フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック
Vol.9
シンコー・ミュージックから発売される『ヘドバン』というムック本があります。アイドルBABYMETALのメタル的魅力や、X JAPANのスラッシュ的側面についてクソ真面目に検証したり、怒髪天がフラットバッカーを真剣に再評価しているなど、なんか非常に暑苦しいエネルギーを持つメタルカルチャー雑誌。編集者は、私が駆け出しの頃からお世話になっているUさんです。
そのUさんから連絡が。「今度、ラップメタルについて本気で再検証するから原稿書いて」。わはは、今ラップメタルですかぁと笑いつつ、アンスラックス、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、バイオハザードやKORNなどの作品を次々と引っ張り出す。ここまではノスタルジーだけど、いざ聴き直すと当時の感覚が再燃するし、当時はわからなかったことも明確になってくるもので。過去のムーヴメントをきちんと「検証する」というのは音楽ライターの大事な仕事のひとつです。
でね、指折り数えて急に愕然としたんです。これ……20年前か!
今は2014年なので1994年は20年前。当たり前のことを書いていますが、カート・コバーンが死んだのも、グリーン・デイがブレイクしたのも、KORNが登場したのも20年前。オアシスのファーストも、ビースティー・ボーイズの『イル・コミュニケーション』も、NOFXの『パンク・イン・ドラヴリック』もハイ・スタンダードの『ラスト・オブ・サニーディ』も、ぜーんぶ20年前の作品なのですよ。うわぁ、と思いません?
1977年生まれの私は、多感な十代を90年代のロックで過ごしたので、90年代のサウンド、カルチャーや価値観は今も永遠です。これを読んでくれる方の大半はハイスタが好きでKen Yokoyamaもピザも好きという人だろうから、たぶん同世代とか、ちょっと下とか、ともかく90’sカルチャーには多少なりとも触れているんだと思う。
もちろん「AIR JAM2000」のビデオを後追いで見た、90年代のことは全部後追いだけど、パンク・バンドがあんなことできるなんて伝説っすよね、というヤングもたくさんいるでしょう。そう、00年代に入ってからよく聞くのは、ハイスタを伝説化し、90’sパンク/ユースカルチャーの集大成であるAIR JAMに「憧れた」と語る若者の声です。「はぁ? 古いっしょ!」と否定する人には会ったことがない。これって実はものすごく奇妙なことなんですよ。
もちろん世代交代はありました。たとえば有名レーベルを俎上に載せてみれば、エピタフやFATが牽引していた90’sパンクは、00年代になってドライブスルー(ニュー・ファウンド・グローリー等が所属)のほうが人気となった。日本だとドライブスルー直系の音を出すエルレガーデンのほうが、ソロとなったKen Yokoyamaよりも売れたわけで。あとファッションも短パン主流からシャツにタイというパンク・バンドが増えました。服装の流行はわかりやすいから、ボロボロのネルシャツとかビッグサイズすぎるTシャツとかをタンスの奥にしまってある人も多いんじゃないかな。
famのドラマー、ZAKIこと山崎くんから印象的な言葉を聞いたことがあります。「高校の頃ブリンク182やニュー・ファウンド・グローリーがめちゃ流行ってて、そのあとにラグワゴン聴くと、音が良くないじゃないですか。音質が悪くて聞きづらい、だったら聴く必要ないっていう奴も同い年には多かった」。……なるほどねぇ。しみじみ納得します。
邦楽に置き換えれば、エルレ聴いた後にハイスタ聴くと演奏ガチャガチャだし歌もヘタ、という話で、そりゃ誰もがそう感じるでしょう。横山さん本人やピザのスタッフだって真顔で認めると思います。90’sのサウンドや精神を継承しながら、曲の完成度や演奏力をどんどんブラッシュアップさせていったのが00年代のバンドで、よりクオリティが高いものが用意された時代にわざわざ過去の音楽を聴く必要がない。当たり前っちゃ当たり前ですね。でもそれは、本当の意味での世代交代なのでしょうか。
過去のロック史を見れば、だいたいのムーヴメントは次の世代によって否定され、一度は葬り去られているものです。70年代のハードロックやプログレは、パンクの登場によってダサいものとなる。ロックが好きなら長髪が当たり前だった時代は終わり、みんなが髪を切り落としてパンクに飛びついたわけです。そのパンクも数年でブームが終了し、パンク・イズ・デッド、次はニューウェイヴだという時代になる。これはイギリスの話で、アメリカでは80年代にド派手なメタルやハードロックが全盛期。それを真っ向から否定して、普段着で登場したのが90年代のニルヴァーナであり、そのあとに出てきたオルタナ/メロコア/ミクスチャー系のバンドなんですね。
90年代の中心にいたのは、先ほど書いたとおり、20年前の名盤を作ったバンドたちです。そして、これが重要なのだけど、彼らは新世代のバンドに全否定されたことがない。短パンにスケボーだったのが黒シャツに赤タイになるというファッションの反動があり、音質や演奏技術が高まるという進化はあっても、精神や価値観までは覆されていない。だから、もう聴く必要がない、と思われることはあるかもしれないけど、「何そのダッサイの! 古っ!」みたいに笑われることがないんです。良くも悪くも。
良い面は、ロールモデルであるミュージシャンがオトナになれること。経験値を高め、見聞を広め、何より自分の言動や行動に責任が取れるようになる。40代前後のロックスターやパンクスは、音楽だけじゃなく、生き方そのものを見せることで未だリスナーを勇気づけ、未だ憧れの対象としてオッサンになっていく。昔のスターが見る影もなく太ってしまって…みたいな、惨めな成れの果てがないことも今の時代の特徴でしょう。まぁ、オアシスのギャラガー兄弟は今も汚い言葉で兄弟喧嘩しまくってますが、これはチャーミングな例外ということで。
悪い面は、否定されたことがないので、青春の終わりを知らぬまま今も若いつもりのオッサンやオバサンになっていること。自分がいい年であると気づかないまま、聴いているのが懐メロだと気づかないままだから、オトナになりきれていない。一言で言うなら、イタい中年。これはジェイソン・ライトマン監督の映画『JUNO』とか『ヤング≒アダルト』などの作品に詳しいのですが、うわっ、自分のことかも!と思う人はちょっと気をつけたほうがいいかも。自戒を込めて。
選挙に行けとツイッターで繰り返す横山健さん。そのやりとりの一部が「ガキすぎる」と批判されたりしていましたが、これは今書いた「良い面」と「悪い面」が如実に出ている例だなぁと思います。オトナとして国の未来を考えている反面、オトナになりきれていないガキっぽさがあるというか。まぁ、そういうことを私がここでバーンと書いても怒らない人だと思うので、そのへんは信頼のおけるオトナなんですけども。
2月6日発売の「サムライマガジン」。表紙はKen Yokoyama×TOSHI-LOWで、ありそうでなかった二人のロング・インタビューを担当しています。90年代の価値観、そして00年代を超えて2010年代になった今、世代交代はあるのかどうか。そんなインタビューの内容が今回のコラムを書くきっかけになっています。ぜひ、読んでみてくださいね。
2014.02.06