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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.12

ずいぶんご無沙汰してました。何してたのかって、だいたい毎日オカンやってます。そればっかりです。西原理恵子の「毎日かあさん」って素晴らしいですね。何がってタイトル。かあさんは「毎日」なんです。休めない。気が向かないとか二日酔いだからとか言ってられません。「ごくたまーに父ちゃん」やってる旦那を見ると心で静かに思います。死ね。

もちろん育児がスタートした時期は、あわよくば育児雑誌の仕事が来るかもね、なんてヤラシイことを考えていたんですよ。『たまひよ』とかそういう有名なやつ。でも、全然こない。びっくりするくらい需要がない。とくに昨今は『CanCam』や『JJ』を読んでいたタイプに向けた「大人可愛いおしゃれママ」啓蒙路線が売れているらしく、きゃんきゃん? じぇーじぇー? 知らねぇなぁ、という私にご縁があるわけないですね。でぃーでぃーならわかるけど、それラモーンズ。こんなネタが精一杯であります。

つまり、こういうのをクスッと笑ってくれる人だけが私の文章を読んでくれるのだという当たり前の話でした。育自ごときで大手メディアに行けると思うなよ!という教訓。ははぁ。

書く場がないならここで書こう。育児雑誌に必要とされない育自ネタ。まずね、3歳半になった息子がものすごいバカです。今日も幼稚園に行く途中ふつうに歩いてて電信柱に頭をぶつけました。なんで? 幼稚園に迎えに行くと毎回服も顔も真っ黒になっています。なんで? 帰りも電信柱にぶつかります。だからなんで? とつぜん披露する自作の歌は「へい、へい、ゴリラ、へい、へい、おならだブー」。……頭が悪すぎる。  

なんですかね、たまたまボウズを見たウエノコウジ氏(the HIATUS/レディオキャロライン他)が開口一番「なんか昭和の顔してんなぁ」と言ってましたが、昭和感? あるいは下町感? すんごい出てる。上の娘は違うんです。贔屓目なしに見てもシュッとしてるし、性格もクールだし。でもボウズは両鼻から青っ洟を垂らして「へい、へい、ゴリラ」。そんで電柱にドーン。阿呆か、という日々であります。

電柱にぶつかる程度ならいいんですが、怪我もしょっちゅう。この秋には、なぜだか風呂場で遊び始めて、突然カラの湯船にダイヴをかましやがった(本人いわく「だいとびこみ〜」)。額がぱっくり。風呂場にブシューと血飛沫。ぎゃああと泣き出す娘。何が起きたかわからないまま釣られて泣くボウズ。とっさに絆創膏をバーンと貼る我々。ものの5分で騒動は収まり、本人もすぐ元気になったので、まぁいいやと放置していたんですが、これ、本来は救急医療に駆け込んで縫合してもらうレベルの怪我だったらしいです。あはは。

後日、怪我の様子を見てくれた大学病院・形成外科の先生も「たぶん、おおらかな昔の感覚で育てているんですねぇ」と微笑んでくれました。「今はどうってことない怪我でも大騒ぎで駆け込んでくる人が多い。昭和だったら赤チンでおしまい、みたいな傷ですよ」と。

赤チンって若い人わかんないよね。赤ヨードチンキという、怪我や傷の消毒に使われていた昔の殺菌薬ですが、そういや私、どんな傷でも「赤チン塗っとけ!」で済ませる母のもとで育ちました。遺伝って怖い。

さて、昭和なボウズは現在「ウルトラマン」が大好き。そして平成のテレビにはBSもCSもあり、「ウルトラマンタロウ」や「ティガ」のリマスター再放送をやっています。一緒にぼーっと見ていて、ちょっとびっくりしました。悪い怪獣が現れ、ピンチになるとウルトラマンがやってくる。筋書きは毎度同じですが、その前振りとなる話はけっこうヘビーなんですね。たとえば、私が見たのはこんな話。

おねしょをしてしまった少年。怒った父親が彼を家の外に追い出すシーン。
父「キサマ、そんな恥ずかしいことをして! もう家には入れんぞ!」
息子「父ちゃん、許してよう」
父「うるさい! (真剣を持ち出し)叩き斬るぞ! これは家宝の刀だ。本来はお前ごときを斬ると薄汚れてしまうんだがな」
息子「うわぁ、ごめんよう(泣き出す)」
父「キサマ、それでも士族の息子か! 恥を知れ!(戸を閉める)」
息子「(一人になったあと)……父ちゃん、母ちゃんが死んでからは毎日怒ってばかりだなりぁ。父ちゃんも辛いんだろうなぁ〜」

ええぇー!というセリフばかり。いわゆるカミナリ親父だけど、それにしても真剣って。家宝って。士族とか、今のテレビで聞かないよね。

あとは娘が大好きな「ドラえもん」の初期放送。こんなシーンがあります。
のび太「死んじゃったおばあちゃんに会いたいなぁ」
ドラ「タイムマシーンで見に行こう。でも話しかけちゃダメだよ」
のび太「なんで? 大きくなった僕を見たら喜ぶと思うんだ」
ドラ「ダメだよ。未来から来たなんて信じると思う? ビックリしすぎて、うっかりするとポックリ逝っちゃうかも…」

あぁ、これが本当の昭和だった、と目から鱗が落ちた瞬間です。子供の世界にも「死ぬ」という単語が当たり前に転がっている。禁忌も自粛もなく、慎重に扱われているニュアンスもなく、みんなしれっと「死ぬ」ことを話している。これはいつ頃から、なんのために、消えていった風潮なんだろうなぁ。なんにためにって、そりゃ言葉ひとつで傷つく人がいるから、不謹慎だから、なんだろうけど、「じゃあ誰も死にません」では世の中が成り立たないのも事実ですよね。

でも、今の子供の世界では、ほんとうに誰も死んだりしない。「さるかに合戦」のサルは寛大に許されるし、「花咲かじいさん」の飼い犬は悪者にボコられても死にはしないし、「オオカミ少年」だって噛み殺されたりしない。そんな物語を見聞きして、勝ち負けのない運動会で喜んでいるウチの二児は、やっぱり立派に平成の子どもなんだなぁと反省したわけです。

反省? いや反省することなの? よくわからないのも事実です。死の恐怖についてどこまで叩きこんでおく必要があるのか。それを教えられるほど私は死を知っているのか。怖いと泣き出す娘に対しなんて言ってあげるべきか。自問すればするほど口はモゴモゴと重くなりますよ。だって戦争は知らない。でも昭和は知っている。死がタブーという子供の世界は妙だと思うけど、常に死と向き合って生きてきたわけでもない。うん、ぬるいですね。で、自身がぬるいくせに、さらに若いゆとり世代を「もっとぬるい」とか思っていたりする。改めて考えると羞恥で身悶えするような話です。

でも、唯一「昭和を知っている」のが財産なら、他にないんだもの、それを使うしかないですね。戦争を体験してきた祖父母や先生の言葉を覚えている、そのへんに死という単語が転がっていた時代を知っているのは、もしかすると我々の世代が最後なのかもしれない。勝ち負けのない運動会。誰も死なない昔話。それは絶対当たり前じゃないぞという違和感があるなら、それをとにかく伝えていくのが親としての使命だろうなと思っています。平和ボケしないために、というよりも、平和ボケ反対だと軍備強化を進めたがる糞ジジイに断固反対するために。これを書いているのは衆議院選挙直前です。

高倉健や菅原文太の死と、V.A.『ジャパニーズ・カタナ』の発売が重なったのはほんとうにただの偶然でしょうが、任侠映画、実録物の東映映画の迫力は、監督も俳優もみな戦争経験者だからこそ、と言われています。で、『ジャパニーズカタナ』のほうはパロディだからこそ素晴らしい。どこまでもバカバカしいことを本気でやっちゃってるパンクスたち。大好きですよ。

映画館で味わった迫力。思わず買ってしまったサントラ。サントラというパッケージでこそ味わえるストーリー性。思わず真似したくなるスキット(台詞)の数々。詰め込まれたものは、いろいろ昭和だなぁと思う。でも本当の東映全盛期を知っている人はこんなの多分、いや絶対作らないですよ。なんとなく知ってる世代だから作れるもの。なんとなく真似したから面白くなったという表現。そういう伝承の仕方も、けっこう悪くないんだろうなという今回のオチ。おお、ただのオカンの話がうまくピザに繋がった!

2014.12.12

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