-- 待望となる新作が完成したわけですが、今年は結成20周年という節目でもありますよね。
KEMI(Ba./Vo.) でも、そこはあんまり意識してなかったんですよ。
TAKA(Vo./G.) もともとは僕とKEMIでダラダラと始めたようなところもあるし、そんなドラマティックなバンドじゃないんですよ(笑)。
-- せっかくの機会なので改めてお伺いしますが、BURLはどういった流れで始まったんですか?
TAKA 当時、僕はSLUG GO!、KEMIはKNUCKLESをやってたんですけど、KEMIが先に辞めたのかな?
KEMI そうそう。
TAKA 当時、メロディックパンクが大阪のシーンではかなり多くて。でも、僕はもうちょっと初期寄りのパンクロックをやりたいのもあり、SLUG GO!を辞めて、KEMIとBURLを始めたんですよね。
-- 初期寄りのパンクロックと言いますと、どのあたりのバンドをイメージしますか?
TAKA 初期パンク全般、いろいろ好きで聴いてはいましたけど、僕がずっと好きだったのはラモーンズ。で、KEMIがザ・クラッシュか。
-- 初期パンクに根ざしたバンドは、大阪には少なかったんですね。
TAKA そうっすね。
KEMI とにかく、メロディックパンクがめちゃめちゃ流行ってました。
-- 大阪を拠点にしてるlocofrankとGOOD4NOTHINGも今年で結成20周年ですから、そういった志向のバンドが多かったのは頷けますね。BURLを結成して2年ほど経ち、00年に1stシングル『Run Up Flight Of The Stairs』を自主レーベルであるHEAVY COVER RECORDSより発表しました。足早に活動を進めた印象もあります。
KEMI アレは2年ぐらいか。順序としては、まず最初にデモテープを出して、そのすぐ後に同じノリでシングルをCD-Rで作ったんですよ。当時、TOWER RECORDSをはじめとするレコード屋さんがCD-Rも扱ってくれたんで置いてもらったら、結構売れて。で、その流れでプレスして正式な作品としてリリースしたんですけど、全国的にはちょっと厳しいところもありましたね。
-- その時期ですと、BURL、KNUCKLES、3.6MILK、PETの4バンドで開催していたイベントであるOSAKA BURNINGの印象も強いですね。
KEMI やってましたね。KNUCKLESは僕も同郷で在籍もしてたし、他のバンドもみんな仲も良かったんです。だから、仲間内でやったイベントであって、そんなに深く考えがあったわけでもないんですけど。
TATSUYA!(Dr.) その当時、僕はPETでドラムを叩いてたので、OSAKA BURNINGの中のひとりでした。BURLはファンとして普通に観てて、好きでしたね。
-- 映像チームとコラボレーションしてたこともあり、面白いムーブメントな感じもしましたが、どうでした?
KEMI やっぱり、面白かったですよ。
TAKA ただ、盛り上がりとしてはどうだったのか、自分たちじゃわからない部分もありますね。
KEMI 仲間内で盛り上がって始めたイベントだったんですけど、バンドマンはちゃらんぽらんなところもあり(笑)、TAKAがひとりで頑張ってたところもあったような。
TATSUYA! KOSUKEは観に来てたんやな?
KOSUKE(G./Vo.) 観に行ってました。僕は(BURLの)メンバーよりも5つ下なので、そのころはバンドを始めて間もないし、怖い先輩たちのイベントに足を運んでテンションがアガってましたね。
-- 当時のKOSUKEさんからすると、あの周辺には怖さもあった?
KOSUKE 高圧的な怖さがあったというわけじゃないんですけど、僕らみたいなヤツらにも共有できるヤバい空間を作ってくれてるみたいなイメージでした。だから、衝撃でしたよ。
-- 03年には1stフルアルバム『GOT TO GET PUNK INTO MY LIFE』も発表し、ツアーも開催。その翌年である04年には1stミニアルバム『STOP THE FUCKING WAR』も完成。バンドとして充実した時期と言いますか、いい反響もあったのかなと想像します。
TAKA ただ、そんなに動員が伸びるわけでもなく、『GOT TO GET PUNK INTO MY LIFE』のツアーもかなり厳しかったんですよね。
KEMI あんまり地方にもライヴをしに行ってなかったし、知名度はなかったんじゃないかな。それこそ月に12回とか、とにかくライヴはやってたけど、バンドとしてのやり方もわかってなかったし。
-- いろいろな展望を描いたりもせず?
KEMI いわゆるメロディックも好きなんですけど、一貫して初期パンクがずっと好きなんで、そういう音を鳴らしていきたいというのはありましたけど、それ以外は何も考えてなかったかもしれない。良くも悪くもでしょうけど。
-- そうなると、この時期に連続して作品を発表したのも計画通りということではなく、いいアイデアが浮かんだ瞬発力に従ったような。
TAKA そうっすね。『GOT TO GET PUNK INTO MY LIFE』を自分たちでリリースして、何とか形にはなったから、曲もあるし、次の作品もやろうか、っていうぐらい。
KEMI バンドとして考えれば、『GOT TO GET PUNK INTO MY LIFE』から『STOP THE FUCKING WAR』の間にドラムも替わってますからね。
-- しかしながら、そういう状況でも曲作りは行っていたという。バンドって、リリースの予定が無いと曲作りが進まないことも多いじゃないですか。
KEMI 僕ら、TAKAが持ってきた元ネタをスタジオで仕上げてくタイプなんで、ドラムが決まらないとなかなか進まないんですけど……
TAKA どうやったっけ? あんまり憶えてないな~。
-- メンバーが落ち着かない間は、普通に考えれば辛い時期だったと思うんですけど、そういったところも印象には残ってないですか?
TAKA たぶんね、充実はしてなかったんですよ。ただ、そういう状況が普通に感じちゃって、それが当たり前みたくなってたのかもしれないですね。
-- その後、05年にライヴ会場限定でカバーアルバム『HEAVY COVER SONG』を発表しましたが、流通する作品としては2ndフルアルバム『GREEN LIGHT MAKES A PURPLE SHADOW』までかなり期間が空きましたよね。
TAKA そうでしたね。
KEMI ドラムが決まらん時期もあったし、(TAKAが)RAZORS EDGEをやってたのもあったり。
TAKA あ~、そっか。そのちょっと前にRAZORS EDGEをやり出したのか。
-- TAKAさんは05年にRAZORS EDGEへ加入されましたね。
TAKA だから、(BURLは)思うような活動をしてなかったと思います。でも、そこまでそこにストレスがあったかと言えば、俺はそうではなくて。KEMIと当時のドラムはわかんないけど。でもRAZORS EDGEで得たものはすげーデカかったな。当たり前の事だけどRAZORSに入ってなかったら今のBURLもないし。すげー成長させてくれました。
-- 09年に『GREEN LIGHT MAKES A PURPLE SHADOW』を発表しましたが、そういった期間を経ての作品かつフルアルバム。テンションもアガるタイミングではあったのかなと。。
KEMI ただ、フルアルバムにするかどうかは最後までわからなかったんですよ。
TAKA リリースはKENJIさん(RAZORS EDGE)が主宰するTHRASH ON LIFE RECORDSから、リリースさせて頂いたんですが、曲ができてどうしようかなと思い、「どうっすかね?」と聞いたら「全然いいよ!」というような感じだったんです。だから、特に意気込んでやったというより、自然な流れやったんですよね。BURLをちゃんと理解してもらってる人(KENJIさん)でしたし。
-- その後、メンバーの脱退・新加入もあり、活動のペースとしては穏やかでしたよね。
TAKA そうでしたね。。
KOSUKE 周りからも動きがあんまり見えなくて、解散したんかなと思ったこともあったぐらい。でも、ライヴで観る機会があって「やってるやん!」みたいなこともありましたね(笑)。
-- そして、14年にTATSUYA!さんが加入します。先ほどの話にもありましたが、PETに在籍されてた時期もあり、勝手知ったる仲ではあったと思いますが、どういったキッカケで加入することになったんですか?
TATSUYA! 加入する前って、バンドはもうやってなくて、自分は東京でサラリーマンでした。そんなときに下北沢ReGで大阪三羽烏という、BURLとGARLICBOYS先輩とSPREADのイベントがあって、挨拶をしに行ったんですよね。で、(BURLの)ライヴを観たら、やっぱりカッコいいなと思って。BURLがドラムを探してることは知ってたし、何となく「オレができたらいいな」と想像してたら、TAKAさんに誘われたんですよね。まあ、実際に声をかけてもらったときはビックリしましたけど。
KEMI そのころ、RAZORS EDGEのKRASHやDizzy Sunfistのもあいくんに手伝ってもらったりして、(ドラムを)ヘルプで繋いでた状態だったし、凄く困ってたんです。それこそ、毎回のライヴでドラムが替わるような状態。
TAKA とは言え、誘ったはいいけど、後々になって考えたら(TATSUYA!は)東京やし、なんとかなるとは思いつつも「どうしようかな?」とは考えましたね。
-- TATSUYA!さんはすぐに決心したんですか?
TATSUYA! いや~、いろいろ考えましたよ、やっぱり。ただ、最後は「好きな事はやりたい」っていう、シンプルな答えにたどり着きましたね。せっかく好きなバンドに誘われたんやし、やろうと決めました。
KEMI TATSUYA!もすぐに大阪へ引っ越してきましたからね。もう、ええ歳じゃないですか。
TATSUYA! そのときは36歳か37歳やったから、まあまあええ歳やったな(笑)。
KEMI 生活環境を変えるのもたいへんなのに、シンプルに決断してくれて嬉しかったですね。
-- そこから2年、KOSUKEさんが加入することになりました。
KOSUKE ずっとBURLは3ピースで活動してきたじゃないですか。だから、ライヴを観に行って打ち上げに出たときにTAKAさんに誘われたんですけど、予想もしてなかったですね。最初、どういう気持ちというか、「3人でやってるバンドが僕を誘ってどうするんやろ?」みたいなところもあったし。
-- TAKAさんとしては、4人でやりたいイメージがあったんですか?
TAKA 絶対に4人や、っていう感じではなかったんですけど、何かぼんやりとそういうイメージがあったんですよね。まあ、KOSUKEはキャラも面白いし、入ってくれたら楽しいやろうなと。
-- 3ピースのバンドが音数や厚みを求めて、メンバーを増やすことがありますけど、そういったところに関しては?
TAKA 楽器の音の厚みは、さほど考えてなかったけど、声、コーラスの厚みは欲しい所があったのよ。
-- しかし、長年3ピースでやってきたBURLが4ピースになったのはかなり驚きましたよ。
TAKA 3ピースのバンドって、(4ピースになると)良くなくなるパターンもありますしね。
-- できることが増えた分、すっきりした部分が無くなったり。特にBURLはシンプルにパンクロックを鳴らしてきたバンドでしたから。
KOSUKE だから、僕もすぐは飲み込めなかったんです。
TAKA メンバーやスタッフを含めて、反対意見もありましたから。
TATSUYA! ちなみに、僕は反対でした。
KEMI でも、僕やTAKAはずっと(3ピースで)やってきたけど、そこだけにこだわるつもりもなくて。「面白そうなら全然いいやん」みたいな。実際、バンド名を変えても、みたいな話もあったりとか。4人でやりたいなら、それがええんちゃうって。
TAKA 何やろう……カッコいいとかカッコ悪いみたいなジャッジって、他人さんがすることであって、自分たちがやりたいこととはまた違う尺度だと思うんですよね。
-- 4人になったBURLの感触はどうでしたか?
TAKA そりゃもう、楽しかったですよ。
-- 加入したKOSUKEさんとしては?
KOSUKE やっぱり、自分が何をするべきかを考えましたよね。僕がたまにヴォーカルをしたらカッコいいんかな、とかいろいろ想像したし。そうしたら、「じゃあ、KOSUKEがここは歌えば?」みたいなことにもなり、展開は凄く早かったなと思います。
-- KOSUKEさんが歌うようになったのは当初からのアイデアではなく、合わせてる中で生まれたモノだったんですね。
TAKA そうでしたね。
KEMI KOSUKEはもともと(それまでのバンドでも)ヴォーカルやったし。
-- 新作でもそうですが、BURLに新しい色味をもたらしたと思いますよ。
KOSUKE まあ、「歌えるんやったら歌えば?」みたいな感じではありましたけど(笑)、そう言ってもらえると嬉しいですね。
Vol.02へ続く
Interview By ヤコウリュウジ
-- 6月に1st Fuckin' Demo『FREEDOM SOUND』、8月に2nd Fuckin' Demo『FUCK』、10月に3rd Fuckin' Demo『IN THE WAR』というデモCDという形で3枚リリースしたこともありますし、17年はかなり動きの多い1年でしたよね。4人になって、いろいろやっていこうと考えもあったんでしょうか?
TAKA 完全にギアは上がりましたよ。曲作りもスムーズにいったし、デモも3枚ぐらいは出したいなと考えたし。
KEMI デモの曲作りはかなり早かったですね。いつもは凄く時間がかかってたけど。
TATSUYA! あっ、そうなんや。僕とKOSUKEはその以前の感じを知らないですからね。BURLになって、初めての作品作りでもありましたし。
-- 作品としては『GREEN LIGHT MAKES A PURPLE SHADOW』以来のモノとなりますし、考えてみればそうですよね
TAKA たっちゃん(TATSUYA!)とKOSUKEが入って、僕はRAZORS EDGEと並行してやってましたけど、仕事も忙しくなってきて、責任がある立場にもなってきて。1日24時間しか無い中で、バンドマンと両立して力を注げるやり方というか、そこを考えたとき、RAZORS EDGEはこのままじゃちょっと無理かなと思い、辞めさせてもらったということもありましたから。
-- 『FREEDOM SOUND』、『FUCK』、『IN THE WAR』という作品に関して、久しぶりに打ち出すモノになったわけですし、表題曲やリリースする順番等、何か意識したことはありましたか?
TAKA タイトルからもわかる通り世に対する文句が多いです。(笑) BAND同士の付き合い方や自称PUNKバンドへの文句だったり。 この頃には、アルバムの構想は8割ぐらいあったんですよ。で、いきなり4人体制でアルバム制作に取りかかるより、なにかRECを一回挟んだ方が、色んな発見や気付く事はあるだろうと。 それならもう一回BANDとして仕切り直す意味でデモから初めて、 音源を3枚出せた方が経験値もあがるかなあと。 ツインギターの重ね方、アレンジ、MIX具合、KOSUKEのヴォーカルも試してみたいってのもあったんで。 デモシリーズ3部作のリリースの順番は、特にこだわりはなかったけど、 BREAK OUTが初めての日本語だったんで、いきなりはやめとこうと。 後はデモに入ってるShitとFuckは 同じ盤じゃないなと。そうなるとバランスのいい組あわせで自然と決まっていった感じっすね。
-- そして、新作『JUST PUNK,GO!!』の完成へと繋がるわけですが、PIZZA OF DEATH RECORDSからのリリースはどういった経緯だったんでしょうか?
TAKA Hi-STANDARDが好きでLIVEの入り待ちして、 「いっしょにLIVEがしたいっす」って(横山)健さんに何回も音源渡したり、 PIZZAに手紙も送ったなあ〜。意外に4人になって初めてデモを3枚リリースした後、健さんに「PIZZAからリリースしたいっす!」と初めてリリースに関してのお話させてもらったんですよ。もちろん、レーベルとしての事情もあったと思うし、最初はやんわり断られたんですね。「WANIMAの次のアーティストになるしね」って(笑)それがどこでどうなったかわからないんですが、このリリースに繋がりました。(笑)
-- 今回、新曲はもちろん、ライヴでの定番曲やデモCDにも収録した曲を含めた、今のバンドをしっかり詰め込んだベスト盤のような作品になったわけですが、そのあたりについてはどう考えていたんですか?
KEMI いつもライヴでやってる曲も入れようという考えはもともとあったんですよ。
TAKA 久々のリリースにもなるし、ベスト盤じゃないけど、新曲を折り込みつつ、これまでのBURLの色も出す作品にしたいねとみんなで話はして、 PIZZAからも,今のBURLのLIVEでマストな曲をセレクトして欲しいと。
-- 既存曲も収録するとなったとき、どのあたりをピックアップするかはすぐに決まりました?
TAKA 収録曲に関しては、健さんともいろいろ相談しつつ意見をもらい、みんなで考えていったんですけど、ピックアップは早かったですね。
-- 健さんから意見をもらったというのは新曲に関して?
TAKA いや、全曲です。だから、めっちゃたいへんやったやろうし、鬱陶しいときもあったんじゃないかと(笑)。でもちゃんと1曲1曲コメントと点数つきで 返して頂いてね。あのメールは今でも画像に残してます(笑) 5点満点で。そういや1曲6.5点ってK点越えあった!
一同 ハハハハ(笑)。
-- バンドとして「この曲は外せないだろう」みたいなところだったり、新曲と既存曲のバランスはどう考えてましたか?
TAKA いや、みんなそういうところは考えなかったですね。PIZZAや健さんからも「新曲を多めで」とか「デモCDの曲も入れよう」みたいなのは無かったし、自然とピックアップしていったらこのバランスになったというか。健さんの点数低い曲も入ってるし。
KEMI あえてと言うか、新曲と既存曲の区別もしなかったんです。バランスにとらわれることなく、今のBURLを伝えるにはこの曲たちがベストだろうっていう考え方でした。
-- いろいろと精査した結果なんでしょうけど、新作はバランスが凄くいいですよね。BURLのパブリックイメージと言いますか、力強いショートチューンなパンクロックナンバーもあれば、作品終盤に位置する新曲では柔和な表情もあったりしますし。様々なパンクロックを楽しめる1枚だと感じました。
TAKA うわ~、嬉しいな~。
-- 聴き応えもありますし、ここからいろんなパンクロックへ派生する作品だと思うんですよね。
KEMI 曲順も凄く悩んだんですよ。TAKAが毎日のように「これはどう?」って曲順のアイデアを送ってくれたんですけど、どれもいいし、もうパターンもありすぎて、最終的には何の感想も出なくなったぐらい(笑)。
一同 ハハハハ(笑)。 KEMI 一生懸命に考えてくれてるんで、もう全部褒めてましたね(笑)。
TAKA 途中でKEMIはどれでもええと思ってるのは伝わってきました(笑)。
-- TATSUYA!さんやKOSUKEさんから曲順に関して何かリクエストをしたりは?
TATSUYA! いや、僕は一切なかったです。
KOSUKE 僕もそうでしたね。曲の核を作るTAKAさんが考えるのがいちばん正解かなと思ってました。作った人だからこそのイメージもあるだろうし、そこから派生したモノを何百通りも提示してくれたわけやし。
-- 冒頭を飾る「COME ON BOY」には、ど頭に"I'll keep my PUNK way!(パンク道をいくぜ)"という歌詞があります。曲調もそうでしょうが、まだまだ突き進むというバンドの意志がまず飛び込んでくるのが痛快でした。やはり、この曲が1曲というイメージはすぐに浮かびましたか?
TAKA いやー1曲目はかなり悩んだんですよ。KEMIが言ってた通り 毎日色んなパターンをiPodにぶち込んで、お肉切りながら聞いて、(笑) 歌詞は20年近く前に作ったんですけど、改めて見ると、なんにも俺変わってないやん!って。
-- 前半が既存曲中心、後半が新曲中心となっていますよね。 KEMI そこもあんまり分けて考えてなかったんちゃうかな。
TAKA そうっすね。
-- 今のバンドの良さを伝えることのみを考えたという。
KEMI 僕らにとってはずっと染み付いてる曲やったりもしますけど、このタイミングで初めて聴く人もいるわけやし、そこはピュアにやりましたね。
-- 新曲を制作する際に、イメージ通りに素早く完成した曲、イメージを具現化するのに苦労した曲、また当初の感触とは違ったいい形で仕上がった曲等、何かエピソードがあれば教えてください。
TAKA STEP BY STEPはすごくSNUFFをイメージしてて、背伸びしすぎたのか 中々完成までは時間かかりましたね。 SKAナンバーでのコーラスワークはKOSUKEが良いラインを作ってたね。
-- では、新作の中でお気に入りの曲はありますか?
TATSUYA! 僕は昔から「TOMORROW」が好きなんですよ。しかも、この流れの中であそこに位置する「TOMORROW」がめちゃめちゃグッとくる。他にも好きな曲はいっぱいありますけど、どれか1曲を挙げるとするならば「TOMORROW」ですね。
-- 歌をしっかり響かせて、軽やかさもある曲ですね。
TATSUYA! そうなんですよ。ショートチューンなパンクロックな曲がたくさんあって、もちろんBURLはそこがいいっていうのがありつつ、ああいう曲がくると「おっ!」ってなるし。
KEMI 僕はどれが好きかな……「FUCK」っすかね。
TATSUYA! へ~、意外やな。
KEMI 何ですかね、あのおもいっきりストレス発散できる曲って、最近はなかなか無いので。プレイしててもそうだし、(お客さんが)一緒に歌ってても気持ちいいんじゃないかな。あと、僕はスカの曲が好きなんで「WAKE UP」と「FREEDOM SOUND」は例に漏れず大好きです。
KOSUKE え~と、僕は「BIG FUCKIN' NOISE」。みんなでガーッとシンガロングするのが好きで、他にもBURLでそういう曲はあるんですけど、この曲がいちばん象徴的かなと。
KEMI たしかに!
KOSUKE わかりやすいし、みんなで歌える曲として推せるし。しかも、新曲っていうのがいいなと。
-- みんなで歌ったり叫べるのはパンクロックの醍醐味のひとつですよね。
KEMI そうですよね。
-- 「BIG FUCKIN' NOISE」にもそういうポイントが新作にはたくさんあります。
KEMI KOSUKEが入って、そういう曲がライヴでもしっかり表現できるようになりましたね。3ピースのときは、どうしても難しさがあったから。TAKAちゃんはどの曲?
TAKA いや~、どれかな~。作ってる本人だから、どれかを選ぶっていうのが難しくて。お気に入りと言われたら、全部としか答えようがないというか。あと、僕は気分屋なところがあって。旬みたいなモノなのか、例えば「FUCK」が最高と思ってたのに、ちょっと経つと「大丈夫かな? 強すぎて通じるかな?」とか思ったり(笑)。
-- ハハハハ(笑)。「FUCK」は硬派でパワー感もみなぎるパンクロックナンバーですが、英語詞の中に"Kusottare(くそったれ)"と日本語が入ってくるのが強烈です。これは自然と出てきた言葉だったんですか?
TAKA 僕は曲が出来てBANDで合わせた時、ほにゃららで歌うんですが、ここははっきり「Kusottare」で。 そこが元になって、歌詞が出来上がりました。文句ばっかりですけど。
-- ちなみに、最近の旬としてはどの曲になりますか?
TAKA そういうことだったら「BIG FUCKIN' NOISE」になりますね。もともと、こういうOiパンクで合唱するのが大好きやし。ただ、さっきKEMIも言ってたけど、3ピースやと難しさがあって、なかなか自分が想像してるモノを形にできなかったんです。それが4人になって、ようやくしっかり表現することができた。やっぱり、グッときますよね。
-- すでにライヴでやってる新曲はあります?
KEMI 「WAKE UP」や「BIG FUCKIN' NOISE」はやりましたね。新曲でも出し惜しみせず、ライヴでやるんですよ。
-- 「BIG FUCKIN' NOISE」がライヴハウスで鳴り響くのはホントに楽しみです。叫びどころも満載ですし、駆け抜ける疾走感がありつつも、サビでは大きく開けるニュアンスがあるじゃないですか。ライヴで気持ちいいと思うんですよね。
TAKA そうやと思います。
KOUSUKE インパクトがある曲やし、ライヴで盛り上がることを願ってますね。
Vol.03へ続く
Interview By ヤコウリュウジ
-- 他の新曲についてもお聞きしたいのですが、「STEP BY STEP」は今のBURLを象徴する曲のひとつなのかなと感じました。
KEMI ああいうタイプの曲が意外と全然なかったんですよね。(TAKAがバンドへ)持ってきたときは驚きもあったんですけど、いい感じに仕上がったのかなと思ってます。
-- 細かいところなんですけど、2番になってTAKAさんが"I met my hero 20 years ago"の"ago"を歌うとき、ちょっと叫んでる感じなのが個人的にツボだったんです。
TAKA 良い所拾ってくれました!!
-- キレイに整えたレコーディングを目指すのであれば、録り直す選択肢もあるようなニュアンス。でも、その熱量を活かしてるのが凄く良かったです。
TAKA 元々僕の声、ピッチをいじるソフトに反応しずらい声質なんですよ。 エンジニアさんも多少のずれよりかっこいいものをチョイスするようにと。
KEMI 今回、『GOT TO GET PUNK INTO MY LIFE』のときと同じエンジニアさんにレコーディングをお願いしたんです。ホントに昔から知ってくれてる人なのもあるし、そういう意味では、自分たちらしさを理解して録ってくれたんやと思います。
-- その場の勢いやノリを活かすジャッジが必要だったかと思いますが、そのへんはエンジニアさんも含めて考えたところも?
TAKA そうっすね。空気感は1番大事にしたかった所なんで。
KEMI すべてにおいて「どうなん?」って聞かれるわけじゃなかったですけど、エンジニアさん自身が「BURLらしくていいね」と思う部分を活かしてくれたんですよ。
-- また、「OVER THE BORDER」はBURLがこんなにもロマンティックな曲をプレイするのかと新鮮な響きがありました。
KEMI KOSUKEはウチのロマンティック担当なんで(笑)。
一同 ハハハハ(笑)。
KOSUKE ロマンティックでした?(笑)
-- はい(笑)。しなやかさと優しさがあって、KOSUKEさんが加入したからこその色味だと感じましたよ。
KEMI ライヴのとき、KOSUKEはああいう曲を「もっとパンクっぽくやりたい」って言ったりもするんですけどね。どこか、根がロマンティストなんやと思います。
KOSUKE かもしれないです(笑)。
-- KOSUKEさんのイメージとしては、もうちょっと荒々しく歌いたいところもあるんでしょうか?
KOSUKE いや、そういうわけでもなくて。パンクといっても荒々しさだけじゃないですよね。拳を振り上げるだけじゃなく、ポロロンとギターを奏でてもパンクロックは歌えると思ってるし。「OVER THE BORDER」は歌詞がロマンティックと言えばロマンティックだけど、反戦歌みたいな曲でもあるし。そういったルーツはBURLでも成立してるかなと。例えば、「STOP THE FUCKING WAR」なんかもそうやと思ってて、それを僕なりのイメージで作りました。
-- 曲順的にも沁みるところに位置してますよね。
KOSUKE そうですね。あの曲順の中で、こういう曲が1曲あったらいいなと思ってました。
TATSUYA! あの流れ、めっちゃいいよ。
KOSUKE 箸休めっていうわけじゃないけど、(流れの中で)ヴォーカルの声も曲調も変わりますし。
TAKA 健さんがこの曲いいって言うてたで。
KOSUKE マジっすか! めっちゃ嬉しい!
KEMI ライヴでも毎回のようにやってる曲ですね。
-- あと、この「OVER THE BORDER」に限らずなんですけど、BURLは曲のメロディーやノリと歌詞のメッセージ性が凄くリンクしてるバンドだと思ったんです。強く訴えかえる曲はメッセージとしてもそうであるし、柔和に語りかけるような歌詞はそういうニュアンスがサウンドにも出てて。1曲毎にしっかり色濃いモノがあるというか。
TAKA あんまり意識してなかったんですけど、今、言われて初めて気づきましたね。ここ大文字でお願いします(笑)
KEMI ただ、1曲の中でいろんな表現をするのがもともとあまり好きではないんですよ。複雑な展開をするよりも、どちらかと言うと、1曲1曲の色を出して、それらが並んだときにバリエーションになってるのがいいなと思ってて。
-- 例えば、「IN THE WAR」では、MVでも歌詞の世界観をしっかり届ける演出にしてますよね。そういったところをあえてぼかしたり、直接的な表現を避けるバンドも多いかと思います。そのあたりについてはどう考えていますか?
TAKA あーデモの時のMVっすね。俺は器用なタイプでもないし、これしかないですよね。よくあるパターンだとは思うけど。
-- また、ライヴで定番となっている既存曲に関しても聞かせてください。長年プレイしてきて、意味合いや感触が変わってきたような曲はありますか?
TAKA 実は「I WONT TO MAKE A THOUGHT INTO A FORM」は既存曲なんですが、 若干歌詞を変えたんですよ。3.11の震災の後、すぐに音源作って、 会場限定で投げ銭で募金募ってたんですね。それから被災地にいく機会が何度かあったんですが、状況見て愕然となっちゃって。。 震災に対して8年前とは気持ちは変わってないですけど、考え方や行動は変わってきましたね。それに対してやっぱり曲をやる気持ちも変わった所もあって、 8年前の歌詞じゃ自分の中でゆるせなくて。。 他は、「TOMORROW」「FEAR OF WAR」なんかはKOSUKEと分けて歌うようになって、ギターのアレンジも含めより曲の表現の幅を広げる事ができましたね。
-- 改めてですが、作品全体の手応えとしてはいかがですか?
TAKA これがあるんですよ。今までの中で、BURLもRAZORS EDGEも含めて、いちばんの手応えがありますね。100%満足じゃないけど、今のBURLの100%に近い表現は出来たかな。
KEMI 完成してからずっと聴いてますけど、飽きないし、いいモノができたんじゃないかと思ってます。僕はずっとBURLしかやってないんですけど、そういう意味では、BURLの歴史において絶対にベストですね。
TATSUYA! まだそこまで深く考えられてない部分もあるんですけど、普段から繰り返し聴いてて、めちゃくちゃいい作品ができたなと感じてますね。それを手応えと言うのかもしれないけど、それよりも「めちゃくちゃいいのができて良かった!」という気持ちが強くて、ホンマにそんな感じなんです。
-- メンバーとして、バンドマンとして、充実感に満ちていると。
TATSUYA! めちゃくちゃ充実感がありますよ。「今、やってるな、オレ!」って思います。
KOSUKE いろんな手応えが当然あるんですけど、曲の振り幅しかり、種類しかり、面白い作品になりましたね。いろんな人が聴ける仕上がりになったと思ってます。特にロマンティックな「OVER THE BORDER」とかもあるし。
KEMI 自分で歌ってる曲をバカにしてるやろ?(笑)
KOSUKE ハハハハ(笑)。でも、ホンマに凄く幅の広い曲がたくさん入ってるので。
-- 最初のころにお話させてもらいましたけど、いろんなパンクロックを好きな人が味わえる作品ですよ。
TAKA そう言っていただけるとありがたいですね。
KOSUKE それこそ、歌モノとも言えるような曲もあったりするし、普段パンクロックを聴かないような人でも手を伸ばしてくれたらと。
-- そして、リリース後にはツアーも控えています。こういった大掛かりなツアーは久しぶりですよね。
KEMI 『GOT TO GET PUNK INTO MY LIFE』のときは結構回ったと思いますけど、それ以降はやってないですからね。
-- 意気込みとしてはどうですか?
KOSUKE まずは無事故・無違反!
KEMI 大事やな(笑)。
-- 無事に回ることが何よりですからね。
TAKA 今回、スケジュール上どうしてもいけない箇所もあるけど、今まで個人的にもお世話になったところだったり、RAZORS EDGEではお世話になってたけど、というところにも足を伸ばして、しっかりBURLを観てもらいたいなと思ってるんです。何やろ……年齢のことやったり、この先仕事をやりながらここまでのことができるのかな、っていうのもあって。それこそ、このタイミングが最後かもしれない、と考えたりもするし。そういうことも含めて、だいぶ気合いが入ってますね。勿論、今回の主旨で行けない所は行く予定ですけど。
-- バンドの活動が緩やかになるという意味ではなく、これだけギュッと詰まったいわゆるツアーというモノがいつでもやれるわけじゃないという。
TAKA そうなんですよ。それに、絶対にバンドって、ツアーをやらないと良くならないじゃないですか。このメンバーになってこういったツアーはやったことが無かったし、いろんなことが起きるやろうけど、それをしっかりと乗り越えたら、一体感であったり、バンドのグルーヴもより出るだろうし。
-- 作品を仕上げてツアーを回ってこそ、固まることもありますからね。
TAKA そこなんですよね、やっぱり。
KEMI 僕ら、自覚してるんですけど、20年やってても経験値が少ないところがあるんです。レコーディングだって、今回も勉強になりましたし。いろんな土地へライヴをしに行く、タフなツアーをするのは楽しみなのはもちろん、まだ手にしてないモノを得れる機会だろうなと。
TATSUYA! KOSUKEやKEMIっちが言ったことと重なるんですけど、無事故・無違反で回って、ツアーだからこその経験値を手にしたいですね。それこそ、僕が入って2年目のときなんか、年間で8本しかライヴをやらなかったりしたんです。精力的にやってる他のバンドさんからしたら、意味がわからへんような数。だから、このツアーはめっちゃ回れるんで、経験値を上げて、バンドとしてもより固めたい。初日に「いってらっしゃい」と見送ってくれた人がまた最終日に来てくれて、「BURL、やったやん!」って思わせたいです。
-- ツアーへ向けて、ホントに高まってますね。
KOUSUKE ツアーでしか得れない、ライヴを連チャンでやってるときにしかわからない阿吽の呼吸とか、顔を見ただけでわかるようなグルーヴをこの4人で作るツアーにしたいですね。
-- いろんな側面で試行錯誤もできるでしょうし、それを積み重ねていって、ツアーファイナルというひとつのゴールへ向かう。
KOSUKE 特に考えるでもなく、当たり前や普通っていうのがメンバーの中でいっぱい増えてきて、それを踏まえて、次のライヴではまた特別なことへ手を伸ばす。それを繰り返していくうちに、話し合ってやっていたようなことが、だんだん当たり前にできるようになりたいし、ツアーの最初と最後では全然違うライヴにしたいと思ってます。
-- これまでも今もこれからも詰まった新作を引っさげてツアーをするわけですから、改めて自分たちのライヴを見せつけたという気持ちも?
TAKA 当然、ありますね。
KEMI 今回、新作に『JUST PUNK,GO!!』というタイトルをつけたんですけど、BURLに触れてくれた人たちの"JUST PUNK"な存在になれたら、そう感じてくれる人が増えたら嬉しいです。初めて行く土地も多いですし、そういう人たちと出会えたら幸せですから。
-- このツアーですが、初日と最終日が同じく十三FANDANGOですよね。通常、初日はホームで迎え、ファイナルは会場を変えることが多いと思います。そういったところにストレートで気骨あるBURLらしさが出てると感じました。心意気も感じますし、カッコいいなと思いますよ。
TAKA 曲もそうですし、ツアーもそうなんですけど、(BURLは)素直なバンドやなと思うんです。昔から良くも悪くもあんまり他のBANDの事は気にならないし、あの手この手色んな演出するのって苦手?うーんよくわからんし。 1枚でも多くの人に聞いてはもらいたいけど、自分がやりたくない事やダサい事をやるのはいやなんで。そこはPIZZAも理解してくれてましたね。 最初に「売れないよって」(笑)でもこの言葉には売れる為の活動、スタンスはいいからBURLはBURLらしくやってくれって受け止めてるんです。 勿論、どこでも勝負できるBANDにはなりたいし、40歳超えてからでも やれるんだぜってとこ見せたい。ロマンチックなメンバーも入った事ですし(笑)
Interview By ヤコウリュウジ
はじめまして、おかえり、ただいま、
BURLのVo.Gu TAKAです。
この度2018.8.1 Pizza Of Death Recordsより16曲入り3rd Full Album「JUST PUNK,GO!!」をリリースする事になりまして、それまでの経緯を書きたいと思い、この場をお借りしました。
元々、「Pizza Of Death Records」
いや、そもそも「レーベル」という言葉を、「Hi-standard」からはじめて知りました。
メディアには頼らない、「自分達の事はチームを組んで自分達でやる」
バンドのTシャツやグッズだったり、フライヤーやCDのジャケットも自分達で作ってるPizzaが、ちょーかっこ良く見えました。
リリースするバンドもかっこよくて。
いわゆる「あこがれ」のレーベルでした。
でもこの頃は、Pizzaからリリースしたい!って気持ちより、ハイスタと一緒のステージに立ちたい!って気持ちの方が強かったので、初めて自分のバンドが入ったオムニバスのCDを手に、岡山のペパーランドでのAngry Fistのツアーに行き、その場で音源を聴いてもらえればと、CDウォークマンをKENさんに渡して聴いてもらったら・・・
Kenさんが「これ、ハイスタじゃん」って・・・ウォークマンの中に「Angry Fist」を間違えて入れてしまっていたという、ど真ん中フルスイング!
その時にKENさんに顔を覚えてもらえたのか・・・。
その後もハイスタが大阪・関西に来るたびに、入り待ちや出待ちで持って行った音源を何回も渡してました。
「一緒にやりたい!」と手紙を書いてPizzaに送ったりもしました。
でもハイスタは活動停止になってしまい、悶々とした日々を過ごすことに・・・。
ところがある日、Pizzaから電話がかかってきて「今度、横山健がソロでアルバムをリリースしてツアーをやるので、その大阪公演で一緒にやらないか?」と。
もう嬉しすぎて、当時のメンバーのスケジュール確認もせず、「やります!!!!!!!!!!!!絶対おねがいします!!!!!!!!!!!」と即答。
豪快にフライングです。
そして、そのアルバム「The Cost Of My Freedom」を聴き狂い、いざ当日。
その日は自分のライブでも最後の曲であがりくるってダイブして、ふと、横を見たらベースのKemiさんもダイブしてた。
完全に同じ気持ちだったんでしょうね。
あまり過去のライブって覚えてないけど、それぐらい印象に残っているライブです。
ライブ後Kenさんにもらったサインは、額に入れてずっと飾ってます。
余談ですが、KenバンドのリハをPA卓の前からガン見してると「SEチェックしまーす」とSEが・・・
すると、当時BURLのSEでも使っていたHepcatの 「I Can't Wait」が!
まさかの「お・か・ぶ・り」です。
その時からBURLは「I Can't Wait」のSEは封印してましたが、最近Kenバンドが使ってないんで、こっそりまた使い始めました。
それから何度かツアーにも誘って頂いてRazors Edgeにも加入し、Pizzaのスタッフ個人個人とも色んな話をするようになり、言い合いになったりもしましたが、それでも「かっけーレーベルだな」「やっぱりこのレーベルでリリースしたい!」と強く想ってました。
それで去年、BURLが4人になってからの初音源を手に、SATANIC CARNIVALに出演していたKenさんへ「リリースしたいっす」っと伝えに行きました。
その時は、「Wanimaの次のアーティストだしね」(猛爆)
「今はまだ、レーベルとしてどういう方向に向かうかみんなで話が出来てないしね、このタイミングじゃないと思う」と言われ、まあ、そりゃそうだと大納得をし、またご縁があるまで相変わらずしぶとくやってやろうと、逆に闘志メラメラで大阪に帰りました。
それから少し日が経ち、2017年の8月です。
Kenさんと
「このギター、どうっすか?」
「それならこっちの方がいいずら」
「でもこれも気になるんですよね」
「なら、これとこれなら合うんじゃないずらか!」
と、メールでギター談話をしていると、
いきなり!
「そうそう!良いニュースだよ。BURLをPizzaからリリース出来る事になったよ!」
「現実困難な事もあるだろうけど、今の気持ちを忘れなければ今の力以上が出るし、目の前の困難も笑ってぶっ壊していけるよ」
と!
通天閣に登って泣きましたね。
Pizzaからリリース出来るって事ももちろんうれしいけど、自分が憧れ続けた人、大好きな仲間に、こんな言葉をかけて貰えたのが、自分の作った音楽が認めてもらえた事が、本当にうれしかった。
それからKenさんとPizzaのスタッフとで「今のBURLを見せつけられる1枚にしよう!」ってことでアルバム制作に着手。
KenさんはBURLの持ち曲を全部チェックしてくれて、1曲1曲へのコメントをメールで送ってくれて、
さらには
「ここのイントロはいらないんじゃないか?」
「ここのメロディーには、このコードの方がより泣いちゃうよ」
と、曲へのアプローチも随分とアドバイスしてくれました。
さらに!今回Minamiさんが英詞を見直してくれました。
昔からある曲の英詞が間違ってたところは、「十数年歌ってるし」ってことで、うまーく訳してくれたりもして。
16曲分、本当に感謝です。
一番びびったのは、既存で「Fear To War」って曲があるんですが、「これToじゃないよOfだよ」って、うっちょーーーーーんです。
そんなFUCKIN'憧れの2人に「ほんと良いアルバムを作ったよ」って言ってもらった時、ボイスメモを撮っておきたい気持ちになりました。
20年付き合ってきた曲や、4人で新しく作った曲を、Kenさんがアドバイスくれて、Minamiさんが訳してくれて。
レコーディングでは、The→China Wife Motorsのアニキがドラムテックへ入ってくれて。
地元大阪の昔からの仲間、Good4Nothingのユータン、The Disaster Pointsの沖瀬君、Spreadのタクヤ君、The→China Wife Motorsのカジタがギャングコーラスで参加してくれて。
昔っからBURLを理解してくれてるLublabの西平さんがベーシック・レコーディングを手伝ってくれて、あれやこれやとドラムのセットや配線の細かい所まで丁寧にやってくれました。
エンジニアとMixは日本が誇るスーパーエンジニア原さんと深見君が、何日も徹夜してとことん付き合ってくれて・・・。
ジャケットは十数年お互い切磋琢磨し合い、色んなアイデアを出してくれた岸君がデザインしてくれて。
色んな人が協力してくれて、出揃った曲達が、このドPUNKな16曲入りFull Album 『JUST PUNK,GO!!』
もうバンド歴も長いので、Pizzaからリリースして状況が変わるなんて、そんな甘い世の中じゃない事はめちゃめちゃわかってる。
BURLがBURLらしく、一番かっちょよく、まだまだ走れるように!
Pizza Of Deathのみんなはガソリンを満タンにしてくれただけです。
ウルトラハイオクなガソリンを。
携帯のメモリーにバンドマンの連絡先ゼロのベースけみさん、写真に写る顔がいつも赤い、白髪のサウスポードラマーたっちゃん、
植木屋さんなのに、花粉症とお日さんアレルギーのひょうきんギターコウスケと、全国19カ所、ウルトラハイオクなガソリン満タンで、強力な対バンのみんなとライブハウスをツアーします。
みなさんと会える事を楽しみにしてます。
最後に。
ツアー全箇所もちろん、ファイナルのFANDANGOには絶対来てもらいたい。
絶対の絶対に後悔はさせないどころか生きる力を与える1日にしてやるんで。
BURL TAKA