆さんに読んでもらいたいんだけど…。

まずちょっとした助走がある。オレはここ数年間「ロックンロールのカバーバンドをやりたいなぁ」と思ってた。それこそチャック・ベリーやエルビス・プレスリー、50年代のロックンロール、ロカビリー、ドゥーワップ、いわゆるオールディーズ…そういったものだけでも大好きな曲は数え切れないほどある。そういう曲達をカバーするバンドを組みたくなったのだ。需要の有る無しに関わらず、やったら絶対に楽しいはずだ(現にこうやって書いてるだけで「あぁ、楽しそうだなぁ」って思い始める自分がいるので、趣味程度でもいずれやりたい)。

まぁまぁ、そんなことを考えていた。しかしそうなると…オレがライブで愛用している ESP の自分自身のモデル「助六」では絶対に雰囲気は出ない。手元にあるギター達を眺めても、そういう古いロックンロールに対応できそうなギターは、実は持ってなかった。いずれそれなりのギターを買わないと…そう考えていた。これが「Best Wishes ツアー」が終わった頃だから、1年半くらい前のことか。

ここから話は変わるのだが…オレは ESP のギターを20年間使ってきた。ところが昨年の秋、縁があって Gibson Japan の人と知り合った。会って話をしたのだが、なんとその時にレスポールをくれたのだ。黄色くて綺麗なレスポール…ちょうど「東北 JAM」の直前だったはずだ。その綺麗な新しいギターの「若くて誰の手垢もついてない感じ」から、オレはそいつに「AMA」と名付けた。もちろんあのドラマの「あまちゃん」だが、ちょうどそのドラマが大ヒットしていた頃で、その時期にオレの手元にやってきたんだよという日付的な意味も込めている。たぶん初めてステージで弾いたのは「東北 JAM」のはずだ。でもハイスタの頃から使ってる ESP/Navigator 製の「Honey」と色も形も似ていたため、ほとんど誰にも気づかれなかった。「Honey」はハニーバーストという色から名前を付けてあるが、案外オレンジっぽくも見えるハニーバーストだ。経年変化でくすんできたというのもあるだろう。「AMA」は透明感のあるイエロー。この2本の違い、ギター好きには分かって欲しい。その後赤い Gibson レスポールも1本入手、そいつには「306(サンマルロク)」と名付けた。

最初に Gibson の人と会って話をし「AMA」を手渡された時、先述の「ロックンロールバンドのアイデア」が頭をかすめた。そして入手したのが ES-335 という、「セミ・アコースティック・ギター」だ。Gibson の ES シリーズは名シリーズで、様々な種類の素晴らしいモデルを生み出してきている。ES-335 はその代表格とも言える。ピックアップなどの仕様にもよるが、ES-335 を1本持っていれば、ロックンロールするには充分だ。

ここでちょっとギターの呼び名の説明をしよう。

例えばレスポールやストラトキャスターなどボディーがまるまる木でできているギターを「ソリッド・ギター」と呼ぶ。

それに対して、エレキとアコースティック・ギターの中間のような、ボディーが木の箱のような構造をしているギターを「箱もの」なんて呼んだりする。そして箱ものにも大きく分けて2種類ある。完全に木の箱のように、ギターのボディー内部に配線や木組み(ブレイシングと呼ぶ)以外のもので妨げるものがないものを「フル・アコースティック・ギター」、通称「フルアコ」と呼ぶ。サイズも実際にアコースティック・ギターに近く、厚さも大きさもあるものが多い。

しかし真ん中に木が仕込まれていて(センター・ブロックとか呼ぶ)完全に空洞ではないボディーのギターを「セミ・アコースティック・ギター」、通称「セミアコ」と呼ぶ。大体フルアコよりもボディーが薄めだ。

時々ボディーの厚みで「フルアコ」と「セミアコ」が分かれていると思っている人がいるが、そうじゃない。内部の構造によるのだ。他にも、見た目はソリッドなのに実は内部に空洞がある構造を持つギターもあったりするのだが(セミ・ソリッドやシンライン)、箱ものといえば大きく分けて「フルアコ」と「セミアコ」だ。
ちなみに ES シリーズにはフルアコもセミアコもあり、ES-335 は「セミアコ」だ。

オレはセミアコを所有するのは初めてだった。 ES-335 を家に持ち帰り「チャック」と名付けた。家でチャックをつま弾いていると、楽しくてしょうがなかった。アンプに繋がない状態で弾いても充分な音量があるので、すごく練習… 練習してるつもりなんてなく弾いてるのだけど、今まで気づかなかったいろんなことに気づき始めた。特に単音弾きの時などいかに今まで力が入っていたか、ピッキングが堅かったか。

それからチャックを練習スタジオにも頻繁に持っていくようになった。最初はあまりの似合わなさにメンバーに爆笑された。しかしそれにめげずに音を出していると、弾くフレーズも変わってくる。この年になっても、吸収するスピードは遅いが、まだまだ上手くなると実感した。

その後、今度は ES-355 という ES-335 の上級機種、しかもビグスビーというビブラート・ユニット搭載のギターも入手、こいつがまた素晴らしいギターだった。こいつくらいになると、ギターのフレーズがどうこうというよりも、ステージ上のギターの音域にも変化をもたらし、なんと「歌が歌いやすくなった」という衝撃の変化を与えてくれた。そいつには「フレディー」と名付け、4月くらいから「AMA」「306」と並んでステージで弾くようになり、現在メインギターの座を張っている。

良いギターには2種類あるらしい。一つは演奏性を高めてくれるももの。もう一つは音楽性を高めてくれるもの。Gibson は後者の気概でやっているというニュアンスの話を聞いたが、ぶっちゃけ ES-335と ES-355 はその両方を高めてくれる。

そんな感じであっという間に「箱ものギター」の虜になったオレは、今度はもう一つの箱ものギターの王道が気になり始めた。Gretsch だ。Gibson の ES シリーズなら様々なロックギタリストが愛用しているので、手にする前からなんとなく自分のギタースタイルにも合う気がしていた。ところが Gretsch となると…ロカビリーやカントリーのイメージが強く、自分のギタースタイルからは遠い存在だった。しかしよくよく考えてみると…最初の発想点だった「古いロックンロールのカバー」というところに帰るなら、おそらく Gretsch が一番フィットするのだろう(弾いたこともないのにw)。興味があるじゃないか。そう、一度興味を持ったものに歯止めは利かない。

今年3月に、Gretsch の…本当はホワイト・ファルコンという名機が欲しかったのだが、いろいろ迷った末にブライアン・セッツァー・モデルを入手した。ちなみにそのギターは「フルアコ」だ。フルアコで Ken Band くらいのディストーションサウンドなんて、正直言って馬鹿げてると自分でも思った。バンドのメンバーもさすがに呆れていたが、「いや、別にライブで使うわけじゃないし…」とか言って嘲笑をかわしつつも、練習スタジオに頻繁に持ち込んだ。しかしそれも、何回も持ってくうちに誰も違和感を覚えなくなった(違和感を持ってても、誰も言わなくなったのかもしれないw)。

箱もの、特にフルアコはそのボディーの空洞の大きさゆえに、よくハウる。全然とは言わないが思ったよりハウらず、充分ステージ上で使えるコンディションになってきた。ちなみにそいつは「ベイビー」と名付けた。

また Gretsch のギターがもたらしてくれたものは大きかった。そりゃ ES シリーズを手に入れた時みたいに練習もするし気づきもあるが、なにしろギターが改めて大好きになってしまった。起き抜けにまず一弾き、何する前にも一弾き、家族が寝た後は朝まで弾きまくった。こんなのはまるで高校生の時みたいだ。「ベイビーを弾ける」と思うと、家に帰るのが待ち遠しい。恋みたいなもんだ。

ちなみにベイビーは入手してすぐにネックをボッキリ折って、1ヶ月間の修理入院を余儀なくされた。オレは本気で落ち込んだし、その1ヶ月間本当に元気が無かったと思う。それくらい好きになった。

修理から帰ってきてすぐ、ツアーに持って出て、おそるおそる、メンバーの顔色も伺いつつ、たまにステージで弾いてみた。正直「フレディー」ほどの音の収まりはないが、充分使える音だし、なにしろ弾いてて楽しい。

そうなると「ホワイト・ファルコン」も手にしたくなるのがギタリスト気質というもの、早速入手(猛爆)。ただでさえオレが持つと大きく見える「ベイビー」よりもさらに一回り大きい、白くて綺麗でラブリーなギターだ。「レオ」と名付けた。家で弾くのはベイビーの方が合うのだが、レオの音色はベイビーよりもバンドにフィットし、現在セカンド・ギターとして活躍中だ。ギターマガジンのコラムにも書いたが「健が白いギターを持ってるんじゃなくて、持たれてる」と感じたら、そいつは「レオ」だ。

オレは今までステージで弦が切れない限り、ギターを持ち代えなかった。持ち代えることに興味がなかったと言っても良い。しかしこのように弾きたいギターが手元にずらりと揃ってきたので、最近はライブの前半と後半でギターを代えている。この先どうなるかはわからないが、現状「フレディー」が先発で、途中で「レオ」に持ち代えることが多い。

 

「今までずーっとソリッドを使ってたのに、なぜ今は箱ものを?」と疑問に思われるギターキッズもいるだろう。理由は至ってシンプル、楽しいからだ。

20年の付き合いがあるのだから ESP の箱ものを弾くのもアリなんだが、残念ながら現状 ESP には箱ものを作る機械がないのだ(工場の火事で消失してしまったらしい…)。それに気が向いたら、当然「助六」なんて自分のオリジナルモデルがあるわけだし、またソリッドを弾くと思う。

 

「箱もの」の良さは、もちろんソリッドにない「ならでは」の良さというのもあるが、オレ的には視覚的要素も大きい。箱ものは先述した通り大きい。レスポールや、もともと小ぶりな「助六」に比べると、ビックリするくらい大きい。つまり…背の小さいオレが持つと若干みっともないのだ。それこそ繰り返しになるが「ギターに持たれてる」感じに見えるのだ。逆にそこにビンビン来てる。いいじゃないか、45歳にもなる、そこそこ知名度もキャリアもあるギタリストがギターに持たれちゃうなんて、すごくシブいじゃないか。

 

イメージへの挑戦の意味合いもある。特に Gretsch は、これも繰り返しになるがロカビリーやカントリーのギタリストが手にするイメージが強い。それかブランキー・ジェット・シティーの浅井さんのような、ちょっと影があるというか寡黙なイメージというか、カッコ良いロックンローラーが弾くもんだと、オレ自身も思ってた(まぁオレだってカッコ良さでは負けてなry)。

でも好きになっちゃったもんはしょうがない、ブランドイメージをぶち壊すわけではなく、「こういうタイプのギタリストが弾くのも全然アリなんだな」って風に持って行けるなら持って行きたい。

実際、オレが使ってるアンプは「ディーゼル」というブランドの、かなりハイパワーなアンプだ。普通 Gretsch 使いはフェンダーのアンプやマーシャルだったりマッチレスだったり…やはり「それ相応」の音を出そうとするだろう。この世のどこ探したって Gretsch をディーゼルで鳴らそうとするヤツはいないと思う。ところが出してみたらカッコ良かったのだ。

盛岡のフェスの時、サウンドチェックでウチのギターテックがレオを弾いたところ、それを見てたライブハウスの店長が目を丸くしてオレのところにすっ飛んできて、「なにあれ!?すげぇ音してんな!ファルコンってあんな音すんの?バカじゃねぇの!」って興奮してた。そういう場面を増やしていけたらいいな、と思う。

今後…どのギターをツアーに持ってってステージで弾くか、さっぱり自分でも見当がつかない。まだまだ機会や縁があればいろんなギターを入手して弾きたいし、突然「なんじゃあれ?」っていうギターを手にステージに上がるかもしれない。

今のオレは「行けるうちに行けるとこまで行ってやれ」っていうモードだ。それもある日パタッと止むかもしれない。もうそれは分かんない。なにしろオレの根本は「ただのギター好き」だし、音色がどうとか操作性がどうとかいうのももちろん大きな問題だが、「ギターが好き」の正体は「単なる憧れ」でしかない。「カッコいいと思うから持ちたい」、結局そこに尽きるのだ。それが立派なモチベーションだし、それくらい単純で全然いいんだとオレは思う。

「今回は ESP の助六でいくか、いややっぱり Gibson のフレディーかぁ…それとも Gretsch のレオ君かな…」とか、しばらくの間は贅沢な悩みに浸りたい。

あー、ギターの話は止まんない。他にもこの1年で入手したギターが数本あるし、話したいエピソードもあるのだが…完全にトゥーマッチになってきたので、今回はこのへんでやめておこう。

今後、最近作ってもらった「横山健 公式サイト( http://kenyokoyama.com )」があるのだが、そこで近いうちにギターギャラリー的なページを作って、少しずつ自分の所有するギターを紹介していきたいと考えているので、興味がある方はそちらも是非覗いてみて欲しい。

2014.10.07

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