フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック
Vol.27
ご無沙汰です。新学期、4月からけっこう忙しく過ごしております。ライター仕事じゃなくて学校で。小学校PTAの役員をやってます。
あっ、興味ないわ、という人はここでストップしてもらって大丈夫。私も子どもが生まれるまで、いや生まれて数年してもなお、自分にはまったく無縁の世界だと思っていました。そんなの冗談じゃねーや、くらいに。
子どもが乳児から幼児になり、集団生活が始まっていくと、もれなく付いてくるのが「保護者のお手伝い」。それはボランティアという名の労働で、やったところで特に褒められずギャラも出ない。まぁ面白くないです(きっぱり)。幼稚園ではバザーで出す廃油石けん作りとか、子供のためのおもちゃ作りなどがあり、誰も強制参加とは言ってないけど非常に断りづらい、あのイヤな空気を初めて体験しました。もちろん作業自体はいいんです。インタビュー起こしをするくらいの心持ちで廃油石鹸くらいは作れます。だけど、鬱陶しいのが周囲のお喋り。女の集団って一箇所に集められて手を動かしていると、なぜかみんなペチャクチャとどうでもいいことを喋りだすんですよ。井戸端会議って永遠です。
そういう保護者の作業日をまとめているのが、バザー委員とか、お世話係なんて名前で呼ばれるリーダーたち。新学期の段階で役員ポジションにつく数名です。何を作るか、どの作業に何人くらいの人員を割くか、何時に集まり何時に解散するか、具体的なことを事前に決めて全員に指示を出していく。こう書くと、学級委員とか生徒会みたいなイメージになるのでしょうか。
子どもの頃を思い出すと、学級委員になるのは、ガリ勉とは違うけど勉強ができて、先生からもたいそう可愛がられる優等生でした。でも大人になった我々、そういう単純な物差しを持たないんですね。以前はそれぞれ仕事があり肩書があったけど、主役が子どもの場所で「保護者」として並んでみれば、みな一様にのっぺらぼう。先生の覚えがめでたいとか全然関係ありません。じゃあ、誰がやるのか。
最初は真面目な人がやるのだと思っていました。なんというか「母親として正しそう」な人。全身から優しさが溢れていて、料理は全部手作り、お裁縫とかも得意な人。世話好きで気立てがよく、化粧っ気はないけど清潔で、いつも子どものことを一番に考えているような……。ははは。何それ!? 今となれば断言できるけど、いませんね、そんな人。みんな「育児めんどくさい」と考えているし、数分でもいいから「自分だけの時間が欲しい」と思っている。幼稚園のバザーなんてさらに億劫ですよ。ただ、こういう行事っていきなりは止められない。中身を変えるにしても、まず中枢に行き全体像を把握する必要がある。続行にせよ変革にせよ、必ず誰かがやらなきゃいけないんです。つまり、「誰がやるのか」の答えとしては「やる、と決めた人」です。シンプルでしょ?
やる、と決めた人は、要するに、自分で決められる人。役員をやると決める。そんで中身を決める。誰に何を振り分けるかを決める。いろいろ上がってくる意見にどう対応するかを決める。突っぱねる時は突っぱねる。場合によっては先生方と対立することもあるから、学級委員とは真逆のタイプが向いているかもしれないですね。考えてみれば学級委員って、あくまで大人のコントロール下で立ち回る便利な小間使い程度のもの。あれを「できる子」だと思っていたなんて! 大人になってから初めて気づくのでした。
これはもう性分、良いも悪いもない話なのだけど、私の場合、役員をやるほうが気持ちがスッキリします。単純に、誰かに指図されるのが大嫌い。人の決めたことをズルズルやらされるのが耐えられない。永遠に続きそうな井戸端会議に放り込まれるよりは、一時間のミーティングで判断したい。そこで決まったことを文章にまとめるのは普段の仕事でやってることだから、同じ「めんどくさい」でも、サクサク終わらせていける。保護者の活動と自分の性格の折り合いを考えていくうちに、自然とそういう結論が出ていました。
もちろん、まったく別の考えの人もいるんですよね。「決められたことに従うのは得意、だけど自分が先頭に立つのは嫌」みたいな。飼い慣らされたクソ羊め、おまえ全然パンクじゃねぇな、なんて最初は思っていたけれど、そういう人たちは本気でそう考えているのだし、目立たない歯車のひとつとしての立場を望んでいる。話をしていると「人前で意見を言うのがとにかく苦手」「頑張りはするけど、一番になりたくない、二番でいい」と真顔でいう人もいて。比べると自分はどんだけ出たがりなのかと恥ずかしくなるんだけど、私と彼女の関係はお互いに「あなたみたいな人がいるから、私の役割がある」という均衡を保っているわけです。世の中はうまくできてるなぁ。
さて、幼稚園も終わって現在の小学校PTA。いまは強制加入問題なども騒がれているし、もはやPTA自体が非効率的な存在になっている。それは私も思います。うちの小学校は強制もポイント制もない、基本自薦のシステムですが、やっぱり面倒な部署にはなかなか人が集まらず、新年度の係決めでは全員無言で黙り込む時間が続きます。「私じゃない誰かがやればいい」「とにかくこの時間を無難にやり過ごしたい」というあの重たい空気、全国どこも同じみたいですね。
ただね、いざ通年の作業が始まり、「やる、と決めた人」ばかりになると、活動って意外にスムーズなんですよ。みんな肚を括ってるから、どうせなら早めに終わらせましょうというムードで物事がサクサク動いていく。決めるまでは死ぬほど感じの悪かった空気が、気づけばものすごく良くなっているんです。
ライヴもそうですよね。「見せたい人」と「見たい人」しかいないワンマンは最初から激アツで盛り上がる。だけど「見たい人」と「別にどうでもいい人」が混ざっているイベントだと、まぁまぁ平均点、それなりのライヴが増えていく。さらに「見せたい人」と「まったく見たくない人」が交差する路上ライブなんか、舌打ちや罵倒も当然にあって、みんなが一体になるほうが奇跡ですよね。つまり、いい空気って、人の積極性が作り出すものなんだと思う。どんな仕事も、どんな空間にいてもそうじゃないのかな。「別にやりたくねぇな」「どうでもいい」と思っている人のオーラって、すぐ人に伝染する。となると途端に空気が淀む。やる気とかクリエイティヴに繋がる何かが、霧散してしまうんですね。
あ、PTAが素晴らしくクリエイティヴなものだ、だなんて全然思ってないですよ。やる必要のない前例が山ほどある。無駄と思える確認作業が圧倒的に多い。でも、いきなりは潰せない。誰かがやらなきゃいけない。それにどう関わるかは考え方次第だけど、いざ、この世界に入ってみた私からのアドバイスはこうです。
「いずれにしてもめんどくさい。ただし、どうせなら思い切り中枢に飛び込んだほうが空気はいいぞ!」
2019.05.13