12月Ken YokoyamaがJFN系列30局ネット番組『ARTIST PRODUCE SUPER EDITION』、
1時間4週に渡ってプロデュース。 各FM局放送日時はこちら»
――日本全体を考えるところから始まり、自分のパンク観とも真摯に向き合ったアルバムですけど、後半、なんで魂を売ったのはロックンロールだ、という展開になるんですかね。
「はははは。そこねぇ……そこねぇ。ほんと無意識なんだけど、石井さんがそうやって(ライナーノーツに)書くから意識しちゃうようになった(笑)。『横山健は肝心な時になるとパンクではなくロックという言葉を使う』って書いてあるのを見て、そうなのか俺、って思ったくらい」
――ふふふ。でも実際そうですよね。
「実際そうなの。確かに。なんでだろうなぁ……。最初、それこそパンクと出会う前にロックンロールに出会った、っていうのが大きいかもしれないけど。でもそれだけじゃないよね。感覚的に選んでる言葉だと思う」
――パンクって衝動や怒りの要素が強いし、やっぱり若い時こそ燃えやすい成分が非常に多いじゃないですか。それって実際キャパが狭いんですよね。もちろん生涯パンクスでいることは可能なんだけど、そこに収まりきらない、もっと豊かな経験や感情は増えてきちゃいますよね。
「あー、そっか。うん。もちろん自分はパンクスとして大きくなってるの。大きくなってるって、43にして何を言うかって感じだけど(笑)。でもパンクスとして歳を重ねていってるのね。で、俺は歌いながら『いや、でもパンクだって愛に溢れてるぜ?』と思ってるけど、それは自分の話であって、よそのパンクに同じことはやっぱり感じないよね。自分=パンクって考えれば、そこには当然愛の感情があるんだけど、他者が鳴らすパンクに関しては、愛じゃねぇよって思ってる自分もいる。そういうトリッキーな現象があるから……大事な時にパンクって使わないのかなぁ。なぜかロックって言葉を使っちゃう」
――しかも今回は”ロックンロールはオレそのもの”とまで歌っている。
「もちろんね、俺の言ってること以外はロックンロールじゃないとか、そういう排他的な意味じゃないよ。俺は全部のことをロックンロールから教わったよ、
学校とか社会からもいろんなものを教わったけど、なにせ自分を形成したのはロックンロール、パンクロックだよ、ってことを言いたくて。結局それしかないと思う。そりゃ確かに計算の仕方とか、パンクロック聴いてたって覚えないんだけど」
――もっと重要な話ですよね。人生の局面でAとBを目の当たりにした時どっちを選ぶのか、みたいな。
「そうそうそう。年号覚えるとか計算が早くなるとか、教わる、っていうのはそういうことじゃないんだよね。俺は大事な人生の姿勢をロックンロールから教わった。それで、今これだけ世の中に不安が溢れて、いろいろ悲しい分断があると、ちょっと人から聞かれてる気分になるのね。『なんで横山さんはそこまで強くいられるんですか』『なんでそこまで言えるんですか』って。そこで『簡単だよ、俺はロックンロールから教わったんだもん』って言いたい」
――実際、健さんに教えて欲しいと思ってる人は多いと思いますよ。
「うん。みんなすがるものは必要だと思うし、生きることを俺自身も考えた。なんで世の中に宗教があるのか、戦争があるのか、なんで国家ってものがあるのか。そういうことをいっぱい考えて、もちろん学者によっていろんな説があるから、俺が『こうなんじゃないの』って言ったところで『馬鹿じゃねぇの?』って笑われるんだけど。でも俺からすれば、ほんと変な宗教にすがるぐらいならロックンロールにすがってくれ、って思う。宗教なんか金巻き上げられるだけでなんも助けちゃくれないよ。もちろん日々の信仰はいいと思う。土地の神様を大事にする、ご先祖様を大事にする、お墓を綺麗にするとか、それは大事なことだと思うの。でも、何々の経典を買ったら幸せになれるとか……そんな馬鹿な話はないっ!(笑)」
――ロックやパンクにも宗教性はありますからね。どうせ信じるならそっちにしろと。
「うん。宗教性はあるけど無邪気に楽しめるから音楽には救いがあって。思想関係なくても音楽だけでノれちゃう。宗教はノれないでしょう」
――こうやって、俺は何かを信じる、自分を信じるって宣言するのは「Believer」も同じですよね。書いた時の感覚は当時と違いますか。
「……根っこにあるのは一緒なのかもしれないけど、もっと今のほうが人を説得したい。勧誘したいの(笑)。「Believer」の時はね、自分を信じなきゃ一歩も踏み出せなかった、っていう意味で書いたけど、今はもうちょっと人に提示する感覚が強い。自分は何を信じてここまでやってきました、もし俺のこと強いと思うなら、君もためしに行ってごらんよ、っていう感覚かな」
――聴く人がいる、という前提で作るのはどの作品も同じだろうけど、聴かせたい、伝えたい、っていう気持ちの強さが違うんでしょうね。
「そうね、確かに」
――だから、ラストは愛の歌で幕を閉じていくんだけど、ただ個人の愛を語る曲でありながら、不特定多数に伝えたいんだ、という感覚を強く感じます。
「うん。「Save Us」とか確かにそうだよね。伝えたい。そりゃ伝えたいよ。これだけ情報が増えた世の中だけど、結局は自分を信じるしかなくて、自分の中の愛を認めるしかない。そのほうが絶対うまく回るんだっていう、自分の実感を伝えたいんだろうなぁ」
――愛という感情は、特に若い時は隠したいものだったりしますよね。
「そうそう。自分の子供見てるとわかるけど、誰かが好きだ、っていうのは恥ずかしい感覚よね(笑)。で、若い時は愛=セックスとつながりやすくて、なかなか歌うには微妙なもので。やっとこの年になって語れるのかな。子供ができて愛の意味が変わったっていうのもあるし。無償の愛ってよく言うじゃない。でも無償の愛って、こっちが得るものがものすごく多いんだよね。人を愛することで自分をすごく豊かにできる。それってもう愛しかないの、愛なのよ、って言いたい。お金でもモノでもなく、新興宗教でも政治でもなく、自分を豊かにできるのは愛なんだよってことを、すごく伝えたい」
――よく曲にしたなと思いますよ。愛ほど豊かな感情はないんだけど、いざ言葉にしようとすれば薄っぺらいものになっちゃうから。
「そうだよね。うん、きっとこれは震災があったから言えるようになったんだと思う。子供ができて今までよりも深い愛を知ったっていう自分のストーリーもあるけど、やっぱり震災があって、そこで何をモチベーションに動くのか?っていう自分への問いもあったし。それが愛だった」
――では、ラストに「愛の讃歌」のカバーを選んだ理由は?
「これはね、みんなが絶対聴いたことあるメロディで、すごく優しい曲でしょ?「Save Us」で自分の得た愛をガツンと提示したあとに、もっと世の中に広く認知されてるスタンダードな愛の形っていうのを提示したかった。俺自身が聴きたかったのかな。古き良き愛のカタチで落ち着きたかったのかもしれない。これは俺たちの親世代のラブソングだけど、だからこそ自分が子供の頃の記憶も重なってるし。何も怖くなかったし何も知らない、すごく無垢だった頃の感覚をこの曲に重ねあわせてるところもある。今聴いても、ほんと得も言われぬあったかさがあると思うから」
――多くの人がカバーしてますけど、よく聴くのは何バージョンですか。
「俺がよく聴くのは英語の、ブレンダ・リーのバージョン」
――私、母親が歌ってた日本語の越路吹雪バージョンしか知らなくて。甘ったるい歌詞だと思ってたから、今回の対訳にすごくびっくりしたんですね。なんて強烈な愛の歌なんだって。
「そうそう。本来作ったのは女の人で、男の人への愛の歌でしょ。でも俺は男から女の人に贈る愛情だと自分の中で解釈して、それで、ルール違反を覚悟で和訳も書き直して。完全に自分の言葉として出してみたの」
――すごい歌詞です。健さんがこれだけの思いを放つときに、それを受け止められる人は奥さんだけだと思う。他人の入る隙がない、本当に個人的な愛の感情で。
「そうそう。そうだね」
――だけど、全員が知ってるスタンダードであり、みんなで共有できる歌だという真逆のベクトルがありますよね。これは意識的に?
「あ、それは意識的だったかもしれない。自分が欲しかったものがそれだった」
――スタンダードというか、たとえ作者が消えても残っていく音楽って、どこかで意識しましたか。たとえば「Soul Survivor」には”オレの音は生きていく”っていう言葉があるじゃないですか。
「そうね。過去の経験でそれを感じることは多々あって。たとえばハスキング・ビーは一度解散しちゃったけど「WALK」をKEN BANDがやることによって、その曲はずっと生き続ける。誰の心の中にもハスキング・ビーと自分だけの「WALK」の風景があるだろうし、そこにKEN BANDが新たに鳴らす「WALK」の風景も重なっていけば、どんどん曲は生き続けていくわけでしょう。たとえ自分が死んでも音楽は残るっていうか、そういうことも考えたかな」
――もう、横山健の人生がどっぷり入ってますよね。たった30分足らずのアルバムなのに。
「30分ないんだよね。うん、でも濃いです、今回。このアルバムを通して横山健が言いたいことは、長いセックスだけが良いわけじゃないよ、っていうこと(笑)」
――……軽く流しますけど(笑)。最後に訊きたいのはタイトルですね。なんで『Best Wishes』なんでしょうか。
「それはね、いつも練習の帰りミナミと二人で車で帰るんだけど。曲が出揃った時に『タイトルどうしよっかなぁ』って悩んでたら『今回のアルバムって健さんにとって何なの?』って訊かれて。それで自分で考えたのが、駅にある伝言板的なものだな、ってことだった」
――伝言板?
「暗号っぽいのかな。書き残しておくと、通じる人には通じるし、通じない人はもう伝言板の存在すら知らないまま素通りしていく。歌詞の内容は全部そういう書き残し、書き置きみたいなものだなって気がして。それをポンと置いておくよ、みたいなアルバムになるんだろうなって。そういう意味で伝言板だなぁって思ったんだけど『……まぁ今の時代、駅に伝言板ないよねぇ(笑)』って話になって」
――確かに(笑)。
「そこから発想したのが、手紙、だったのね。宛先不明の手紙。いろんな人に宛てた手紙。メッセージ・イン・ア・ボトルとか、あとは風船に希望を書いて空に上げたらどこかよその土地に落ちるとか、そういうイメージも入ってる。で、これが手紙だとすれば、一番最後に書き残しておくことは”Best Wishes”――日本語でいうと”敬具”。拝啓で始まり敬具で締める手紙っていう感じだったのね」
――あぁ、敬具って意味なのか。知らなかったです。
「他にも英語だと、たとえば”Cheers!”とか”Thanks”とか”Best Regards”とか、他の言い方もあるんだけど。でも”Best Wishes”が一番良かった。後付けだけど、Wish、って言葉を使いたかったのもあるから。これね、アートワーク見てもらえればわかるんだけど、中が全部手紙になってるの。一番最初に”拝啓”というか、みなさんへ、っていう書き出しがあって、あとに続く手紙の内容が全部歌詞であるっていうアートワークになってる。そういう作品を『Best Wishes』で締めるという」
――あ、それは見事。綺麗ですね。
「これも全部自分で考えてアイディア出したんだけど。そんなアートワークまではっきりわかって作るっていうの、初めてだった」
――へぇ……。月並みなこと言いますけど、そりゃ最高傑作になるはずだわって、今しみじみ想います。
「なんかね、俺も長年音楽を、バッケージ作品を作ってるけど……こんなに辻褄が合ってしまうことってあるんだなって自分でも思う。アートワークも含め、ライヴを休んで曲作りをしたことも含め、一度ちゃんと自分と向き合ったことも含め、このアルバムを作るためのストーリーが全部自分に必要だったんだなって、きちんと辻褄が合ってるように思う。人生の中でも、こういうことが起こるってなかなかないよなぁと思うから」
インタビュー@石井恵梨子
photo by Teppei Kishida