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2015年3月8日、恵比寿LIQUIDROOMで行われる、MEANING 150TOUR FINAL。
兼ねてからMEANINGが共演を熱望していたenvyとのツーマンが決定した。
そこで今回は、envyのボーカリストである深川哲也氏を迎え、対談という形式でMEANINGハヤトと共に語り合ってもらった。
envyが国内外に及んで残してきた痕跡や影響。独自の道を歩むenvyのその姿はMEANINGにとってどう映っているのか?
これはハードコアの枠を超えて活動する両者の邂逅の記録である。
進行役は、envyとMEANING、両者の映像作品に関わっている映像作家のMINORxU(ミノル)が行った。
まずはenvyに対バンをオファーするに至った経緯を教えてもらえる?
ハヤト:好きだったので何年かかけてオファーをし続けた結果、今に至るという感じです
どのくらい前からオファーしていたの?
ハヤト:3年くらい前からですかね。envyは海外行ってたりとか、国内のスケジュールもあまり見えないぐらいっていう話を聞いてて。
メンバー全員がenvyのことを好きだった?
ハヤト:ギターの川口くんとドラムの井上くんは崇拝してるレベルくらい好きで。オレはMEANING入ってから教えてもらったんです。2004年くらいの時かな。それこそEndzweckとかも知らなかったんで、ニュースクールってものを教えてもらってました。なんか当時のenvyって、ちょっとニュースクールの流れとも…
テツ:ちょっと違った流れにいたよね。
ハヤト:その時ってオレ「速いモノ、激しいモノが一番最高だ」と思っていた若かりし頃だったんで…。なんか歳を重ねれば重ねるほど、envyって凄いんだなってことに気づいて…。色んなバンドマンや、バンドマンに限らず業界の人達が皆「envy凄いぜ」って言ってるのを聞いて「そういうことなんだな」って。ハードコアの枠を超えた存在?それが最初の印象っすね。
テツさんが最初にMEANINGを認識したきっかけは何ですか?
テツ:MEANINGは、SMASHのノリさんの紹介かな。3年位前に「オファー来たんですけど、どうですか?」って言われて。そのとき色々忙しかったし「今になって新しい人達とやるのもどうかなぁ」っと思ってました。envyはこだわりがあるんです、一緒にやるバンドに対してもの凄いこだわりがあります。
ハヤト:それはもう(存じてます)。
テツ:バンドを選ぶんです。何回か誘ってもらって、再度ノリさんに「今回もツアーファイナルお願いします、ってオファー来たんですけど、どうしますか?」と云われて。「何回も誘ってもらってるし、ノリさんどうしたらいいでしょう?」と言ったら、「断るのも簡単ですけど、envyのスタンス的に新しい人に向けてやるのも、たまにはいいんじゃないですか?」と云われて。「それもそうだ。MEANINGのファンに気に入ってもらえるか分からないけどそれもアリかな」と思い皆に聞いてみたら「別にいいよ、やりましょう」という流れです。
ハヤト:それ一番聞きたかった質問だったんで、いきなり聞けて、しかも思ってたのとなんとなく近かったんで良かったです。
テツ:ノリさんが助言してくれたのが結構大きかった。envyの活動は全て自分らでやってるんで、音源を出すにしても、大々的な売り込みもしないので「違う活動のバンドのライブに来てくれた人に見てもらい、新たな人に買ってもらったりするのもいいのじゃないでしょうか?」っていうノリさんのアイディアで、「それもそうだな」と思って。
ハヤト:うちのギターの川口くんと俺は、一昨年O-WESTのライブに遊びに行かせてもらって。二階席で観させてもらったんですけど、その時観て、もうぶっ飛んで。で、川口くんと「挨拶しに行こう」って言って。
テツ:来てくれたっけかな?
ハヤト:楽屋に行ったんですけど、その時MILKCOWのツルさんがいて。ツルさんもあの感じじゃないですか?「紹介するよ!皆友達だから!」みたいな感じで。「いやいや、そんなに簡単にいかないですから」なんて言ってて(笑)で、川口くんがメンバーの方を紹介してもらったんですけど、緊張しすぎちゃって話せないみたいな感じになっちゃって。川口くんは普段なら「もう本当に最高で!」みたいな感じで喋りかけるタイプなんですよ、純粋なんで。けれど「もうダメだ」ってなって、オレも「川口くんがダメならもうダメだ、帰ろう」って言って、ノリさんに挨拶して帰ったんです(笑)
以前にもLIQUIDROOMで川口くんと井上くんをノブさん(envy、Gu)に紹介したんですけど、その時も緊張してて。普段すごい喋るヤツなんですけど。
ハヤト:二人共、特に喋るタイプなんですけどね。
テツ:全然何ともないのに。みんな普通。
でもパッと見だけだと緊張するんじゃないですかね?
テツ:そうなのかな?怖いイメージがあると良く言われる。
ハヤト:(笑)でもそのイメージって大事じゃないですか。
テツ:知らないと怖いみたいな?(笑)
ハヤト:ああいう音楽やってる上での説得力って意味では凄く…。知ってくうちに怖い人ではないんだっていうのは…
テツ:全然怖くないよ。でもそう思われてるのかも。
そういう意味ではオレの中ではenvyもMEANINGもちょっと近いところがあって…、打ち出しはシリアスな感じなんだけど、結構内状はフザケてるっていう。
テツ:常にシリアスな人なんていないと思うよ。フザケてる面も必要でしょ。
ハヤト:一番最初ミノルさんとアジアツアー行った時に、メンバーとそんな話聞いてたんですけど。川口くんが「envyって普段どんな感じなんですか?」聞いたら…。
テツ:普段は普通だよね。基本的にフザケてるよね(笑)
ハヤト:「MEANINGとかとも、あんまり変わらないよ。ポップだよ」って、ミノルさんに云われて。「あんまり変わらないわけないだろ!」って思いましたもん(笑)
envyを語る上で外せないのが前身バンドとなるBLIND JUSTICEなのですが、その時はどんな音を出してたんですか?
テツ:19歳の時、中川くん(envy、Ba)とか飛田(envy、Gu)と「バンドやろうよ!」な感じで始めて、「ボーカルいないからやらない?」と云われて、そこでバンド始めたの。当時はNYハードコアがすごい好きだったので。Agnostic Frontとか、Sick of It Allとか凄い好きで。「こういう感じの曲やりたいね」って始めたのがきっかけ。最初は色んなバンドのコピーから始めてそれからオリジナルの曲を作り始めて。どちらかと言うとそNYスタイルの音楽を意識して作って行ったかな。
ハヤト:ジャケとかもモロですよね。
テツ:そうだね。当時は凄い好きだったからね。でもだんだん自分たちのスタイルが確立して行くうちにそういうスタイルのバンド(マッチョみたいな)「ちょっと違うかな?」と思ってきちゃった時があって。
ハヤト:体育会系な感じが(笑)
テツ:「音楽ってこういうもんなのかなぁ?」って色々考えてくる時期が来て。
ハヤト:あー、わかります、わかります(笑)
テツ:音楽を好きになったキッカケは日本のハードコアだったり、中学校の先輩にもらったミックステープに入ってたPISTOLS、クラッシュとかで。「こういう海外のバンドがあるんだ」というのを中学2年の頃に知って。「DOLL」あったじゃん?友達と見たりして。”極楽”っていうレコード屋がある情報を得て「そこ行ってみよう!」って(笑)衝撃的なレコード屋だった!そこで買ったのがラフィンノーズとリップクリーム。かなり衝撃を受けた。そこからどんどんのめり込んでいって。UKのハードコアとか、アメリカのハードコアとかも聴き始めて。最終的に至ったのがNYハードコア。
話戻るんだけど、だんだん音楽とは?と考えていくうちにどういう音楽があるんだろう?となってね。カトマン(当時のNAT RECORD店員)とこ行って色々教えてもらったんだ。ホントに音楽詳しいから「こういうの今あるんだよ」と色々聴かせてもらっていくうちにどんどんのめり込んでいって。
NYはNYなんだけど、BORN AGAINSTとか。そういう政治的なメッセージが強いバンドを知って。「こんなバンドが居るんだ」と思った。そういうのを探っていくうちにebulutionを知って行った。そこから出てるバンドの音源を聴くようになり少しずつ変わっていったかなと思う。それが※「From here to eternity」作ってるくらいの頃。
BLIND JUSTICEからenvyに変わるにあたって、所謂ハードコアシーンじゃないところ…、潜ったっていうとアレですが、よりアンダーグラウンドなシーンにコミットしていった印象を受けるのですが。
テツ:当時聴いてたバンドのメッセージを聞いて考えたりして「自分らで出来る事は自分らでやるのが理想だろう」っていうアイディアに収まって。それで、「メインストリームに乗るのって純粋に音楽をやるのには必要ない」って思って来た。「音楽って金には変えられないアートじゃないか?」だったら「全部自分らでやろう」自分たちのライブだけでやれれば一番いいじゃないかな?と思ったのがキッカケだったんだった。潜ったのは。
実際「DOLL」とかの雑誌にも出なくなりましたよね?
テツ:一回インタビューやったことあるよ。
掲載時に名前間違われたりとかありましたよね(笑)
テツ:そうそう、でもちゃんと謝罪の連絡してもらったから。「インタビューってどうなんだろうな?」って考えちゃって。話すのも得意な方じゃないし、ただ音楽作ってライブが出来ればいいだけだったんだ。本当に。
ハヤト:ピュアなところに行き着くとそうですもんね。
テツ:そうなんだよね。
実際あの当時ライブハウスじゃないところでもライブをやってましたよね?
テツ:やってた。それも海外のバンドの影響もあると思うんだけど。公民館借りてスピーカーとかのシステム持ち込んでとかね、練習スタジオでライブやったりも当時はしてたんじゃないかな。
ハヤト:へぇ。それって何年くらいの頃ですか?
テツ:2000年くらい?
いや、もうちょっと前ですね。1998年とか
テツ:その後、試行錯誤しながら「俺達みたいなバンドが大きな会場でも通用するんだろうか?」って思って、それをHG Factの佐藤さんに相談したら「LOFTとかでやってみればいいじゃん」って云われて。そういうバンド集めようと思ってやったのがENVYとKularaとThere is a light that never goes outとNine days wonderでやった2001年のLAST WISH(ENVY主催の自主企画)。それが自分の中でのターニングポイントになったんだよね。
ハヤト:へぇ。
テツ:はたして人が集まるのだろうか?と思って不安だったんだけどやってみたらソールドアウトして。当時のその4つのバンドも独自のアイデアで活動していたから。そういうバンドが集まってもちゃんと出来るし「積み上げて来た事は間違ってなかったな」って、確信したポイントだったな。
へぇ。そうなんですね。
テツ:オレの中での確信とターニングポイント。
あの日はそのシーンの界隈でもターニングポイントというか「おー!」ってなった。
テツ:なったよね。
ざわついたんです。
テツ:ざわついたよね。
LOFTで、ソールドで。
テツ:あのメンツでやってよかったな、っていうライブの一つ。
envyが一番最初に海外でライブをした場所ってどこですか?
テツ:一番最初は「From here to eternity」を98年に出した時にたまたまライブに来てくれたお客さんでスウェーデン人の子がいて、その子が北京に住んでる子で。今後バンドを招聘する仕事を始めたいって言ってて。「envy良かったから、もしよかったら中国ツアーしてみない?」って。「中国ってライブ出来るのかよ」って思ったんだけども、やりたいって言うから行った。やっぱり色んな所でやってみたいと思ってたから。それで初めて行ったのが香港、北京、上海、深圳。
ハヤト:それって前に言ってた、中国で一番大変だったってツアーですか?
テツ:天安門事件が起こった翌々年とか、そんな感じだったのかな?相当厳しくて、結構怖かった。ホント大変だった。
どうでした?そのシーンみたいのは。
テツ:最初は香港で。ライブハウスじゃなくてユースセンターみたいなところでやって。いや100人以上集まったんじゃないかな。中国の人半分、外国人半分って感じだった。大変だったね。アンプもなかったしさ。こういうスタイルのバンドが演奏するの始めてみたいだったし。
ハヤト:その話凄いですよね。
中国でそういうバンドがライブをやったのってenvyが初めてでは?
テツ:多分一番最初だと思うね。その前にQP-CRAZYっていうバンドが来たって言ってたな。
ハヤト:それもすごい話ですね(笑)
テツ:ちょうどその頃、小室哲哉が中国に進出するとかかしないとかで、北京の会場が小室哲哉が作ったていうディスコだったの。
お客さんは集まったんですか?
テツ:わりと集まった。飲みに来るついでに見に来る人が多くて。
envyを知ってるお客さん?
テツ:知らないと思うよ。それこそ現地のレストランみたいなところにちょっとしたステージがあって、そこでやらされたり。そこはもうライブ見に来る人じゃなくて食事しに来てる人ばっかりだから。「ここでやんのかよ!」って思ってものすごく嫌だったけど、やるしか無いよね。やれって云われたら。
ハヤト:(笑)海外ツアーって毎回そうじゃないですか。連れて行かれた先で「あ、ココでやるんだ」って。どうしよう?も何も…
テツ:やるしかないからね。
ハヤト:事前に写真とかで見れるわけじゃないし、あのドキドキは毎回すごいですね。
テツ:着いた途端「ここだよ」って云われてドアあけたらもうステージだったとか(笑)ライブ終わって帰る準備してたら「よし、じゃ(次の会場に)行くぞ」って言って行ったらもう一本ライブあるとか。
ハヤト:全然そんなことありますよね。
テツ:色々無茶苦茶だったね。
ハヤト:俺ら20バンドくらい出るイベントで、夜中の3時に出番て云われたのがあって。タイムテーブルを見ても、バンドが一致しないんですよ。自分たちの順番がわからないから「あと何バンドか?」って聞いたら「あと5バンド」って云われて。それから2つくらい終わって「あといくつ?」って聞いたら「あと5バンド」って云われて「減ってねーじゃねーかよ!」「ふざけんなよ!」って(笑)
テツ:増えてるっていう(笑)
それはどこ?
ハヤト:フィリピンすね。一番怖かったとこ。
envyはアジアだと他にどこへ行きました?
テツ:中国、香港、台湾も行ったし。台北、タカオ、あとシンガポール、マレーシア。
ハヤト:マレーシアは結構最近ですか?
テツ:マレーシアは2回くらい行ったことあるかな。一昨年くらいにも行ってる。
最初に行ったのも?
テツ:その2年くらい前かな?
MEANINGのマレーシアツアーに動向した時もenvyの影響力を凄く感じて。
ハヤト:モノ凄いっすね。異常っす。ライブのセッティング中にenvyの曲を弾いてみたら、それだけでワーってなるんですよ。僕らのことなんて知らないけど、日本のパンク/ハードコアへの期待値が凄いから「日本から来るバンドだから行ってみよう」みたいな雰囲気が、あの当時の東南アジアには出来てたんですよね。最初のアジアツアー時は人も何処行ってもパンパンだったし。
テツ:本当?
ハヤト:envyとかの影響もあって、どっかから流れてきたんでしょうね。
テツ:意外とenvyは早くに行けてたから、そういうのもあるかもしれないね。何も知らないところだったから、日本のバンドが来るんだって言って見に来てくれて。そこで頑張ったから(笑)
envyの影響下にあるバンドって、オレが行った世界各地に結構いて。もろにenvyみたいのが。
テツ:多いみたいだね。結構聞くね。
ドイツとか。
テツ:ヨーロッパとか多いかもね。
ハヤト:なんで途中からああいうふうに音楽性が変わっていったんですか?
テツ:なんでだろ。特に自分らで変えようと思って変わったわけじゃなくて。曲はギターのノブさんが全部作ってんるんだけど。やっぱり当時は出来ることが限られてたの。下手くそだったし。勢いに任せてみたいな。
ハヤト:出来ることが増えてきて…。
テツ:そう、出来ることが増えてきたの。「こういうアレンジ、いいんじゃないか?」ってやってるうちに、今のスタイルに至る経過になったていうのが一番の理由かな。
ハヤト:当時のオレとかは多分、速いのやってた人たちが遅いのやりだしたりまったりしすぎると、「なんでこうなっちゃうんだろうな?」っていう、ファン目線っていうのがあって…
テツ:あぁ、あるよねそういうの。
ハヤト:オレは他のメンバーより後追いだったんですけど、envyをHG Factの頃から知ってて、途中から変っていく様を当時は「そうなんだな」と思って見てたんです。
今になってみると自分が今32歳で、だんだん人生観変わってきたりとかする年齢じゃないですか?そうすると、それが音楽にも当然反映されてくる。
そういうことを考えた時に、アレがハードコアの美しい進化の形なのかな?って最近すごい思うんです。
テツ:心境の変化もあるかも。俺らも40代だし。今、アルバムのレコーディングしてるんだけど、やっぱりどちらかっていうとゆったりしたメジャーな感じなって行ってるな、でもかなり歪んでるんだよ。そんな速い曲はないけど。アルバム全体で見た時には早くて激しい曲も必要だなと思ってそういうのを作ってる。(速い曲は)出来なくはないんだよね。
ハヤト:そういう血が流れてるわけですものね。
テツ:そう。変化は重要だと思うんだよ。同じことをずっとやっててもつまんないし。
20年やってますもんね。
ハヤト:envyって今は、もうジャンルっていうか「envy」じゃないですか?当時って、周りの例えばジャパニーズハードコアだったり、いろんなハードコアから見て、どういう見られ方だったんですか?
テツ:面白がられてたのかもね。そういうジャパニーズハードコアの人も当時は興味持ってくれて。解散しちゃったけど、アコンプライスってわかる?
ハヤト:はい。
テツ:アコンプライスのキンさんにお前ら俺らの企画出ろよって言われて。”阿鼻叫喚”ってイベントが有るんだけどそれに出してもらったりとか。お前らトリやれとか(笑)
ハヤト:ジャパニーズハードコアの先輩たち凄いっすからね。
テツ:断れないから「分かりました!頑張ります!」って、とかね。
話を戻すと、そこからまたアンダーグラウンドのシーンだけでなく、また海外に出たりするようになったキッカケは?
テツ:やっぱり俺らが海外に出れたのは友達が多かったっていうのと、海外のファンジンとかにレビューされたりだとか、そういうキッカケがあったことかな。当時は手紙が主流だったから。それも努力の結果だとは思うよ。はじめてのヨーロッパは日本に住んでるドイツ人、クリスがヨーロッパでツアーやりたいならって言ってって言われて初めてヨーロッパツアーに行ったのかな。それも結構過酷だったね。
ハヤト:どのくらいやったんですか。その時。
テツ:三週間くらいだったと思う。
ハヤト:けどまぁ長いですね。普通に。
テツ:人の家とか、地下のベースメントとか、練習スタジオとか、そんな感じのところでライブやってたね、そのツアーは。たまにヴェニューって感じだった。
海外ツアーをやるバンドのイメージって、最初から待遇が良かったりするイメージを持ってる人が多いと思うんですけど。実際どんな感じだったんですか?
テツ:最近の契約は「こちらからの要望を全部確認してもらってからの契約って感じ」なんだけど、当時はもう「何でもいいよ」って伝えてた。結構ひどかったね。「この距離、この車で行くんだ?」っていう車を用意されたり(笑)マーチみたいな車の後ろに三人乗って行くとかさ。そういうのもあったね。
(笑)泊まる場所は?
テツ:人の家か、ライブ会場か。
ライブ会場もあったんですか。
テツ:ライブ会場もあった。そこで寝るときに、下に敷く段ボールの取り合いとかした(笑)
ハヤト:見たくねー、そんなenvy(笑)
テツ:「それオレのじゃない?」とか(笑)大変なツアーだった。でもそれやったから今のenvyがあって、色んな経験出来て良かったなって思って。
ちなみにそれ何歳くらいの時ですか?
テツ:20代後半の頃かな。
ハヤト:それくらいの歳だったら、そういうのもまだ受け入れられるんじゃないですか?
テツ:受け入れられるね。かえってそれが楽しかったりね。でも今はもう無理だな(笑)最初にアメリカツアーしたのもバンドの友だちが出来て。そのバンドに「日本に呼んであげるから、俺らもアメリカ呼んでくれよ」みたいなやり方で。それも極寒の冬のアメリカツアーとかでさ。大変だった。
今はもう大きいフェスとか出たり。
テツ:今はおかげさまで色々誘ってもらえて。
どのくらいの規模の会場とかでやってるんですか?今は。
テツ:アメリカだと500人とか600人くらい。ヨーロッパだと500人から700人くらいの間。
どの会場もだいたいそのくらいのキャパですか?
テツ:小さい街だと300人くらいとかあるけど。パリとかの大都市では800人とかでやったかな。
結構パンパンに入るんですか?
テツ:パリはソールド手前な感じで。最初500人のキャパでやる予定だったんだけどそこがすぐソールドアウトになって急遽会場変更して800人の会場にしてもらった。
大きなフェスも結構出てますよね?
テツ:出てるね。
どんくらいの規模のフェスですか?
テツ:All Tomorrow's Partiesは7000人規模とかかな。
ハヤト:凄!
テツ::次は6月にHellfestに出るよ。
ハヤト:そうですよね。
テツ:その会場は1万人くらい。
ハヤト:ああいうのにenvyの名前が載るじゃないですか。ネットだったりとか、フライヤーで見るじゃないですか。俺らとかよく言うんですけど、「ああいうのは本当に夢がある」って。バンドを頑張れる一つの目標になるって。若いバンドで、今流行の音楽で海外に出てるバンドがどうとかって云うよりも…
テツ:メジャーなり、誰かに寄りかかって活動してるバンドとはちょっと訳が違うね。
ハヤト:何かまたちょっと違うじゃないですか、流れてる血も違ければ、(音楽も)全然違うし。そういう比較的自分たちが近いと思ってる人たちが、そういうところに名前が出たりすると、ちょっと心が折れそうになった時に頑張れる。
テツ:それってとても重要な要素だと思ってるんだよ。なるべく聞いてくれたり見てくれたりする人の近くで活動出来た方がいいかなと思ってて。バンドの友達にしてもね。それがアンダーグラウンドに潜った理由の一つでもあるのかなと思うし。「envyみたいな活動してても1万人規模のフェスに呼ばれたりするんだ」っていうのって感じてもらえるかな?と思ってはいるよ。
ハヤト:ハードコアって言われる枠で、そんなことしてるバンドっていないですからね。
テツ:いないよね。
たいがい、海外でライブをする日本のバンドって、プロモーション目的だったり、ジャパニーズカルチャーの中の一つとして捉えられたりしてて、アニメとかの文化(主題歌等)に付随するバンドだったりがあるけど、それとは別のちょっと違うところから入って行ってるっていうのは、なかなか他の人から見るとわかりづらいですよね。
テツ:わかりづらいかもね。自分らで意図してる所もあるけど。
ハヤト:みんなちょっと並列に考えますよね。でも全然やってることが違うし、絶対数も違うのに、それをこのレベルで戦ってるっていうことの凄さが伝わりにくい。意外と見る人は表面的に見るじゃないですか。
テツ:バンドやってる人が一番理解してくれてるかなって気がする。あとenvy好きな人は凄い理解してくれてる。凄いなって思ってくれてるかもね。
よく知らないだけで、「ハードコアって売れない音楽でしょ」て云われがちじゃないですか?でも、横の繋がりが凄いあるし、局地的に考えると売れてないかもしれないですけど、世界規模で見たら国内だけで活躍してるバンドより有名だったりする。
テツ:横の繋がりって大きいよね。ハードコアの一番重要な要素はネットワークかなと思っている。手紙とかFAXから始まってね。
未だに色んな国からツアーのオファー来るしね。この間は「コロンビアに来てくれ」ってオファーあって行きたかったんだけどタイミングあわなくて行けなくて。「治安は大丈夫?」って聞いたら「大丈夫!銃を携帯したボディガードつけるから」って言われて!それが怖いんだよて思った(笑)
横のつながりが強いっていうのは強みですよね。
テツ:強みだよね。やっぱり各国に行けば友達も来てくれるし、envyのライブを楽しみにしてくれている人たちとも会えるし。
ハードコア好きでいると日本全国だけじゃなく海外にも知り合いが出来てくる。
テツ:出来てくるよね。
海外行くと知り合いが必ず誰かいたりして。
テツ:今晩はウチ泊まらせてあげるよとか。
それって他の音楽のシーンだとなかなかないでしょうね。
テツ:ないよね。
それを言いたいんですけど、なかなか伝わらないんですよ。
テツ:経験した事無いと理解するの難しいだろうね。
ハヤト:海外ツアーのこととか興味あるんですよ。ヨーロッパとか。
テツ:MEANINGはヨーロッパツアーした事あるの?
ハヤト:いやヨーロッパはないです。アメリカに住んでたことがあるんで、アメリカにそこまで興味はなくて、だったら国内でやりたいことやろうとか、東南アジア行こうとか、そうなるんです。ヨーロッパは国も行ったことないですし、全然シーンのことも知らないけど、行ってるバンドとかの話を聞くと面白そうだなと。
テツ:ほんとうに面白いよ。毎日色んなことが起こるし。最近のツアーはもう普通に日々演奏していく仕事みたいな感じだけど。やっぱり色んな人の前で演奏するっていうのは本当に楽しいね。刺激になる。
ハヤト:単純に行きたいのに、どうやって行ったらいいんだろうな?ってのがありますね。
テツ:それは良く聞かれる。俺らの場合は、周りの友達に恵まれてたって感じかな。何回かツアーに行くとエージェントが見てくれるの。イベンターの人とかさ。現地の人が音楽関係者を呼んでくれてたりさ。そこで契約取れたりとかする。見に来てくれたエージェントが3人いたら、3人とも「やらしてくれ」とか言ってくれたりすると、そこから条件がいいエージェント選べたりとかさ。
ハヤト:たまんないっすよね、その斬ってく感じ。バッサバッサと(笑)
テツ:今はエージェントに「この期間にツアーしたいんだけど一緒にツアー出来る良いバンドいないかな?」と準備してツアーはやってるかな。
ハヤト:結論としては、行って斬ってこいってことですかね(笑)
テツ:とりあえず行くしかないかな。なにかしら声があったらenvyは必ず行ってた。
そういうバンドの舵取りみたいなのって、envyではテツさん?
テツ:そう、基本俺ががひと通りやってる。最終的に「どうする?」って確認してから話は進んで行くんだけどね。皆の意見聞いて「やりましょう!」か「ちょっと都合悪いです」ってなる。スケジュールもあるし、仕事の都合もあるんで上手くバランス取りながら。
そういうアイディアって、テツさんから出てきて、それで…
テツ:そう。常に次どうしようか考えてる。
ハヤト:やっぱそうですよね。オレは今すごい感動しました。
テツ:オレの口癖は「どうしよっかな?」なの。いつも言ってる。
ハヤト:テツさんほどの人でもそうだって聞いて、オレは今ちょっとだけ自信を持てました。
envyとMEANINGって、メンバーの人数もパート構成も一緒で、且つ役割分担も結構似てて。
ハヤト:あー、そうかもしれないっすね。
envyもノブさん(Gu)が曲書いて、テツさんは舵取りしたり歌詞を書いたり、でMEANINGもハヤトが舵取りして歌詞を書いて
テツ:ギターの人が曲作ってんの?
ハヤト:そうですね。ギターがほぼ九割です。
キャラクターの割り振りもちょっと似てるんですよ。
ハヤト:恐れ多いです(笑)
その辺、同じ立場っていうことでハヤトが聞きたいことがあれば。
ハヤト:その舵取りって、結局自分がワクワクするためだったりします?
テツ:大体そう。自分がワクワクしたりだとか、「皆で、こういうのがやりたいな」と思うことを優先してる。
ハヤト:ちょっと語弊があったら嫌なんですけど、バンドとしてやるべきこと、やらなくちゃいけないことっていうのも、舵取りしていくと出てくるじゃないですか?
テツ:そうだよね。
ハヤト:MEANINGのハヤトとしてはこうしたい気持ちはあるけど、なんか日高隼人としては「それってどうなのかな?」っていうバランスの兼ね合いみたいなのが。それこそ、PIZZA OF DEATHから出す時が、一番最初のそれだったんです。
テツ:あぁ
ハヤト:出したいけど…。「凄いチャンス!」「出したい!」皆が憧れるし「出したい、出すべきだ!」。けど、それをするとオレが好きなジャパニーズハードコアとか、そういうところにガッツリいることはもう出来ないかもしれない…。
テツ:そうだね、オレも昔はあった。もう一度アンダーグラウンドに潜ると「この人達とは一緒に出来なくなる」とか、そういうのはあったけれど。でもそんなのなんだかんだ忘れちゃう。
ハヤト:最近オレも「関係なかったのかな?」と思うようになりました。
テツ:うん。本当に関係ないと思う。
ハヤト:だから間違った選択をしなくてよかったなと。
テツ:凛とした思念とこれと決めたことだけやってたら全然大丈夫だった。
「これと決めたこと」って、どういうことだったんですか?
テツ:バンドに取っていくらプラスになろうとも安売りは絶対しないこと。
ハヤト:あぁ。
テツ:絶対しない。それだけだったね。
テツさんも迷ったりすることあるんですか?
テツ:あるよ。初めてSMASHにイベント頼むのでさえすごく悩んだ。
へぇ。
ハヤト:オレ、それちょっと不思議だったんです。よっぽどの信頼関係とかがあるのかな、と。
テツ:当時はそういうイベンターさんに「関わることはない」みたいに思ってたとこは実際ちょっとあった。
ハヤト:あ、それわかります。スゲーわかります。
テツ:イメージが先行しちゃって。それも思い込みだったんだけど。それこそモグワイ来日の時に、envyにサポートして欲しいってSMASHから連絡もらって話した時に、印象もとても良くて良い人だった。「ただの音楽の好きな人の集まりなんだな、それを生業にしてるだけなんだな」ってことがわかって。「是非お願いします。」ってなった。今はイベント、ツアーみたいのは全部SMASHにお願いしてる。ビジネスマンじゃなくてみんな本当に親切にサポートしてくれている。
ハヤト:それがあればいいですよね。そこに愛が見えれば。オレは全然いいと思うんですよね。
テツ:「ちょっと考え間違ってたな」って思った。確かに嫌な人もいると思うんだけどそういう人たちとは付き合わなければいいかなと。
ハヤト:けど自分たちに近づいてくる人たちは、そういう大人でも比較的愛がある人が多いですね。やっぱり。
テツ:親身になってバンドのことを一生懸命やってくれるから。生業にしてる人達は、やっぱり俺らが出来ないことも出来るから。そういうのは凄い助かるなって思ってる。
ハヤト:なんかオレ、多分今まさにそういう気持ちに変わってきてます。
テツ:そうだよね。
ハヤト:イベンターとかに対して「そんな奴らバンドマンじゃねえよ」って、2、3年前は思ってたんですけど。なんか、一緒ににバンドを良くしてくれようとか、バンドのことを気にかけてくれてるんだったら、なんかそれは別にメンバーとまでは言わなくても、思ってることを共有してもいいのかなっていう。
テツ:そうそう。
ハヤト:やっとオレもわかってきました。バンドに集中したいって気持ち。
テツ:バンドできる事も限られてるから。自分でやれることも。キャパオーバーしちゃうじゃん詰めすぎるとさ。オーバーしたら「もう嫌だ」って思っちゃうのも台無しだしさ。
テツさん、レーベルもやってますし。
テツ:でも最近はenvyしか出してないから。
ハヤト:けどオレら、一回自主でチャリティのCDを出したんですけど、マジで死ぬかって思いました。
テツ:そう?(笑)
ハヤト:「バンドマンがやることじゃねぇ!」って思いました。
テツ:大変だよねぇ(笑)
ハヤト:ホントに。
テツ:それも「責任感だな」と思ってる。やるからには自分らで音楽作って、歌詞も書いてさ。それを世界中にバラ撒くわけじゃない?最後まで責任感持つには、自分で予め全責任を持っておくしかないって思って全て管理している。
ハヤト:それ、家庭菜園レストランみたいな感じですよね
テツ:そうそう(笑)
ハヤト:自分で育てて、自分で料理して最後まで食わす。
そういうのを、この規模でやれてるのは…
ハヤト:いや、異常ですよ!
夢があるなと。
テツ:夢があるね~(笑)やる気になれば何でも出来ると。
ハヤト:夢、めちゃめちゃありますよ!(笑)
テツ:だから大きいフェスとか好きなバンドのオープニングの話があると「よし!きた!」って思うんだよね。
ハヤト:やっぱりそう思うんですか?
テツ:思うよ。よしよしって。
ハヤト:そういう話メンバーともするんですか?
テツ:いや話はしないけど、皆何となく思ってると思う。
ハヤト:それはなんかいいっすね。「フーン」みたいな感じだったらアレですけど。
テツ:それは皆思ってるよ。実際フェスとか大きな会場で演奏するの楽しいし。
envyのメンバーはピュアな人たちだから。
テツ:そうだよね。ちょっと変わってるけどね。
例えばですけどさっきの話envyの曲普通にCMとか使われたりしたじゃないですかそういう時もなんかあったんですか?
テツ:アレもものすごく葛藤した。考えた。
やっぱりそうなんですか。
テツ:うん。
ハヤト:あれ化粧品のCMでしたよね・
テツ:そうそう。
ハヤト:あれもザワつきましたよ。
テツ:ざわついたね。あれもすごい迷った。どうしようかな?って。「セルアウトって言われるかなぁ」って思ったりもしたんだけど(笑)
ハヤト:どういう流れの話だったんですか?
テツ:あれはCMの監督が「あの曲のイントロを使いたい」って話で。
ハヤト:それはenvyが好きで?
テツ:好きだったみたいよ。
ハヤト:だったら、それは別に…。
テツ:でも資生堂って言うのが…
アレですよね、動物実験してる。
テツ:そう。動物実験してる会社ってのが嫌で。ものすごく葛藤したんだけど、楽曲が映像と相まってテレビとかで放送されるのも悪くないかなと思ってね。色んな友達とか業界詳しい人に相談したね。
ハヤト:けど、使っていいって言っても、完成したモノを見てからやっぱり嫌だって訳にはいかないじゃないですか。
テツ:だからそれは細かく伝えた。
ハヤト:こういう風にして欲しいと?
テツ:うん。最初はイントロみたいな楽曲を作ってくださいって言われたんだけど、「それはちょっと出来ない。新規に作るのであれば、あのイントロで映像作って欲しい」って言ったし、逐一出来たものを見せてくれってお願いもした。でも出来上がった映像もかっこよかったし、やった事に後悔はしてない。
ハヤト:そうなんですよね。なんかアレで別に「こういうのやっちゃった」て云うのは、誰もならなかったじゃないですか。少なくとも俺らの周りはならなくて。それもまた不思議なんですよ。
テツ:実際、結構言われるかなって思ったんだけどね。そうでもなかった。みんな「やってやれー」って思ってくれてたかも。でも何件かメール来たよ。
「がっかりしました」みたいな?
テツ:「ガッカリしました」とか。「そういうバンドだとは思ってなかった」みたいな。「残念です」みたいなの結構来たよ
ハヤト:でもそれ、ゼロよりはそっちの方がカッコイイと思います。そうやって言ってくれる人がいるってことは、それだけ好きってことだから。
ENVYって別にもう何やってもアリっていう感じはするんですよね。
ハヤト:極論を言うとMステに出ますって言っても、多分皆「はぁ、スゲー」ってなって、ネガティブなイメージを抱く人って多分いないし。
テツ:やっぱり土壌が違うと言うのと、譲れないこだわりもって活動してるからかなからなのかな。
多分、自分らの立ち位置がちゃんとあるっていうところが結構デカイ気がしますね。その辺がフラついてるとやはり見てる方には浮ついて映る。
テツ:「あーあ」みたいになっちゃうね。
ハヤト:オレ一個だけ聞きたいんですけど…。もし失礼だったら凄い申し訳ないんですけど、envyって自分たちのことをハードコアバンドだって思ってやってますか?
テツ:やっぱり根底にあるものってそこなんです。それを揺るがないでやるっていう精神の問題だと思ってる。音楽性の問題じゃなくて。だから音楽性が変わろうとやっぱりハードコアだと思ってるしね。
ハヤト:なんかオレとか、US、UK、80’S、クラスト、色んなハードコアが好きで。けど別にジャパニーズハードコアの人たちみたいに不良でも何でもないし。ただそういうバンド、そういうミュージックが好きで、MEANINGをやってて。けど残りの4人はみんながみんな、そうじゃないんですよ。ハードコア、MEANING入るまで知らなかったっていう人も…
テツ:いるんだ?それも良いんじゃない。
ハヤト:大半がそうで。他の人からは「ハードコアじゃねえ」てよく言われるし。自分たちでも、やっててわかるんですよ。そう言いたい気持ちも。メタルでもないし、ニュースクールでもない、オールドスクールでもない。ジャパニーズハードコアのシーンとかに行くと、ピザから出したばっかの時とかは「お前らPIZZA OF DEATHだろ」ってことも、結構頻繁に言われてて。
テツ:へぇ。
ハヤト:地方に行けば行くほど。でもライブ終わったら「悪くねえな」みたいなことを何回か言われることがあって。
テツ:そういう人たちも悪い人たちじゃないんだよね。知らないだけであって。
ハヤト:そうなんすよね。オレはハードコア好きだし、ハードコアマインド持ってやってるけど、皆がそうじゃないから、胸を張ってオレは別に普段からハードコアバンドだって言ってはいないんですよ。けど、心の中では、そう思ってて。
テツ:そういうのあるよね。
ハヤト:で、別にハードコアって思われなくてもいいけど、俺らMEANINGはパンクバンドでいたいなっていう気持ちがずっと強くて。
テツ:入口がそうだとずっとそうじゃないかな?そういう精神ないと続けられなくなるよね。過酷なツアーにしても。
ハヤト:envyくらい確立してやってると、その辺のマインドってどうなのかな?って思って。
テツ:いや変わらずだし皆そうだと思うよ。みんな入った入り口がハードコアだし、やりたい音楽もHCだったから。今も変わらずそういう風に思って活動してると思うよ。
ハヤト:なんか自分で云う分には苛つかないんですけど。ジャパニーズハードコアの人に「どんなのだ?」って聞かれたら「そんなゴリゴリハードコアじゃないっす」って云うけど、それを「お前らハードコアバンドじゃねぇな」って云われたら、ちょっとイラッとくるっていうか。(笑)
ハードコアっていうのが根底にあるっていうので、テツさんの活動のアイディアみたいなのはそこが軸になってるんですか?
テツ:そうだね。今となってはそこまで意識してはないけど…、やっぱそういうのも多少あるのかな?envyはハードコアだからこれやらないとか、そういうのはあんまりないかな。
ハヤト:昔からなかったですか?
テツ:昔はもちろんあったよ。
ハヤト:やっぱそうすよね。
テツ:昔はあったけど今はほとんどない。
単純に活動のアイディアの源みたいのって、先人のそのハードコアバンドだったりしたところもあるのかな?と。
テツ:そういうのもあるし。あとはやっぱり、日々の出来事の中で思ったこととかもあるし。「自分たちはこういうのやった方がいいんじゃないかな」っていうのもあるし。あとは自分らは誰にも束縛されてないから、何でもスカッとできちゃうね。
アルバムにしても5年作ってなかったから「そろそろアルバム作ってツアーした方がいいんじゃないか」って言われる。「忘れられちゃうよ」とかね。そう言われてやっと「あぁそうだな」「じゃあ。アルバム作ろうか」と。
ライブに関しても、「こういうイベントあるけど、どうですか?」とかから考えるのもあるし。あとは自分から「こういうイベントやりたいな」とかアイデア先行のときもある。アルバム出すからには「こういう感じでツアーしたいな」とか。
ハヤト:逆にそれを二十年やってきて息詰まることとかは?
テツ:そんなの全然ある。
ハヤト:あるんですか?
テツ:何度か辞めようと思ったこともあるもん。
ハヤト:へぇ。それはもうバンドつまらなくなっちゃったな、とか?
テツ:つまんなくなったというか、「疲れたな」と思った時もあったし。「このままで大丈夫か?」と思ったこともあったし。このままの同じ生活を続けてね。でも、やっててよかったな、楽しい事しかないし。
もちろん皆仕事しながらバンドやってるってことですよね?
テツ:そう。それがあるから、長く続けられてるのかなって思うよ。
仕事をしつつ。
テツ:バンドより、仕事だったり家族だったりを優先でバンドを出来ればという考えで常にやってるから。
ハヤト:そのなかで最大どんだけやれるか?と。
テツ:そう。それが辞めずに出来てる一つの要素でもあると思う。
ハヤト:うちのスタンスと一緒で良かった(笑)うちは、それバンドやり始めた頃に言ったんですよね。「自分が本当に大切だと思うことは、良いライブだったとしても断ってくれていい。そこは尊重する」っていう。それができなくなったら、それで飯食ってるわけでもないしやる必要がない。ただその判断は自分に任せるっていう。
ハヤト:ボーカルとしてお聞きしたいことがあるんですけど。いろんな国でやって、いろんな場所、アウェイと思う場所、色んなとこでやるわけじゃないですか?そういうことするバンドって、意外とハードコアのシーンから来てるバンドじゃないといないと思うんですよね。
テツ:いないだろうね。
ハヤト:他のシーンでやってるバンドって、多分もっとお客さんの絶対数が多いから、アウェイだって言われてるところでも、俺らから見たら全然アウェイじゃないし。本当のアウェイってモノを見せてやりたいって思うときとか、きっとあると思うんですよ。20年色んなところでやってきたので。
テツ:あるね。
ハヤト:そういう時って、どういう気持で出て行きます?いつもどおり?
テツ:いつもどおりっていうか「やってやる!」って意識の方が大きくなるかな。じゃないと負けちゃうもん。1人対何百人だからね。
ハヤト:やっぱそうですよね。
テツ:いつもどおりというよりはアウェイの時は「よっし!やろう!」って思うようにしてる。ホームの時はわりと「いつもどおりちゃんとやろう!」って思ってるんだけど。海外の時もずっとそうだった。初めて見に来るお客さんばかりだったろうし、「よしやってやろうぜ」みたいなイメージでやってたね。
ハヤト:それって本来はこうボーカルが持ってなきゃいけない大事なものなのかな?って。
テツ:そうなんだよね。一番先頭の眼に付く位置にいるからね。
ハヤト:そうなんすよ。ライブやっててもフィジカルの体力的なものとかで「疲れた」っていうのとかと違うものってないですか?真ん中にいることで。
テツ:心臓ドキドキするよね。
ハヤト:ライブする場所が違うと、他のメンバー達は「いつもどおりやろうぜ」って。もちろん「カマしてやろうぜ」って気持ちもあるんだろうけど。オレとか喋ったりもするし。削りながら…
テツ:削りながらやってるよね。俺は基本的には話さないからね。
ハヤト:オレは凄いそう思ってたんですけど。そういう場所(アウェイ)でやるのって
テツ:逆にパワー使うよね
ハヤト:そうすよね。良かった。同じに思ってて。
ハヤト:新しいこと、面白いことをどんどんやっていくって、オレもそれでずっとやってるんですけど。十年間とりあえず今のところ途切れずにやれてて。それがなくなった時に、多分オレはバンドを辞めるのかもしれないって自分で感じてるんです。今のメンバーに不満もないし。
テツ: 20年やっても(アイディアが)出てくる。大丈夫だと思うよ。(サラッと)
ハヤト:(笑)20年間努力し続ければ、大丈夫だってことなんすかね?
テツ:大丈夫だと思うよ。逆に辞めたくなくなっちゃうかもしれないね。
ハヤト:あぁ。逆にそれ一回辞めたいなと思ったのって、いつくらいですか?
テツ:バンド始めた当初は遊びのつもりでやってたから、20歳とか25歳くらいで辞めようと思ってた。そこからどんどん楽しくなってきて。やれることもライブも増えて来て。それで結果辞めなかったね。あとは精神的に疲れちゃっときに「もう辞めようかな」って思ったのはある。それくらいかな。
ハヤト:国内でライブやってて一番忙しかったなって時って、どれくらいやってたんですか?
テツ:国内だと1ヶ月10本とかやってたんじゃないかな。でもどんどん減らした。ちゃんと集中したライブを毎回は出来なくなっちゃうからね。それはお客さんにも失礼だなと思ってきたし。
ハヤト:それもオレ、やっとそこに今気持ちがいってるというか。
テツ:結構やってる?
物凄いやってますよ。
ハヤト:ずーっとすね。10年間ずっと月8回から10回を。年間で言うと80~100回?
テツ:凄いね。
ハヤト:ずっともう。レコーディングがあっても何があっても、ずーっとその感じでやっってて。
テツ:やってるんだ。
ハヤト:それも、やりたくてっていうか、一ヶ月後の自分が見えてないんですよ。オファー受けた時に「それめっちゃ面白そう、やろう」みたいな。で、前後のスケジュールみたら「あれ?(ライブの量やスケジュールが)めちゃくちゃじゃない?」みたいな。
テツ:たまにあるよね。先を見ずに。
やはりそういうのもenvyはテツさんが決めてるんですか?やるやらないとか?
テツ:基本的には任せてもらっていて決めている。
envyとしてあまりやらないほうがいいんじゃないか?とか。
テツ:うん。
ハヤト:それに対して皆も…
テツ:「いいんじゃない、任せるよ。」みたいな。
ハヤト:それやっぱり大事っすよね。
テツ:誰かが決めて言わないとさ。
わりとその辺テツさんのみが決めてると?
テツ:そうだね。基本的にオレが決めてる。あんまり皆でやっちゃうと収集つかなくなるじゃない。
ハヤト:5人て結構大変ですよね
テツ:多いよね。
ハヤト:多いっすよね(笑)
テツ:多いよ(笑)5人のスケジュール合わせるのも大変だし。
ハヤト:本当にそうなんですよ。5人もいると5通りのバンド感があるから、ほんとうに大変なんですよ。
テツ:だからもう今は「(テツに)お任せします」みたいな感じになってる。
昔はそういうので、もめたりとかあったんですか?
テツ:もめたりしたことはないな。「オレこれやりたいんだけど」「オレ、これやりたくない」ってのはない(笑)
envyってスゲー仲いいってイメージ。
テツ:凄い仲いいよ。兄弟より一緒にいる時間長いしね。未だに飲みに行ったりするしね。
ハヤト:それパッと言えるって凄いっすね(笑)だいたい皆「仲いい?」って聞いたら「いやぁ、別にまぁ腐れ縁だし」とか「仲良くはないかな」っていうじゃないですか。
テツ:ツアー中の移動だって音楽とか一切かけない。ずっと喋ってる。
ハヤト:(笑)うちの車より激しいですね!うちの車も多分相当ですけどね。
テツ:「話聞こえないから音楽消して!」とかそういう感じ。
一同:(笑)
一回だけenvyにツアー連れってもらって、もうノブさんとかは…
テツ:ずっと喋ってたでしょ?(笑)
喋ってくれてて「あのラーメン屋がよー」みたいな話をずっとしてくれてて。
テツ:ずっと喋ってるね。
ハヤト:そうやって仲いいまま、あーやってどんどん斬っていくのって、やっぱり一番美しいというか。
テツ:仲良くなきゃ、まず出来ないよね。
ハヤト:最近そう思いますね。10年やって、その先行くのって多分、もう一回もっと本気でやろうって、環境も変わってきて、こっから先は「本気でやるのか?やらないんだったら辞めよう」っていうとこまで話が行って、気持ちがこう11年12年っていうふうに…
テツ:変わってくるよね。
ハヤト:今までは勢いで言ってたところを見定める。
テツ:それはやっぱり舵取りしていかないとね。考えながらやっていかないないと。
海外ツアーも運営の仕方まで考えていますか?前聞いたのはツアー中に収入とかがなくなっちゃうから色々考えたと聞いたのですが。
テツ:仕事休んでいかなくちゃいけないし、赤字にはなれないから、前もって全体のギャラを聞いてそこからツアーの計画を立てて行ってる。でも幸い今は売り上げが出るからね。海外もやっぱりNYとか観光地サンフランシスコとか大都市以外だとそこまでの集客にならないから頑張って良いライブして物販を沢山売ったりとか。なんだかんだ大変だよ。
一同:へぇ。
テツ:で、そこから、
ハヤト:キャパにあった…
テツ:そうそう。BREAK EVENていうシステムがあってさ、500人のキャパだったら300人までのギャラがこの金額でそれ以上集客があると何%上乗せって決まってる。
いいですね、そのシステム。箱もそのイベンターも責任持って出来るっていう。
テツ:だから日本とはそこが一番違うかなって思う。日本はライブをやらしてやってるというイメージで、海外だと皆腹くくってみんなでイベントを成功させて行くて言うイメージかな。
ハヤト:日本でいうチャージバックシステムのもっといい版みたいな。
テツ:全部ツアー行く前に決まってるから。
イベンターも必死にお客さんを呼ぼうとしますもんね。
テツ:そうだね。
ハヤト:確かに。
結局日本だとバンドの力みたいなのが先にあるじゃないですか。
テツ:だから何かやりにくい感じなのかな?と思ってる。海外に行くと分かりやすくて、すごくいいシステムだなと思って。やっぱりヨーロッパに関しては、基本ケータリング、宿泊、バックラインは全部イベンターが用意してくれるのね。本当にバンドは行くだけで、って感じで成り立ってるのがすごいなといつも思う。食事も全部準備してくれるし、しまいにはPDって言う小遣いまでくれるからね。
ハヤト:へぇ。
テツ:そういうのがあるとバンドが育つっていう感じがする。海外ツアーしてるバンドって、そうやりくりして音楽で生計立ててるバンド多いからね。だから海外からのインタビューの質問とかで「なんでenvyくらいのレベルのバンドが日本では食えないのか?」て来るから「日本はこういうシステムだからなかなか難しい」って返す。変えようとは思わないんだけどさ(笑)その中でやるしかないんだよね。海外はそういう面では凄いやりやすいと思う。
ハヤトは英語も喋れるし、MEANINGは結構やれそうな気はするんですけどね。
ハヤト:とりあえず一回ドサ回って来いってことですね。
テツ:毎回ドサ回りだもん。
ハヤト:envyがドサ回ってるんだったら、俺らもドサ回らないわけにはいかない(笑)
テツ:そうだよ。出来る(サラっと)。凄くいい経験になるしね。本当に今でも無茶苦茶な環境で演奏したっていうのがいい経験になってるしね。わかるでしょ?
ハヤト:それもあってコレ(MEANINGの写真集)をお渡ししたかったんです。なんか色々あっても、そういうのを一緒に経験してきてると、どっかで切れないっていうか。
テツ:そうだよね。
ハヤト:だから多分ミノルさんとかも一緒に海外ツアー行ってるってのが凄いデカくて、たまに離れてしばらく会わないとか、全然違うことをやってたりとかしても、会ってちょっと話すと…
テツ:すぐ戻るもんね。
ハヤト:わかります?こう戻っていく感じ。
テツ:もちろん分かるよ。今まで沢山の人達と出会ってるし、それは本当に面白い経験だよね。でもバンド活動で得る経験や感覚は普通できないからね。
ハヤト:そうなんですよね。
テツ:いい経験させてもらってる。
ハヤト:オレは辞めていくバンドにスゲー言ってんですけど。やっぱり増えていくんですよね30代くらいで。
テツ:そうだよね。
ハヤト:スゲー言ってるんですよ。「何を手放そうとしてるかもう一回考えろ」って。
テツ:金じゃ買えないし、したくても出来ないバンドも沢山いるんだから。こんな素晴らしい経験ね。
ハヤト:そうですよね。買いたくても買えないすよね。
テツ:買えないよ。
ENVYと活動を同じ時期にやってたバンドって今はもうあまりいないですよね。
テツ:同期?この間久々にBACK DROP BOMBと一緒ににやったんだけど
楽しかったな。
ハヤト:あぁ
テツ:彼らももう二十年やってるからね。全然交わることなかったんだけど、知ってはいた。ずっと友達だったし。
ハヤト:そうなんですね。
テツ:ここ数年タカ(BACK DROP BOMB、Vo)とかとよく飲むようになって。
ハヤト:BACK DROP BOMBとのツーマンも結構「あー」って思ったんですよね。
テツ:それも結構悩んだんだけど、やっぱりそろそろ俺らも柔軟な考えを持ってそれもアリかなと思ってOKした。
実際アレですよね、envyがいたシーンと、所謂AIR JAM系の人たちって…
テツ:違ったよね。
ハヤト:まぁそうですよね。
テツ:皆、知ってはいたんだけど、そのシーンに居た人たちには、自分に何か他の価値を付ける為の音楽、ってイメージがあったんだよね。当時は「俺らとは違うんだ」ってずっと思ってたから。でも人としては皆すごくいい人達だし、音楽とは別の所で付き合ってはいたんだよね。
ハヤト:そういうのっていっぱいありますよね。まさかテツさんがPIZZA OF DEATHの事務所に来ることになるなんてね。時を経ると。
テツ:本当だよね(笑)
ハヤト:それ自体がもう凄いことですよ(笑)
交わると思ってなかったんで。
ハヤト:でも、この間もMINORxUさんと言ってたんですけど。MINORxUさんとかもホントそのenvy側のシーンにいた人じゃないですか?スタンス的には。けど、皆年を経て色々経験してくると…
テツ:わかってくるんだよね。縁もあるし。
ハヤト:「それはそれで凄いんだな」って認める部分も出てくるじゃないですか。そういうのって続けてて良かったな、って思う一つの要因すね。オレにとって。でも、続けるっていうのは凄いことですよね。上がり続けるっていうのは。
テツ:下がったら嫌だよね。下がらないように何かしら考えながらやらないと。
なんかちょっと誇らしかったんですよね。同じシーンに居た者として、envyがこういう色んな所を切り開いていく様を見るのが。本当に。
テツ:ほんとに小さいシーンだったもんね。
そうなんすよ。だってスタジオライブとかってマジで30人も入らないようなとこでやったりとかしてて。なのに、いきなりもう海外とかに出るとか聞いて。
テツ:なんだろうね。自分らが一番不思議に思ってて一番わかって無いかもしれない。
しかもその間にもセルアウトした感じもなく、筋が通ってるイメージで。
ハヤト:俺らは途中からPIZZA OF DEATHと一緒にやったりとか、こだわりをなくして「行けるとこ、どこまでも登っていこうぜ」っていう気持ちを5人で持った時に、当時一緒にいたバンドとかがあまり良く思っていないようなこととかを耳にしてて。やっぱりどこかで「誤解されるだろうな」っていうのもわかりながらやってたし。でも最近になって昔の仲間と「一緒にライブやろう」ってなった時に「あの当時はこういう気持ちで、こうやってやってて」って話を説明すると、「あぁ、あの時は全然そんなふうに思いもしなかったけど、今言われてスゲーわかるし、ありがとう!」みたいなこと言われると…
テツ:やってよかったなって思ったよね。
ハヤト:やってて思いますね。
envyってなんかそういうこともあまり言われてなかったようなイメージ。
ハヤト:だからそれが一番美しいんじゃないですか。何してもマイナスにならない感じ
テツ:多少気にはしてるんだけどね。
ハヤト:バンドやってる身としてはズルいなと思うくらい羨ましいっすね。その何でもあり感。
海外で勝負していたのがデカイんじゃないかなぁ。
テツ:envyはわりと早い段階で海外に行ってたからかもね。その要素の大きいかも。
国内でってなったら違ったかもしれないね。
ハヤト:それじゃ、ツアーファイナル終わったらその足で東南アジア行ってきます(笑)
ちなみにインタビューってあんまり受けないですよね?
テツ:基本的にやらないね。過去に2〜3回くらいかな。
やんないですよね。
ハヤト:それもやっぱり見られ方的なもの?とか
テツ:それもあるしなんか一番に大きい要素は…だいたいインタビューは音源リリースしたタイミングとかが一番多いでしょ?「音源リリースしてるのになんでインタビューする必要があるのか?」っていう疑問なんだ。
一同:あぁ
テツ:音源出来ましたよ!ってそれを知ってもらうための手段なのかな。最高に思える曲作って、思うがままの歌詞作って、アートワークまで自分の思い通りに作って…音源を聴いてくれって出すじゃない。
ハヤト:そこに全部入ってるわけですもんね。
テツ:それに何を補足する必要があるのか?というのが一番の想いだね。
ハヤト:それを補足してまでわかって欲しくはないと?
テツ:わかって欲しくはない。音源聴いてもらえば、いまのenvyの全てをわかってもらえるだろうし、思いを感じてもらえるような音楽を、自信を持って作ってるから、あえて補足してまでは伝えようとは思わない。
ハヤト:補足しなきゃわからないものはやってない?
テツ:うん。だったら(インタビューは)必要ないかなぁと思ったかも
なるほどー。
テツ:音源のセールスとか気にすると「やった方がいいのかなぁ」と思ったりもするんだけど。やったところで「そんな変わらないかな」とも思ったりする。
逆に今回は何故引き受けたんですか?
テツ:対バンを引き受けたからには、MEANINGも気合入ってるだろうし、イベントをちゃんと成功させたいと思ってるだろうし、なるべくそういうのには協力できれば「全然いいよ」っていう考え。そういう頭にシフトしてるとこもある。
ハヤト:後輩にいつか同じようなことを云われるときまで、その言葉胸に刻んでおきます!
テツ:実際には感覚的にOKな部分も自分にもあるんだよ。全然気むずかしい人たちの集まりじゃないんだよね。
ハヤト:今、自分たちがバンドやってて11年目で、なんか一番いい時期になってきてるんです。客観的に見たらわからないですけど。悪い時を経て、いい時期に向かってきてる感じを凄い感じてるんで。そのタイミングでこうやって「一緒に他のバンドとやってみよう」っていうふうにenvyが思ってくれたんで、そういうチャンスを大切にしたいなと思います。
「その場所にいた」というだけで、後々に誇れるライブというものがある。
何気なく見ていたその光景が、後々に大きなインパクトとなって自分の人生に横たわるようになる。
若い頃は「後々に誇れるライブ」などというものを期待して観に行ったことはなかった。
けれど、年齢を経ると「そういうライブになるであろう予感」みたいなものを嗅ぎ分けられるようになってしまう。
皮肉なことに、その勘は大概当たる。
対談内でもテツ氏が言っていた、氏のターニングポイントとされる2001年6月9日に行われた企画、LAST WISH。
これは筆者にとっても間違いなくターニングポイントだった。
この日のワクワクは今でも忘れていない。
ほとんどライブハウスでライブをやらなかった4バンド。
後に「何処でライブをしているかわからなかった」などと多くの人に云われた程、アンダーグラウンドの底で活動していたバンド達。
彼らがライブハウスを、しかも新宿LOFTをソールドアウトさせた。
何かが変わった気がした。ステージに上った彼らもだが、そこに駆けつけたオーディエンスたちも、何かを変えたのだ。
図らずもそこにいた全員がその場を作り上げ、のちに語り草となる夜となった。
2015年3月8日。
もしかすると、その日もそんな夜になるかもしれない。
そんな予感がしている。
そこにいた若者たちが歳を経て「オレもあの場所にいた」と誇らしげに話している様が思い浮かぶ。
世の中をひっくり返すのは、バンドの力やメッセージだけではない。
そこに集まった人々との現象の積み重ねだ。
今でも思っている。「ひっくり返したい」。既成概念や、難しいと思われてることを。
それはあの日のあの光景を目撃したからだ。
だから今度もライブハウスに行かなければならない。
これからのMENAINGにとってのターニングポイントとなる、その日を目撃しようと思う。
MINORxU