――まずはキッズを代表してというか、日本国民を代表して「ありがとう」を伝えたいと思います。
横山 健 うれしいよ。
難波 章浩 「ありがとう」って言われると、うれしいね。
――昨年をふり返ったとき、当然“3.11”という悲劇がまず思い起こされるわけですけど、その半年後に“9.18”(『AIR JAM 2011』@横浜スタジアム開催日)という輝かしいポジティヴな一日があって、本当によかったと思って。
横山 そう言われると報われるっていうか、報われたような気分になるね。
難波 「あぁ、届いたんだな」って思うよね。俺らがすげぇミーティングして踏み込んだわけじゃん? それくらい感じてくれたんだなって思うと、やっぱりやってよかったなあって思った。
横山 ふり返ってみると、やってみようって決めるまでが大変だったから。(↗)
難波 でも、大変だってことをわすれちゃったくらいアッという間だったよね。まぁ、実際大変だったよ? 11年も物事が止まっちゃってたわけだし、健くんと俺が久しぶりに会うだけでも……電話かけるだけでも勇気いるくらいだったんだから。それくらい離れちゃってるっていうか、自分たちの人生を歩いてきてたわけだから。ツネちゃん(恒岡 章/Dr)も含めて。だから、「やりたいね」って話しがその場であったとしても、じゃあ今ツネちゃんどんな感じなのかな?とか、みんなの今の状態どうなの?って、ちゃんと3人で見なきゃいけないから。
横山 うん。
難波 そういう意味では、ハイスタはスゴいなって思った。実際、話してさ、「やろう! よっしゃ、行こう!」ってなったらスゴかったもんね? できないもんね、そんなこと。
――すべての発端は3.11の東日本大震災であったわけですが、お2人は当日どのように過ごされていたんですか?
横山 俺はね、結婚式に出てた。(東京の)青山にいて、俺、主賓だったの。奥さんの親戚の方が乾杯の音頭を取って、「かんぱ~い!」っつったらぐわー!って揺れて。
難波 えーっ! マジで!?
横山 だから、俺はドッキリかと思ったくらい。ホント、びっくりした。
難波 それはギャップがすごいね。
横山 式は続行可能で、みんなすぐには外に出られなかったのね。新郎も新婦も地方の子だったから、田舎から出てきてる方が多くて、すぐにどうこう動くわけにもいかなくて。ケータイも繋がらないし。その建物の中は隔離されてるような感じなんだけど、俺、「表に出たくないな」って思って。なんか、「すごいことになってんじゃないか……」って。
難波 あぁ。それくらい東京も揺れたんだ。
横山 そうそう。予感どころか、わかるよね、「こりゃマズいことになってるな」って。で、式が終わって夕方の6時くらいから――俺、青山から車で20分くらいのところに住んでんだけど、4時間半かけて帰って。大渋滞で。帰宅困難者がずらーって道を歩いてて。ヘルメット被ったりして。
難波 すごいね。
横山 どこの街角も、なんか初詣くらいに人が多くて。もう「えらいこっちゃ!」と思ったね。俺はケータイでiモードだなんだのやってないから、式の席で「お台場がすごいことになってる!」とか情報をくれたりしたけど、自分ではあんまり状況はわからなかった。家に帰ってから津波のニュースとかを初めて観て、もう青ざめて。
難波 青ざめた状況は同じだね。俺はね、新潟の家にいたのよ。3月11日が、これがなぜか次男の誕生日で。
横山 そーなの!?
難波 そう。カミさんが晩ご飯の支度とかしてた感じで。誕生日だから俺はケーキ買って帰ってきてテレビ観てたの。したら、ドーン!って揺れて。「なんだ、この揺れ!? ヤバかったね」って言ってテレビ観たら、「宮城が……」って言ってるじゃん? 俺のカミさん(実家が)宮城なのよ。向こうの映像とかが流れるとスゴいことになってるし。登米っていう石巻の隣町なんだけど、おじいちゃんは仕事で石巻まで行ってたっていって。案の定、後で聞いたら、もう車のぎりっぎりまで津波が来たって。
――難波さんにとっては人ごとじゃなかったんですね。
難波 全然人ごとじゃなかったね。(↗)
――ひと通り状況がつかめたところで、今度はどんなアクションを取っていこうって考えられました?
横山 俺は、『We Are Fuckin' One Tour』のことを考えたね。SLANGのKOちゃんとかBRAHMANとか、被災地に物資を持ってくヤツが周りに現れて。BRAHMANにはKen Bandの物販のブランケットを何百枚って持ってってもらったりしたんだけど。で肝心の音楽で何ができるかって考えたんだけど、自分ではまず「ライヴしに行こう!」と。1週間くらい経った後だけど、「何ができるかな?」って思ったときに、やっぱ「フリー・ライヴでしょう」と思って。でも、なかなかすぐには動けないんだよね。現地の受け入れ体制とかあるから。求められてないとこに行ったら迷惑じゃない? そういう様子を探るのに1~2ヵ月かかって。とりあえず4月のツアー から We Are Fuckin' One Tシャツを売り始めた。
難波 実は震災の前に、3月4日に俺が(渋谷)クアトロでワンマンをやったんだけど。そこで「9月に『AIR JAM』くらいのフェスやるぜ!」って言っちゃって。ホントは『AIR JAM』やりたかったんだけど、まだ何も決まってなかったから。アルバム(『PUNK ROCK THROUGH THE NIGHT』)作って、ソロっつって始まったわけよ。その3月4日のワンマンが俺の中でホントに山だったんだけど、その勢いで「9月にフェスやります!」って言っちゃって。
横山 そのことについても、震災がある前からナンちゃんからいろいろ連絡もらってたんだけど。「9月にフェスやりたいんだけど、ハイスタできないかな?」とか。「じゃあ、自分のバンドとKen Bandでやれないかな?」とか、そういうことをずっと話してて。
難波 ハイスタができるってことには急にはならないのよ、もちろん。だから、健くんと俺の中でも、ハイスタをすぐにやろうってことじゃなくて、まず健くんとコミュニケーションを取りたいなと思って。健くんも「ナンバとコミュニケーション取ったほうがいいだろうな」って思ってくれたと思うんだ。
――難波さんの中でも、ハイスタ復活は“ないこと”だったんですか?
難波 いや、俺ん中にはあるよ(笑)。それで連絡するわけじゃん、「ミーティングしようよ」ってホテルに呼んだりだとか。あるんだけど、「やりたいんだよ! やりたいんだよ!」って言えないのよ。(小声で)「やりたいんだよねぇ……」くらいしか(笑)。
横山 だから、「やりたいんだよねぇ……」って言われて、「いやぁ、今じゃないんじゃない?」、「そうだよねえ」って、ずっと平行線で。
難波 みんなのバランスがあるから。俺もやっと始まってさ、健くんも「Ken Yokoyama」でバッチリやってたじゃん? 急にやろうっつっても影響がハンパないからさ。良い方向に行くのか良くない方向に行くのかもわからないから。で、日本がフェスどころじゃなくなっちゃって、いろんなイベントが中止になっちゃったじゃん? 俺は3月4日に「フェスやります!」って言っちゃってるし、なんとかやりたかったから、「ハイスタ……やっちゃう?」って。そこでね、健くんが「やろう!」って言ってくれたの! 今やって、ハイスタ・ファンに元気になってもらって、勇気持ってもらうのもいいねって思ってくれたんだよね。(↗)
横山 うん。震災前は平行線だったんだけど、震災後に2人で会って話ししてね。
――あの7時間以上に及んだホテル・ミーティングで。
横山 そうそう。そこで、いちばん最初に「ハイスタ、やりたいんだよね」って言われて、「いいね、やろう!」って俺も思って。「今やるしかないっしょ!」って。
――ミーティングに出向かれる段階で、横山さんの中にもある程度腹づもりみたいなものはあったんですか?
横山 いや、ホントは別のことを話さなきゃいけなかったから、ハイスタのことはあんま考えてなかった。だから、意外とその場で決めたかな。自分がどうすべきかってことに従ってさ。
難波 そうなんだよ。なんかわかんないんだけど、俺は結構落ち着いてて。健くんの気持ちもわかるし、健くんとツネちゃんがホントにやりたいって思ってくれるまで焦っちゃダメだと思ってて。
――外野からの勝手な見解ですけど、難波さんはハイスタというものに強く恋い焦がれていて、横山さんは意識的に距離を置こうとしているように見えたのですが、この見方はあながち間違ってない?
難波 う~ん……それは、ほとんど差はないと思うよ。ぶっちゃけた話、俺もハイスタはもうなくて、それがない人生を歩んでいかなきゃいけないって思ってたわけだから。そういう意味では開き直ってた部分はあるのよ。だけど、ハイスタができたらさらにいいだろうなって思ってたから。俺って、突拍子もないことやるじゃない?(笑) でも、健くんって、ずっとこうやって、なんて言うのかな……今日、俺ここ(PIZZA OF DEATH RECORDS)に初めて来たんだけど。
――あ、そうだったんですか!
難波 下北の時はあるけどね。新しいとこ初めて来て思ったのは、ちゃんと“残ってる”じゃない? スタイルとか、そのままでいてくれてるじゃん? それがすごい安心感なんだよ。あの時に健くんは――活動が休止って時に3人で話した時に健くんが言ってたのは、「ハイスタが戻ってくる場所を守ってる」って言ってたのよ。俺はそん時、まぁぶっちゃけた話、「なに言ってんの!」って思ったりしたんだけど、でも「こういうことか!」って俺は今日ちゃんとわかったし、ハイスタはPIZZAにあるべきだってホント思ったね。だから、ハイスタ復活までの行程、健くんが言う段取りに従おうと思って。間違いないから、常に。そういうところで、また「健くんのジャッジ間違いねぇな」って思って。(↗)
難波 ホントに守ってくれてたわけじゃん? 今の世の中、こんなカッコいいレーベルないよ。
――じゃあ、12年ぶりのハイスタの作品(DVD『Live at AIR JAM 2011 / Hi-STANDARD』 / 2月22日リリース)が出来て、それをPIZZAから出せるってことは難波さんにとって大きな喜びであり?
難波 喜びだし、ファンに対して活動休止がウソじゃなかったってことがよかったなと思って。
横山 あぁ、そうね。解散じゃなくて。
難波 ウソついたことにならなくてよかったなって。ハイスタは矛盾したこととか嫌いだったから、世の中とか関係ないけど、俺たち3人の中で「そうだよね」って思ったことを発信してきたわけだから。
横山 実際、このDVDをPIZZAから出そうっつったのは、ナンちゃんなのよ。「やっぱPIZZAっしょ!」って。
難波 そこは当たり前でしょう。だって、そんなにいいことないじゃん? 世の中に対しても、みんながいちばんいいって思える流れだし。
横山 俺としては、なかなか自分からは言い出せないことでさ。そうやってメンバーが思ってくれてるのって、ちょっとカッコいいなって思ったりね。
Part.2 に続く