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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.34

「それこそThe Get Up Kidsは大きな境目だった気がする。だから、ここが俺の中での90’sパンクの終わり、なんだろうな。(中略)これがパンクにとって良かった最後の時代で、2000年代に入ってからはちっともいいことありません、ぐらいに思ってる(笑)」

現在リアルサウンドにアップされているKen Yokoyamaインタビュー、その発言の引用から始めます。ものすごく久しぶりのコラム。前回は何書いたっけ、と思って調べると、鹿児島のWALK INN FES!を取り上げています。あ、なんか繋がってるわ、とひとり勝手に納得するのでした。

「地元の人たちと話していくうちにイベントは格好よくなっていく」「これは規模に関わらずどこでもできること」。WALK INN FES!首謀者たちが語っていた言葉が本当になっている。そんな例をまた目撃してきました。20024年10月12日、北海道、苫小牧で行われたイベント「FAHDAY」のことです。

「FAHDAY」を立ち上げたのはNOT WONK、加藤修平。1994年生まれ、エルレやハイスタ経由でパンクを知り、ゲット・アップ・キッズなどエモに開眼。2010年からNOT WONKを始動させた加藤にとっては「ちっともいいことありません」がパンクシーンの常だったかもしれません。それは主に商業的側面において。CDは売れない、サブスクもまとまった額にならない、メジャーと組んだところで納得の結果が出るわけでもない。現在20〜30代のバンドに共通する話です。だけど、バンドの数はべつに減らない。みんなカネに換算できないピュアな夢を追いかけている。そう言えば聞こえはいいんですけどね。

実際、カネになんないのはしんどい。雑誌がバタバタ潰れていった頃から私自身が実感していることです。転職しよっかなーと何度も考えたけど、やっぱり「好き」を手放したくないし、文章を書きたい欲求は止めらない。こうなると「適当にこなせます」仕事なんか別にどうでもよくなって、私にしか書けない「好き」を極めてやりたくなる。常にライブや仕事がある日々でそのように思うかはわからないけど、コロナ禍での自分の判断はそういうものでした。それがロストエイジ本になったのはVol.31で書いたとおりです。

うっかり自分語りになっていましたが、たぶん商業的に「ちっともいいことありません」が続きすぎると、人ってそうなるんですよね。感覚的に非営利になるというのか、カネ目的じゃなく、自分の一番守りたいことが目的になる。そしてまた、ひとり黙々とゲームをクリアするのが趣味の人もいるかもしれませんが、誰かとチームになってぎゃあぎゃあ騒ぎながらゲームをするほうが絶対に楽しいと思うのです。目指すは個人利益ではなく公益、一緒に喜んでくれる誰かがいるもの。それはもう、善意のボランティア集団ではなく、好きにやる自由と責任を追いかけるクリエイターチームと呼ぶべきものですよね。

NOT WONK加藤たちが立ち上げた「FAHDAY」は、取り壊しが決まっている市民会館を借り切ってデカいパーティーを打つ、というプロジェクトでした。地元のバーや飲食店、DJや後輩バンドをまずは集め、あとは盟友と言えるカネコアヤノ、踊ってばかりの国を呼び、さらには苫小牧に来たことのないエゴ・ラッピンも招聘する。現実不可能な話ではないだろうけど、困難な壁もたくさんあったと思います。特に市民ホールのようなスペースは規定がやたら多かったりしますよね。金銭問題はもちろん、出店者それぞれの意見も含めて、本当に気の遠くなる時間をかけていたみたいです。

ただ、彼がやったことって、WALK INN FES!の野間太一くんと同じじゃないのかな、とも思うんです。すなわち「めちゃくちゃ喋る」コミュニケーションの基本。その結果なのか、会場で食べたヴィーガンラーメン店主の顔と、寒さに負けてブランケットを買い求めた雑貨屋店主の顔が、ほとんど同じだったのが印象的でした。知らない客である私を友達みたいな笑顔で迎えてくれた、このパーティー自体を「わがこと」のように喜んでいた、という意味で。これだけでも手作りイベントの空気の良さは伝わるでしょうか。

当日、こじんまりした会場内を常に歩き回っている加藤修平の姿を、いったい何度見かけたことか。主催者は裏にいるもの、大物ゲストのケアに追われるものと思い込んでいたけれど、そうじゃないイベントがあるんですね。ただ足を使って観客ひとりひとりを確認し、時に談笑している彼は、なんというか、集まった1500人と同じ目線であることをずーっと確かめているみたいでした。その姿がずいぶん誇らしく見えました。苫小牧市民でもないくせに、この街にこの人がいるのが誇らしいと、外部の人間である私が思ったんです。

これってどういう心理でしょうね? 単純に格好いいなという気分はもちろんある。ただ、突き詰めて考えると、これくらいしっかりローカルを持っていない自分が頼りない、誇るべきローカルも持たないまま、なんとなく東京にいる自分って何だろう、っていうことかもしれない。別に彼はそんなこと一言も言ってないんですよ。ただ、彼の立ち居振る舞い、音楽や活動を見ていると、なぜだか自分の無自覚を突きつけられる気がしてしまう。攻撃的なところはひとつもない、むしろ謙虚でフレンドリーな人物像なのに、いつ会っても鋭いパンクスだと思わされる、こんな人を私は他に見たことがないのです。

爆発的なCDセールス、あとは世界的ムーヴメントの連帯感、そこから派生した裾野の広さという意味で、パンクにとって一番いい時代は90年代だった。それは間違いない話だと私も思います。ただ、「ちっともいいことがありません」が続きまくった果てに、各地でまた確かな熱の磁場が生まれているのなら、それはパンクロックにとって最高にいいことなんだと思います。最後に、NOT WONKのステージから放たれた最高のMCを紹介しますね。

「わかる人にだけわかるっていうのはもう興味ない。自分が好きなものを、自分の好きな人たちに全力でぶつけていく。それはパンクバンドの仕事でしょ」

2024.10.23

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