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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.109

「蚊」

2024年の夏、蚊の季節の真っ只中。

ボクは異様に蚊に刺される。蚊がいそうな場所などを通ろうものなら、ものの数分で何箇所も刺される。ちょっと一服と思い外に出ると、すぐに4~5箇所刺される。防御のために長袖に長ズボンを着用していたら、顔を刺される。

しかも年取って代謝が悪いので、なかなか治らない。子どもの頃は刺されても翌日には治っていた記憶があるが、今は平気で痕がワンシーズン残る。下手すりゃ腫れたりする。刺された直後に掻かずに耐えられれば案外悪化しないのだが……時々猛烈に痒いのを我慢できずにガーッと掻いてしまい、血まで出てしまい、所謂「掻き壊し」の状態になる。痒みを掻かずに我慢するのは相当厳しい。あのナポレオンですら痒みは我慢できなかったという話だ(ウソです、ナポレオンが我慢できなかったのは歯痛です)。

そんなわけで、夏場のボクは傷だらけだ。

刺されやすさには個人差があり、その原因については昔から諸説ある。

血液型がO型だと刺されやすいと言われる。確かにボクはO型なので当てはまる。しかしO型だが全く蚊に刺されないという友人もいるが。

黒い服を着ていると刺されやすいという説もある。確かにボクは黒いTシャツをよく着ているので当てはまる。しかし別に家にいる時にいつも黒いものを着ているかというと、それはそうではない。何色を着ていても刺されまくる。

体温が高い人が刺されやすいという話も聞く。ボクの平熱は高い方と言えるかもしれないので、これも当てはまる。

バッチリどれにも当てはまるではないかwwww

まだまだ俗説は他にもある。

「酒を飲んでいると刺されやすい」、ボクは酒は飲まない。酒でイヤな思いをいっぱいしてきたので、むしろ嫌いの範囲内に入る。

「汗っかきは刺されやすい」、これも当てはまる。ライブを演ると、若い頃は毛先からつま先まで、汗でずぶ濡れになった。しかし近年は頭頂部が濡れない、つまり頭頂部から汗をかかなくなった。元々かかないのではなく、かかなくなったのだ。相変わらず毛先はずぶ濡れになるので、頭髪の生え際の汗腺は活動している。しかし頭頂部の汗腺はもう活動していない。ということは毛根が死んでいるのではないか?汗腺の活動具合と毛根の因果関係は知らないが……近い将来、頭頂部から禿げるのではないか?と戦々恐々としている。これは蚊に刺されることなどよりも、よっぽど大きな問題だ。

「妊娠中は刺されやすい」、結構本気で、自分のお腹を痛めて子どもを産んでみたいと思っていた時期はある。

こんなに俗説があるのなら、誰もがどれかひとつくらい当てはまるものがあるのではないか?しかしなぜボクだけこんなに刺されるのだろう??

最近になり、結構パンチのある俗説を耳にした。蚊に刺される人は「足が臭いから」というものだ。いや、ちょっと待って欲しい。ボクは足は臭くない。ボク自身の名誉のためというわけではないが、ハッキリ言っておく。ボクの足は臭くない。そりゃ洗わなければ臭くなるだろうが、毎日しっかり風呂にも入っている。清潔にしているつもりはないが、決して不潔ではないはずだ。

匂いに特化して話すと、足も脇もチンコも臭くない。実際チンコは知らんが。なぜなら自分で臭うことが不可能だからだ。しかし何百、何千という被験者からそういった類の苦情/報告を受け取ったこ(以下略)

気になったボクは、ネットで調べてみた。早速「足が臭いと刺されやすい」説を発見した。医学博士の実験によるものらしいが、なんともインパクトのある文章が。「私自身が行った別の実験では、足の匂いの原因物質で独特なチーズ臭を放つイソ吉草酸(きちそうさん)が、特定の濃度で蚊を誘引することがわかりました。」とのこと。

おいおい、チーズ臭とはずいぶん乱暴なことを言ってくれるじゃないか。

そもそもボクは臭いにはかなり敏感な方なので、自分がそういった臭いを放っているのなら自覚があるはず。ボク自身臭いのキツいチーズは嫌いなので食べられない。チーズ臭など間違っても放ってはいない。

別のアメリカの大学の研究チームによると「皮膚に特定の臭い成分が多いことを明らかにしたと発表した。皮膚の臭いが蚊を引き寄せる強さは個人差が大きく、蚊に好かれる人の皮脂には複数のカルボン酸化合物が多く含まれていた。」とのこと。なるほど……簡単に言うと、蚊に好まれる臭いを放っているということか……まぁもちろん自覚はないが、蚊に好かれる「カルボン酸」が自分の皮脂には多く含まれている、そう解釈することにしよう。「チーズ臭」よりはなんぼもマシだ。「カルボン酸」など聞いたことがないし、専門家でもない限り誰も知らないだろう。人に説明する時にもカッコウがつく。むしろあらゆる俗説を打破できる説得力を持つ、素晴らしいワードだ。ボクは反論の武器を手に入れた。

誰か①「蚊に刺されやすい人は足が臭いらしいよ。」

誰か②「チーズ臭を放っている人に寄ってくるらしいよ。」

誰か③「健さん、足が臭いんじゃない??」

ボク「バカ言っちゃいけないよ。そういう説もあるけど、実は違うんだよ。調べてみたら、どうやら皮脂に『カルボン酸化合物』を多く含む人が刺されやすいらしいんだ。」

誰か①&②&③「へー、そうなんだ、臭いから刺されるわけじゃないんだ!」

カルボン酸……カルボン酸……一体どんな臭いがするのだろうか??これも調べてみると、更に暴力的な形容が並んでいた。「チーズのような」、「フルーティーな、乾燥プラムのような」、「かび臭い、コリアンダーのような、脂っこい」、「ヤギのような」、「ろうのような、石鹸のような」、「土のような、草のような、青ピーマンのような」……これってもう侮辱の域ではないか!?!?極めつけは「カルボン酸そのものはとんでもない匂いである」だと。

もうボクはステージに立つなどもっての外、もはや誰にも会いたくない。

話は変わるが、蚊の憎たらしいところは、痒くするところだ。痛くもないんだから、刺すだけなら別にいい。吸う量も大した量じゃないのだから、血などガンガン吸っていけばいい。しかしなんで痒くしていく必要があるのだろうか!?まるで玄関先にクソをしていく泥棒のようじゃないか??

しかも蚊は、この世に存在しなくても生態系に影響を及ぼさないらしい。それどころではなく、伝染病の媒介役にすらなっている。百害あって一利なし。

刺すのは別にいいよって言ってんのに、血を吸うくらい別にいいよって言ってんのに、こっそり近づいてわざわざ痒くして逃げていく。

この行為をなんと表現しよう……ボクなりに蚊を形容するなら「究極の恩知らず」ということになる。

恩知らず、つまり裏切り者。

世話になった人に対しツバを吐いて返す者。

自分が人を世話したり、手を差し伸べることも多くなった。見返りなど全く期待していない。

見返りは求めないが……世話する以上「これだけはして欲しくない」というものはある。ボク自身が裏切られるのならまだしも、ボクの世話になっておきながら、ボクの周りの人間を裏切り、手をかけさせ、傷つける。それが想定し得る最悪な出来事。

そういうことが起こらないように、ボクは事前にそれを話し、そういうことが起こらないように、必ず一言「頼むよ」と付け加える。

それは「約束」であり、「お願い」なのだ。

こういう場面の男の約束は、なかなか重い。

しかし、やはり約束を反故にするヤツがいる。

「男同士の約束」を破ることは万死に値する。

近年もなかなか看過し難い裏切りにあった。

しかし、事が起こってしまった以上しょうがない。怒ったり詰めたりもしない。

ボクが生きているうちに、誰にも知られないように、その責任は取ってもらう。しかし当面は、何事もなかったかのような顔をする必要がある。「まぁ世の中広いからいろんなヤツがいるんだよなぁ……」と分かったようなツラをするしかないのである。

蚊に刺されやすいボクはこの季節になると、ボクの血を吸おうと間抜けヅラ下げて腕に止まっている蚊を叩き潰す。

潰れて死んだ蚊から、そいつが吸い上げたばかりの赤茶色の血が、ボク自身の掌に弾け散る。

その掌の潰れた蚊の無様な姿に、裏切り者の顔を見るのだ。

このバカ、臭えもんに寄ってきやがって。

 

 

「Ken Yokoyama」

Ken Yokoyama で新しい音源のレコーディングをした。今年の1月と6月に、合わせて17曲を録った。まだ正式発表まで時間があるが……「そんなにたくさん新曲あるの?」「そんなに録って何に使うの?」、いろいろと疑問が湧く曲数だと思う。しかし発表されたら「なるほどね」と納得してもらえると思う。正式発表までしばしお待ちいただきたい。

そんなこともしていたのでずいぶんと忙しくしていた。今はやりたいことが次々と湧いてくる。それらを自分なりに時間を計算してこなしているのだが、若干オーバーヒート気味ではある。それでいいのだ。ただでさえ自分のミュージシャンとして残された時間は長くない。最終章を迎えて、今までやりたいけどやれなかったことなどが、堰を切って一気になだれ込んできた。そういったことに、自分の処理能力を超えてまで取り掛かる時期なのだ、と感じている。幸せなことだ。もしオーバーヒートしたら止まっちゃえば良い。

 

 

「趣味」

忙しくしながらも、気持ちは充実している。おそらく近年は気持ちのオンとオフを少しつけられるようになったのだろう。気持ちのオフとはどんな時か……趣味に没頭している時間だ。

①ギター

長い事ボクには趣味と言えるものがなかった。ギターが唯一の趣味だった。

ギターに囲まれた生活は幸せだ。しかし正直言うとギターは日常と近すぎて、気持ちをオフできない。弾くことは仕事に近いので、なにを弾いていても当然オン扱いになる。しかし眺めることはかなりオフだ。とは言えオフ(ギターを眺める)をずっとしていると、なんだか罪悪感に近い感覚になったもんだ。「眺めていないで弾けよ」ということなのだろう。

……ボクはギターを弾くよりもむしろ、眺めている方が好きなのかもしれない。いや、弾くのももちろん好きだ。実は比較など意味を成さないことなのだが、いつも仕事を意識してギターを触るより、なにもかも忘れてただのギター少年に戻って、よだれを垂らしながらグヘグヘ言っている時間の方が単純に楽しい、という感じか。おかしいな……ギター弾いている時もグヘグヘ少年でいるはずなのだが……。言語化は難しいが、やはりその二者には違う感情が存在するのだろう。

なんとなく情けない話だが、しかしそこを認めることで「ギターは趣味だ」という観点が芽生えた。

かなり苦しさと背中合わせの趣味だ。

②刺青

刺青は趣味と言える。最初に入れてから約30年、最初は「この1個だけ彫ったら気が済むだろうから、増やすことはあるまい」と思っていた。しかし結果はご存知の通り、逆に行ってしまった。

まだまだ体にキャンバスは残っているが、個人的に「ここに彫るのは無し」と思っている場所があるので、実は彫れる余地はもうそれほど多くはない。もう大物を彫れる広さはないので、今後は隙間を埋めるべく、少しずつ小物を増やしていこうとプランしている。

背中から尻にかけて、大きなお地蔵さんが彫ってあるのだが……線だけ、つまり「スジ彫り」の状態で10年以上止まっている。理由は簡単、痛いからだ(wwwww) 彫る場所の痛さには個人差があるが、ボクの背中は腕や脚とは異次元の痛さだった。ついでに言うと、尻はそのまた数段上だ。ちょうどキレイにスジだけのところで止まったので「……もうこれで完成ってことで」となってしまった。それを彫ってくれた彫師さんとは現在連絡を取っていないが、仲の良い彫師さんが「ボクが背中の続きをしましょうか?」と言ってくれる。しかし……ノーサンキューなのである。しかし今後その友人の彫師さんの進言に負け、続きが始まってしまう可能性もゼロではない(ガクブル)。

ちなみにだが、刺青を入れていることで入場を制限される場所は多い。プールやスーパー銭湯、有名海水浴場などが例として挙げられる。銭湯系は個人的に利用することはほとんどないので、大して影響ない。しかしプールや海水浴場はなかなか痛い。まぁそりゃ入れていない方々からすりゃ見るのはイヤだろう。見せないように利用するには「全身ラッシュガード」しかない。モジモジ君だ。しかしそれで日焼けでもしてしまった日には……顔と手の甲と足首から先だけ黒い人になってしまうのはイヤだ。全身の先っちょだけ黒いなんて、まるでそういう信念がある人のようだ。

刺青を入れている者にとっては大打撃なのだが……ごもっともな話だ。人が全裸、あるいは半裸で集まるような場所で刺青など見せるな、ということだ。そういった制限に対し以前はムカついたもんだが、いまやもう抗おうという気にもならない。「そりゃそうだ」しかないのである。いろいろな考えがあるが、ここは日本だ。日本が抱えている刺青に対する歴史的背景は、他の国とは大きく隔たる。刺青を入れている者は、それをしっかりと理解すべきだ。刺青を入れることは、日本では違法ではないのも確かだ。しかし所謂「民意」に受け入れてもらうことは簡単ではない。

そういった海水浴場などの制限が増えるたびに、ボクはいつもこう思う。

「えー!そんなことになるんだったら最初っから刺青なんか入れなかったぜ!!」

冗談だwwwww。

刺青のことを考えている時間は楽しい(背中のこと以外)。「次になに彫ろうかな」「こんなのもいいなぁ」、いろんな映像や本を見ながら想像したり、アイデアを膨らませるのは実に楽しい(背中と尻以外)。しかし1年にそう何個も彫るわけではない。しかも痛い(背中と尻は段違いに)。

楽しいが実にスローペースで、痛みを伴う趣味だ。

③「植物」

植物についてはこのコラムでも何度も触れているので、ご存じの方も多いとは思う。

ボクは南国に生えていそうな植物、所謂「トロピカルな植物」が好きだ。これに理由はないので、きっと生来のものなのだと思う。20代の半ばに鉢物のハイビスカスを買ったのをきっかけに、どんどんのめり込んでいくことになった。しかし育て方や手のかけ方がわからず、1年も持たずに枯れてしまう。それでもまた翌年もいくつか鉢物を買い、しかし育て方がわからずまたもや枯らせてしまう。こうして、いくつか揃えちゃー全滅、を繰り返し、次第に部屋から植物は消えた。

全滅させた時の罪悪感というか、敗北感はとてつもない。「ボクにはセンスがないんだ」、そう言い聞かせて、もう二度と植物はやらないと何度も誓った。しかし誓ってから数年後、またどこかから一鉢入手してしまう。一鉢部屋に来ると、もう一つくらい、いや、もう二つくらいいいんじゃないか、となる。そして数鉢に増えたところで、また全滅の無限ループだった。そもそもトロピカルな植物は、日本の気候だと冬越えが難しい。ちゃんと知識がなければ、そりゃ枯れてしまう。

5~6年前、日当たりの良い家に住んでいたこともあり、幾つかの鉢の冬越えに成功した。そうなるとかつて感じた罪悪感や敗北感などどこ吹く風、高揚感に溢れまくり、どんどん鉢は増えていって、ここ数年は立派に「植物の家」になっていた。とはいえ鉢物は所詮鉢物、地植えに比べて限界がある。

YouTube などでトロピカルガーデンの映像を上げている人が多数いる。ぼくはそれらを食い入るように観るようになった。意外なことにイギリスに多いのだ。「イングリッシュガーデン」という言葉があるくらいなので、昔からガーデニングの盛んな国なのだろう。イギリスはどちらかというと寒いイメージが強い。イングリッシュガーデンには、トロピカルに特化した要素は見当たらない。しかし一部のマニアックな方々が、気候のハンデに負けず、めちゃめちゃ素敵なトロピカルガーデンを作っている。

きっとこういうことなのだ。アメリカ南部やオーストラリア、東南アジアなどただでさえ温かい気候のエリア、つまりボクが好きそうな植物の原産国に住んでいる人にも、トロピカルガーデンを愛する人達はいる。しかし彼らにとっては「普通のこと」なのだ。難易度がそれほど高くないのだ。それがちょっと努力が必要な気候のエリア、例えばイギリスとかでは「すごく特別なこと」であり、難易度が高いから一生懸命になるのだ。

ひとつ思い出すことがある。ビーチボーイズというバンドがある。ボクも10代の頃から大好きで、実は曲を作り始めてから今日に至るまで、ボクはビーチボーイズからの音楽的影響を隠していない。彼らは1960年代からカリフォルニアのサーフィン、女の子、車のことなどを歌い、ビートルズと肩を並べる人気があったバンドだ。彼らが歌ったことは、カリフォルニアのカルチャーや日常そのものだった。世界中の若者が憧れ、熱狂し、当然世界中にフォロワーと言えるバンド達が出現した。そんな数あるフォロワー達の中で、ずば抜けて完成度が高く、大ヒットした曲があった。1974年リリースの「ファーストクラス」というバンドの「Beach Baby」という曲だ。日本でもヒットした曲なので、聴いたら「あ、これね」と思う方もいるだろう。そしてその「ファーストクラス」は、海のないロンドンの出身だった。つまり、カリフォルニアとは似ても似つかぬ気候/地理的要素/カルチャーの中で暮らし、しかしそれが故に憧れが高じまくった結果として、異様な情熱で高い完成度のものを生み出したのだ。

話は逸れたが、そういったイギリスのトロピカルガーデナー達の映像を観て、心底羨ましかった。羨望の眼差しは、いつしか「これ、なんでボクにできないの?」に変わっていった。

転機が訪れたのは昨年秋、庭付きの家に引っ越したのだ。庭があるなら「いつか地植えしたい」と思っていた鉢物を植えたりできる。考えるだけでウキウキなのだ。しかし引っ越しをしたのは、ちょうど寒さが本格的になってきた頃だった。寒くなる前に無茶はすべきではない。YouTube には、冬越えを控えるガーデナー達の忙しい準備の投稿が並ぶ。ボクは冬の間中、不本意な木々が並ぶ庭を見つめちゃ唇を噛むしかなかった。引っ越しの際に植えてもらった、ボクの背丈より高いソテツと、数メートルを超えるフェニックス2本がボクの希望だった。

今年に入り暖かくなってきた頃、ボクの気持ちはスパークした。要らない木を抜き、新しく土を足し、大事に育てていた鉢植えの地植えをした。当然しばらくは何も起こらなかったが、数週間するとたくさん新しく葉っぱが出てきた。その時は「パワースポットって本当にあるんだ」と思った。実はボクは、所謂パワースポットと言われるところに行っても、何も感じたことがない。そう言ってる人は、単にその場所が好きなんだろ程度にしか思えなかった。それは今でもそう思っているのだが……しかし昨日よりも新しい葉が出てきたり伸びてたりする様を観察していると、それこそ生命の息吹に触れているような気がして、パワーを感じるのだ。とても良いものを手に入れてしまった。

調子に乗って、緑だけにとどまらず、花物にも手を出してみた。しかし土が良くないのか、緑なら辛うじて根付くのに、花物は枯れていってしまう。水はけが花の方がシビアなのだろうか?種や球根を植えても、少し芽は出るが枯れてしまう。ならばと苗を買って植えてみたが、やはりあまり根付きは良くない。かろうじてアルストロメリアとカンナが花を咲かせた。キレイだし嬉しいからそれだけでも十分なのだが。長い事鉢で育てていたハイビスカスも、今年で5年を迎える。鉢物ハイビスカスの寿命は5年と聞くので、冬越できないことを承知で地植えしてみた。すると梅雨入り前にはキレイな花を咲かせていた。いろいろあるが、まぁこれもトライアンドエラーである。

あ、そうだ、情報をお寄せいただきたいのですが……イギリスやオーストラリアで流通していて、日本にもごく僅かに生息していると言われる「木生シダ(ディクソニア・アンタルクティカ)」を販売しているところをご存じないでしょうか?ネットで探しているのですが、なにしろ値段が高くて……平気で10万や20万します。ある程度の値段は覚悟していますが、もう少し安く分けてもらえるお店、個人でも情報をお待ちしております。

とにかく、そんなことをしているのが猛烈に楽しいのだ。

初めての庭との関わりなので、これからも予想してなかった事態に直面するだろう。

それらも少しずつ乗り越えて、納得行く庭にして、同時に鉢物も楽しみたい。

ボクの将来の夢は「あそこの家の人、ここをハワイかなんかと勘違いしてるよなぁwww」と近所の人や通行人の嘲笑の的になることである。

まぁなんというか……つまり植物を一生懸命育てて、その成長に目を細める。

横山ってそういう優しい男なのだ。

④麻雀

中学生の頃に友人の父親に教えてもらった麻雀。20代の頃は結構打つ機会があった。今のようにパソコンもiPhoneもない時代にツアーをしていたので、ツアー先での娯楽を探すのが大変だった。飲み屋に行くか、ゲーセンに行くか、ナンパするか……雀荘に行くことも選択肢の一つだった。

ハイスタンダードのツアークルーの中でメンツは集められたので、よく雀荘に行ったもんだ。ツネちゃんがかなりの麻雀好きだったので、地方でも東京にいる時でも、日本海フェリーの中でも、とにかくよく一緒に打った。ツネちゃんは強かった。しかしオレはどうもセンスがないのか……全く勝てなかった。自分の家に麻雀セットを買って、いろんな人を呼んで「徹マン」もよくやった。HAWAIIAN6 のはっちゃんもよく来た。はっちゃんも強かった。ほとんど勝てた記憶がない。

当時は漫然と、数字を並べて打っているだけだった。人に教わる機会もなかったし、自分で勉強することもなかったのだから、まぁ当たり前と言える。しかし元々負けず嫌いなので、負けると悔しくて怒ってしまう。それで「もうやらない」となってしまうのだ。そりゃ上手くならないわけだ。

そして30代にもなるとみんな家庭を持ち始めたり、仕事が忙しくなったりして、なかなか集まらなくなる。そうしてボクも麻雀をすっかり打たなくなっていった。

これも5~6年前だろうか……ケーブルテレビの麻雀の対局番組をなんとなく眺めていた。それまでは失礼ながら「こういう番組って……一体どんな人が観てるんだろ?需要あんのかな?」なんて思っていた。ところが突然それがおもしろく思え始めたのだ。理由はわからない。それから夜中にテレビをつけちゃー、麻雀番組を見漁る日々が始まった。なぜ夜中なのかというと、夜中のケーブルテレビでは、なにかしら対局の再放送をしているのだ。ちなみにその習慣は今でも続いていて、夜中に帰ってくるとまずテレビをつけて麻雀番組を探す。やっていないとなんだかハズレくじを引いたような気分になり、消す。そんなことをしていると、有名プロ選手の名前と顔を覚え始める。そして「この人の打ち方好きだなぁ」とか出始め、好きな選手なども出てくる。つまりもっとおもしろくなっていく。

ある頃から、実況の人が「Mリーガーであり……」「Mリーグでは……」と言っているのが耳に入る。「Mリーグ」とは一体なんぞや?調べてみると、なんと「麻雀のプロリーグ」であると!麻雀はそんなことになっていたのか!当然 Abema TV で放送している「Mリーグ」も観始める。YouTube の「後で見る」欄には、麻雀の名局だったり、Mリーグの名シーンの切り抜き動画が100個ほど溜まるようになった。

麻雀を観るのは本当に楽しい。

しかしなぜ「自分も打ちたい」にすぐに繋がらないのか……打ちたい気持ちはゼロではないので、ここ数年内にもネット麻雀をやったり、コロナ前には仲間と連れ立って雀荘に行って打ったりもした。しかしやっぱり勝てない。勝てないどころか、なまじ「観る専」で目が少し肥えたのか、自分の下手さに気がついてしまうのだ。

それに自分の生活サイクルを考えると、麻雀を打つのはどうしても夜中になる。ボクは良いけど……結局一緒に打てる人、つまり夜中に遊べる人など、この年になると周りにそうそういないのだ。

ボクは立派な「麻雀 観る専」になった。

まぁいいじゃないか。大好きな麻雀番組を観て、たまに打って負けて、運が良ければ勝って。Mリーグを観て。最強戦を観て。てんパイクイーンを観て。われめDEポンを観て。それでいいじゃないか。

観る専だとしても「麻雀大好き」に変わりはない。

しかし観葉植物と同じく、これにも転機が訪れた。今年の1月にラジオの対談で、プロ雀士であり俳優の萩原聖人さんをゲストに迎えることができた。ボクのテンションはマックス。なにしろボクのような麻雀業界外の者から見たら、萩原聖人さんは麻雀業界の一番のランドマークなのだ。強い選手はいっぱいいるし、麻雀界の中での名物キャラ的存在の方だっていらっしゃる。しかしそういった方々が麻雀界を背負って、ロックンローラーとラジオで対談できるだろうか??そういった意味じゃ、それをやれるのは萩原聖人さんだけなのだ。ボクはすごく興奮し、質問をたくさん用意し、準備万端。

余談ではあるが……萩原聖人さんの麻雀を打つ姿はカッコいい。それにボク、若い頃はあちこちのキャバクラなんかで「ああっ!なんかお客さん、萩原聖人に似てるー!」とよく言われたもんだ。……悪い気がするわけない。

年はボクが2つ上なのだが、関係ない。萩原聖人さんはボクの憧れの人なのだ。

そんな萩原さんとの邂逅がこんなタイミングで果たされるなんて、光栄の極みだ。本番前に喫煙所で会ってしまった。「あ、萩原さん、初めまして横山と申します、本日はお忙しいところありがとうございます!」一通り大人としての挨拶はしたが、萩原さんはとても丁寧で明るい人で「もう麻雀のことはなんでも聞いて下さい!」と、萩原さん自身も楽しみにしてくださってることを伝えてくれた。これで緊張が解けたのか、喫煙所内で会話が始まってしまった。少し喋ったところで「これ……こういう話は本番に取っておきましょうか!」と笑って喫煙所を後にした。もうなんだか相性バッチリな気がしてアガった。

ラジオトークが始まると、萩原さんは本当にいろんなことを丁寧に、素人がわかるように話してくださる。それをボクが嬉しそうな顔で本気の「へ−−っ!」を連発する展開になった。編集でどれくらいになってしまったかはわからないが、1時間半はぶっ通しで話し続けていたと思う。それぐらいグルーヴをした。

話の最後に……どうしても話したかったことをぶつけてみた。「業界内には俳優さんや芸人さんが集まって開かれる”萩原塾”なるものがあるそうですが……ボク、入れていただけませんか?」、すると二つ返事で「もちろんです」と返してくれた。その瞬間からボクは「萩原塾生」になった。萩原聖人さんのことは、その瞬間から「塾長」と呼んでいる。

連絡先を交換し、Ken Yokoyama のライブを観に来てくれたり、ご飯を食べに行ったり、Mリーグのスタジオに招待してもらったりしている。

しかし実際にはツアーなどもあり、なかなかボクが萩原塾に参加するチャンスがない。そこでボクは考えた。「萩原塾内に勝手に “横山麻雀研究所” を設立しよう!」早速何人かの麻雀好きな友達に声をかけ、今年の2月にボクは麻雀の全自動卓を買った。

ここでまた先の問題が。大の大人が夜中に最低4人集まることは非常に難しい。結婚している人は奥様に許してもらえるか、もらえないか、という問題。仕事が忙しい人は「この日だったらピンポイントで空いているんだけど」「行けないことはないけど、翌日早くて」、という問題。そりゃそうだ、みんな働き盛り。ということで一気に研究所員を10人にまで増やした。しかしそれでも週1回か2回集まるのがやっとだ。

このムキになり方…….というか一生懸命さは、もはや「部活」に近い。

そりゃムキにもなる。今のこの勢いを逃すと、きっとボクはこの先「観る専」に戻ってしまう。

そんな中でも少しずつペースはできて来つつあり、横山研究所のリーグ戦も始まった。金品などをかけることは一切を禁じ、ルールはMリーグルールでやっている。「上手くなりたい人」だけでやるのだ。「己の誇りのため」に戦うのだ。

相変わらずボコボコに負けたりもする。以前は負けると怒ってしまっていたが、今はまるでそんなことはない。むしろ大負けしても「麻雀って楽しいなぁ!」って言いながら帰ってる。

そんなある日、我が研究所に萩原塾長が降臨したのだ!研究員達は湧き上がった。いろいろ教わったのだが……まだそれを理解して実践で発揮するほど、身に染み付いていない。しかしボクは塾長の教えの元、今後上手くなっていく。

それはいいとして、ボクは初めて塾長とも麻雀を打った。詳しくは書かないが、塾長はその場でとんでもないことをやってのけた。いや、プロだったら誰もがそれくらいのことはできる、そういったことなのかもしれない。しかしボクにはそうは思えない。「萩原聖人だからできる/やった」ことなのだと思う。ボク達研究員達は嬌声を上げ、鳥肌を立てるしかなかった。さすが萩原聖人、我が塾長。

「ここまで話すんだったら何があったのか教えろよ」と思われるだろう。しかしこれは文字で書くのはもったいない。「語り継いでいく」べきもの、口頭で伝えるべきものだと思う。なのでこの先に出会う麻雀好きの方に話していく。

塾長とは、インスタグラムでも書いたのだが、最初に会ったときから「これは長い付き合いになっていくだろう」と感じた。ボクだけが感じた一方通行のものなのかもしれないが、それならそれでいい。塾長として、ボクが離さなければいいのだ。

そうやって塾長の目から見てボクが恥ずかしくない麻雀を打てるようになったら、きっとボクは「われめDEポン」出場を志願すると思う。壮大な夢だ。

この年で音楽以外の夢を持つのも良いものだ。

なにしろみんなで集まっていて一番感じることは、「夜中に仲間と集える尊さ」なのだ。横山麻雀研究所は、もちろん音楽畑の人間が多い。しかし音楽を離れて、共通の趣味のために、日にちと時間を合わせて集まる。
 これが一番の幸せなんだと思う。

 

 

「よくよく考えてみると……」

書いてて気づいたのだが、興味があることを調べたり、その世界に浸ったりするために YouTube をよく観ている。

音楽/ギターはやはり観る。昨今は好きなアーティストのつい先日演ったはずのライブが、プロショットでまるまる観れたりもする。それに貴重な歴史的なライブの映像なども、時間を飛び越えて同列に存在する。「これではライブ DVD など売れなくなるよなぁ」などと思いながらも、その便利さを思い切り享受している。

ギターも興味ある新製品の紹介動画などは、いろんなギタリストの試奏動画を観てしまう。これが実に購買欲をそそるのだ。

その影響があってかなくてか、2024年に入ってからボクのギターはすでに6本増えた。

そういえば、ボクは長年執筆していた「ギター・マガジン」のコラム寄稿を辞めた。101回を迎えたからそろそろ誰も読んでないだろう、ということで、自分から辞めることを申し出たのだが……毎月ギターのことを書く機会があったのだが、それがなくなったということになる。なので当コラムとオフィシャルサイト内の「Guitars」で、今後のボクのギター事情などはフォローしていければ、と考えている。

刺青の動画もよく観る。前から好きな「ボクシング」関連の動画もよく観る。そして「トロピカルガーデナー」達の映像、麻雀……どんどん「後で見るコーナー」が伸びていく。消化できそうにないので、時々消したりして整理するほどだ。

おすすめ動画もそんな系統のものばかりだ。

しかし。何かの折に観たのか、セクシー系の動画もおすすめに上がってくる。「YouTube は規定が厳しいらしいし、そんなに過激なものは流せないでしょ」とは思う。つまり……めっちゃソフトなセクシー系動画をたまに観るわけだ。

中でもどうしても観てしまうのは「ノーブラ散歩」といわれるもの。女の子が着衣ではあるがノーブラで、そして勃った乳首の存在が分かってしまう状態で街を歩き、それを自撮りするのだ。

彼女達は一様に「はぁ……見られてる……」「……すっごい見られてる」などと恥ずかしがるのだが、ボクは「カメラに棒付けて歩きながら独り言話して自撮りしている人を見かけたら、乳首関係なく見るわ!」とツッコミを入れている。内容は呆れるほどつまらない。この種の女性達は一体何がしたいのだろう?何を目的としてやっているのだろう??結局その先には、そういった動画を観てファンになった人達を別のサイトに誘導し、そこで課金して過激な動画を見せる、というビジネス形態になっている模様だ。だから YouTube はその入口として、軽いもので、つまらないもので良いのだろう。

残念ながら YouTube だけ観ているボクからは、本当にバカな女性達にしか見えない。そんなもん観ただけじゃムラムラも興奮もしない。教養の欠片はおろか、建設的な何かすら微塵も感じない。

……しかし、見つけるとボクは必ず観てしまう。観てはこの子はバカだなぁと思い、くだらねえことをして生きてんなぁと思い……そしてまた観る。

他ならぬ一番のバカはボク自身だということで、「ノーブラ散歩」万歳。

そういえば、この話を MONGOL800 のキヨサクに、対談で話したことがあった。キヨサクは「そんなこと話したらコラボの話とか来るんじゃないですか?」と笑いながら言った。しかし……来ない。本音をいうと、多少期待はしていた。しかしオファーはゼロだ。

こうなったら是非コラボしたい。「ノーブラ散歩」をされている方、是非ご依頼ください。ボクは YouTube をやっていないので、ボクがあなたのチャンネルに出演させていただきます。そしてボクもピタッとした衣類を着用し、乳首を勃たせて歩きます。最近ボクもおっぱいが大きくなってきたので、「本当に乳首を目立たせることできるのか?」という心配には及びません。

当方顔出しはオッケーです。

ギャラは要相談でお願いします。

2024.07.19

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