フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック
Vol.2
どうも。二度目の石井恵梨子です。コラム書き始めて思ったけど、同じShitページに並ぶ健さん、当然ながらミュージシャンだから「ツアーを終えて」とか「新作に向けて」とか、みんなが食いつくトピックが多数ありますね。対してワタクシ……たとえば「インタビューを終えて」のあとに続くのは「淡々と文字起こしを続けています」みたいな作業であり、このクソ地味な仕事風景は誰が読んでも面白くないよなぁ。日々の話、フリーライターの日常。さて、何を書きましょか。
改めて書くと、私の職業はフリーランスの音楽ライター。学生時代に投稿した原稿が掲載されたのがきっかけですが、愛読する雑誌に自分の名前が載るって、本当に信じられないくらい嬉しいものです。バンドマンであれば、よく通っているディスクユニオンやタワレコに初めて自分の作品が並んだ、みたいな感動じゃないかな。それで調子こいて投稿し続けていたら「そんなに書きたいならレビュー書く?」と声をかけてもらい就職活動もしないまま卒業、なんとなくフリーのライターとして自立していたと。もしライター志望で「音楽雑誌で書くには、まずロッキング・オン社に就活しなければ」などと考えている人がいるなら、それだけが道ではないよ、と言っておきたいな。
けっこう曖昧なのだと思いますが、出版社の編集とライターは似て非なる職業です。たとえばKen Yokoyamaのインタビュー。何度も例に出すけど「ロッキング・オンJAPAN」では編集長の山崎洋一郎さんが記事を書いている。一緒じゃないかと思われそうだけど、これは編集者がライターを兼任している状態です。もちろん文章のプロだから書けて当然だけど、編集部はあくまで会社に属するひとつのチーム。常に「雑誌の全体象」を考えて行動する人たちです。アルバムで例えるなら、トータリティはもちろん、タイトルに曲順にアートワーク、発売のタイミングまでを考えるのが編集の仕事で、単にいい一曲を作ることに集中するのがライターやカメラマンの仕事というか。だから雑誌の司令官はあくまで編集者。そして彼らに、この音を書かせるならこの人でしょう、と思わせるくらいの専門性を持っていなければライターはやっていけない。その期待に応えることで(もちろん独自性も必要だけど、締切りや約束を守るとか、ごく普通のマナーも非常に大きいですよ)、我々フリーランスは仕事を続けていけるのですね。
これ、編集とライターのどっちがいいか、という話じゃないです。ただ最初からフリーだった私は、さまざまな雑誌で書く楽しみを先に覚えてしまったから、今さらひとつの雑誌に属したくないなぁと思うだけ。単純な話だけど、フリーのほうがいろんな人、いろんな編集部、いろんな世界を知れて面白いんですね。幸か不幸か、やたら気は強くなりますけど。
たとえば、以前よく書かせてもらっていた「DOLL」や「indies issue」。パンクやインディーズ系がメインだから、スラングの新譜が出るとなれば大きな話題になります。今回「indies issue」は表紙でしたね。編集長にとっては「あのバンドがこんな作品出すんだから当然でしょう!」と鼻息の荒い興奮があったかもしれない。でもその当然は、他の雑誌ではちっとも「普通」じゃない。スラングを完全スルーする音楽雑誌だってある。そら当たり前じゃんと言われそうな話だけど、もう少し続けます。
今年の2月に、週刊「SPA!」でハイ・スタンダードの取材をしました。エアジャム2012に向けて、東北の復興に向けての想いを、難波さんと横山さんが熱く語ってくれましたが、その時に記事担当の編集者のほか、もうひとりの編集者が同席していました。30代前半だという彼は「俺まじでハイスタ・キッズだったんす! コピーしまくってケン(←呼び捨て)の真似してギターにガムテまで貼ってたっすよ!」と大興奮。「今日はほんと、生のハイスタ見たくて勝手に来ただけっス。邪魔しないですから」と頭を下げる。微笑ましいというか何というか。まぁここまでは、よくある話です。そしてメンバーが到着するまで、彼とちょっとした雑談が始まりました。
「エアジャム11年ぶりだったんですよね。11年間、彼ら何してたんスかね」え、知らないの。「や、ハイスタ解散してから俺パンクほんと聴かなくなって」いや実は解散はしてないし、まぁいざこざはあったかもしれないけど、それぞれソロとかバンドやってましたよ。「難波(←呼び捨て)は聴いたんスけど、なんか意味わかんなくて」まぁでも、でもハイスタ好きだったら横山さんのソロはいいんじゃないの。「あれねぇ、ケンじゃなくて難波の声で聴きたいんスよね! 声が違うなぁと思って、それで聴くのやめましたね。だいたい自分も普通に聴く音楽とか変わってくじゃないですか」あぁ、そうなんだ。そうですかぁ。
ハイスタの大ファンで、青春捧げるくらい夢中になって真似をして、でもKen Yokoyamaの活動には何も興味がない。ピザオブデスの現在をよく知り、こんなコラムにまで目を通してくれるあなたには信じられない話かもしれません。でもそうなんです。もっと言うと、30代の平均的感覚に近いのはあなたじゃなくて彼のほうかもしれない。ご存知のとおり「SPA!」は30代サラリーマンを対象とする雑誌で、彼だって編集者として政治・経済、サブカルから風俗にまでアンテナを張っているのだし、決してカルチャーに疎いわけじゃない。それでも、これが普通かもしれない。なるほどなぁと思いました。
パンクが好きで、ライヴハウスで気の合う仲間とたわむれ、新譜が出るたびこれヤベェと盛り上がっているのはとても素敵なこと。これだけは絶対だと信じられる何かは、ないよりも絶対あったほうがいい。でも、ずっとそこにいると気づかなくなるんですね。ピザオブデスがインディーズ・シーンを牽引しているレーベルだとか、横山健のツイッターにはフォロワーが17万人いるとか、我々パンクリスナーが「当然っしょ!」と思うことが、世の中ではちっとも「普通」じゃなかったりする。それって会社でもライヴハウス仲間でも、いち編集部でもバンドでもいいけど、ひとつの場所にずっといると気づかなくなること、だと思うんです。
NO NUKESのイベントは大成功だったし、ユースト配信をあんなにも多くの人が見ていた。自覚的なロックミュージシャンが次々と「脱原発」の声をあげていて、賛同する一般市民のデモも熱い。「原発もういらないっていう感覚が普通っしょ!」と私も思います。でも、その普通は決してみんなのものではない。少なくとも政治や経済の世界ではゴミみたいなマイノリティ扱いされてしまう。いきなり話が堅くなったかな。でも私は繋がってると思う。
思い返せば高校時代。時代錯誤にスターリンが大好きだった私は、遠藤ミチロウの言葉に心酔し、爆音で聴いて心底救われているんだけれど、クラスのみんなはミスチルとかドリカムが好きで。まぁ友達もいないし、田舎だったからか私が知らなかっただけか、ロックカルチャー自体がほとんど皆無だった。今で言うなら、スラングの新譜すげぇ!と大興奮している私の周りを、EXILEのファン10万人が取り囲んでいるみたいな構図ですね。考えるとすごい孤独感。でもちょっと笑えるな。そしてなんか闘志が沸くよね。
やっぱりパンク好きって少数派なんです。ちょっと笑えるくらいの存在なんです。いまや音楽ファンさえ少数派という時代。でも、だからこそ強くいなきゃいけない。自分で考えなきゃいけない。マジョリティを笑い飛ばしながらタフに生き抜いていかなきゃいけない。なんか話が大袈裟になってきたけど、音楽が好きで、やりたいことがあって、フリーランスで生きていくって、つまりそういうことじゃないかと思います。
この話を書くきっかけは、「The Future Times」における横山健×後藤正文の対談にありました。お暇があれば読んでくださいね。
2012.08.20