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12月Ken YokoyamaがJFN系列30局ネット番組『ARTIST PRODUCE SUPER EDITION』、
1時間4週に渡ってプロデュース。 各FM局放送日時はこちら»

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――日本全体を考えるところから始まり、自分のパンク観とも真摯に向き合ったアルバムですけど、後半、なんで魂を売ったのはロックンロールだ、という展開になるんですかね。

「はははは。そこねぇ……そこねぇ。ほんと無意識なんだけど、石井さんがそうやって(ライナーノーツに)書くから意識しちゃうようになった(笑)。『横山健は肝心な時になるとパンクではなくロックという言葉を使う』って書いてあるのを見て、そうなのか俺、って思ったくらい」

――ふふふ。でも実際そうですよね。

「実際そうなの。確かに。なんでだろうなぁ……。最初、それこそパンクと出会う前にロックンロールに出会った、っていうのが大きいかもしれないけど。でもそれだけじゃないよね。感覚的に選んでる言葉だと思う」

――パンクって衝動や怒りの要素が強いし、やっぱり若い時こそ燃えやすい成分が非常に多いじゃないですか。それって実際キャパが狭いんですよね。もちろん生涯パンクスでいることは可能なんだけど、そこに収まりきらない、もっと豊かな経験や感情は増えてきちゃいますよね。

「あー、そっか。うん。もちろん自分はパンクスとして大きくなってるの。大きくなってるって、43にして何を言うかって感じだけど(笑)。でもパンクスとして歳を重ねていってるのね。で、俺は歌いながら『いや、でもパンクだって愛に溢れてるぜ?』と思ってるけど、それは自分の話であって、よそのパンクに同じことはやっぱり感じないよね。自分=パンクって考えれば、そこには当然愛の感情があるんだけど、他者が鳴らすパンクに関しては、愛じゃねぇよって思ってる自分もいる。そういうトリッキーな現象があるから……大事な時にパンクって使わないのかなぁ。なぜかロックって言葉を使っちゃう」

――しかも今回は”ロックンロールはオレそのもの”とまで歌っている。

「もちろんね、俺の言ってること以外はロックンロールじゃないとか、そういう排他的な意味じゃないよ。俺は全部のことをロックンロールから教わったよ、

学校とか社会からもいろんなものを教わったけど、なにせ自分を形成したのはロックンロール、パンクロックだよ、ってことを言いたくて。結局それしかないと思う。そりゃ確かに計算の仕方とか、パンクロック聴いてたって覚えないんだけど」

――もっと重要な話ですよね。人生の局面でAとBを目の当たりにした時どっちを選ぶのか、みたいな。

「そうそうそう。年号覚えるとか計算が早くなるとか、教わる、っていうのはそういうことじゃないんだよね。俺は大事な人生の姿勢をロックンロールから教わった。それで、今これだけ世の中に不安が溢れて、いろいろ悲しい分断があると、ちょっと人から聞かれてる気分になるのね。『なんで横山さんはそこまで強くいられるんですか』『なんでそこまで言えるんですか』って。そこで『簡単だよ、俺はロックンロールから教わったんだもん』って言いたい」

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――実際、健さんに教えて欲しいと思ってる人は多いと思いますよ。

「うん。みんなすがるものは必要だと思うし、生きることを俺自身も考えた。なんで世の中に宗教があるのか、戦争があるのか、なんで国家ってものがあるのか。そういうことをいっぱい考えて、もちろん学者によっていろんな説があるから、俺が『こうなんじゃないの』って言ったところで『馬鹿じゃねぇの?』って笑われるんだけど。でも俺からすれば、ほんと変な宗教にすがるぐらいならロックンロールにすがってくれ、って思う。宗教なんか金巻き上げられるだけでなんも助けちゃくれないよ。もちろん日々の信仰はいいと思う。土地の神様を大事にする、ご先祖様を大事にする、お墓を綺麗にするとか、それは大事なことだと思うの。でも、何々の経典を買ったら幸せになれるとか……そんな馬鹿な話はないっ!(笑)」

――ロックやパンクにも宗教性はありますからね。どうせ信じるならそっちにしろと。

「うん。宗教性はあるけど無邪気に楽しめるから音楽には救いがあって。思想関係なくても音楽だけでノれちゃう。宗教はノれないでしょう」

――こうやって、俺は何かを信じる、自分を信じるって宣言するのは「Believer」も同じですよね。書いた時の感覚は当時と違いますか。

「……根っこにあるのは一緒なのかもしれないけど、もっと今のほうが人を説得したい。勧誘したいの(笑)。「Believer」の時はね、自分を信じなきゃ一歩も踏み出せなかった、っていう意味で書いたけど、今はもうちょっと人に提示する感覚が強い。自分は何を信じてここまでやってきました、もし俺のこと強いと思うなら、君もためしに行ってごらんよ、っていう感覚かな」

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――聴く人がいる、という前提で作るのはどの作品も同じだろうけど、聴かせたい、伝えたい、っていう気持ちの強さが違うんでしょうね。

「そうね、確かに」

――だから、ラストは愛の歌で幕を閉じていくんだけど、ただ個人の愛を語る曲でありながら、不特定多数に伝えたいんだ、という感覚を強く感じます。

「うん。「Save Us」とか確かにそうだよね。伝えたい。そりゃ伝えたいよ。これだけ情報が増えた世の中だけど、結局は自分を信じるしかなくて、自分の中の愛を認めるしかない。そのほうが絶対うまく回るんだっていう、自分の実感を伝えたいんだろうなぁ」

――愛という感情は、特に若い時は隠したいものだったりしますよね。

「そうそう。自分の子供見てるとわかるけど、誰かが好きだ、っていうのは恥ずかしい感覚よね(笑)。で、若い時は愛=セックスとつながりやすくて、なかなか歌うには微妙なもので。やっとこの年になって語れるのかな。子供ができて愛の意味が変わったっていうのもあるし。無償の愛ってよく言うじゃない。でも無償の愛って、こっちが得るものがものすごく多いんだよね。人を愛することで自分をすごく豊かにできる。それってもう愛しかないの、愛なのよ、って言いたい。お金でもモノでもなく、新興宗教でも政治でもなく、自分を豊かにできるのは愛なんだよってことを、すごく伝えたい」

――よく曲にしたなと思いますよ。愛ほど豊かな感情はないんだけど、いざ言葉にしようとすれば薄っぺらいものになっちゃうから。

「そうだよね。うん、きっとこれは震災があったから言えるようになったんだと思う。子供ができて今までよりも深い愛を知ったっていう自分のストーリーもあるけど、やっぱり震災があって、そこで何をモチベーションに動くのか?っていう自分への問いもあったし。それが愛だった」

――では、ラストに「愛の讃歌」のカバーを選んだ理由は?

「これはね、みんなが絶対聴いたことあるメロディで、すごく優しい曲でしょ?「Save Us」で自分の得た愛をガツンと提示したあとに、もっと世の中に広く認知されてるスタンダードな愛の形っていうのを提示したかった。俺自身が聴きたかったのかな。古き良き愛のカタチで落ち着きたかったのかもしれない。これは俺たちの親世代のラブソングだけど、だからこそ自分が子供の頃の記憶も重なってるし。何も怖くなかったし何も知らない、すごく無垢だった頃の感覚をこの曲に重ねあわせてるところもある。今聴いても、ほんと得も言われぬあったかさがあると思うから」

――多くの人がカバーしてますけど、よく聴くのは何バージョンですか。

「俺がよく聴くのは英語の、ブレンダ・リーのバージョン」

――私、母親が歌ってた日本語の越路吹雪バージョンしか知らなくて。甘ったるい歌詞だと思ってたから、今回の対訳にすごくびっくりしたんですね。なんて強烈な愛の歌なんだって。

「そうそう。本来作ったのは女の人で、男の人への愛の歌でしょ。でも俺は男から女の人に贈る愛情だと自分の中で解釈して、それで、ルール違反を覚悟で和訳も書き直して。完全に自分の言葉として出してみたの」

――すごい歌詞です。健さんがこれだけの思いを放つときに、それを受け止められる人は奥さんだけだと思う。他人の入る隙がない、本当に個人的な愛の感情で。

「そうそう。そうだね」

――だけど、全員が知ってるスタンダードであり、みんなで共有できる歌だという真逆のベクトルがありますよね。これは意識的に?

「あ、それは意識的だったかもしれない。自分が欲しかったものがそれだった」

――スタンダードというか、たとえ作者が消えても残っていく音楽って、どこかで意識しましたか。たとえば「Soul Survivor」には”オレの音は生きていく”っていう言葉があるじゃないですか。

「そうね。過去の経験でそれを感じることは多々あって。たとえばハスキング・ビーは一度解散しちゃったけど「WALK」をKEN BANDがやることによって、その曲はずっと生き続ける。誰の心の中にもハスキング・ビーと自分だけの「WALK」の風景があるだろうし、そこにKEN BANDが新たに鳴らす「WALK」の風景も重なっていけば、どんどん曲は生き続けていくわけでしょう。たとえ自分が死んでも音楽は残るっていうか、そういうことも考えたかな」

――もう、横山健の人生がどっぷり入ってますよね。たった30分足らずのアルバムなのに。

「30分ないんだよね。うん、でも濃いです、今回。このアルバムを通して横山健が言いたいことは、長いセックスだけが良いわけじゃないよ、っていうこと(笑)」

――……軽く流しますけど(笑)。最後に訊きたいのはタイトルですね。なんで『Best Wishes』なんでしょうか。

「それはね、いつも練習の帰りミナミと二人で車で帰るんだけど。曲が出揃った時に『タイトルどうしよっかなぁ』って悩んでたら『今回のアルバムって健さんにとって何なの?』って訊かれて。それで自分で考えたのが、駅にある伝言板的なものだな、ってことだった」

――伝言板?

「暗号っぽいのかな。書き残しておくと、通じる人には通じるし、通じない人はもう伝言板の存在すら知らないまま素通りしていく。歌詞の内容は全部そういう書き残し、書き置きみたいなものだなって気がして。それをポンと置いておくよ、みたいなアルバムになるんだろうなって。そういう意味で伝言板だなぁって思ったんだけど『……まぁ今の時代、駅に伝言板ないよねぇ(笑)』って話になって」

――確かに(笑)。

「そこから発想したのが、手紙、だったのね。宛先不明の手紙。いろんな人に宛てた手紙。メッセージ・イン・ア・ボトルとか、あとは風船に希望を書いて空に上げたらどこかよその土地に落ちるとか、そういうイメージも入ってる。で、これが手紙だとすれば、一番最後に書き残しておくことは”Best Wishes”――日本語でいうと”敬具”。拝啓で始まり敬具で締める手紙っていう感じだったのね」

――あぁ、敬具って意味なのか。知らなかったです。

「他にも英語だと、たとえば”Cheers!”とか”Thanks”とか”Best Regards”とか、他の言い方もあるんだけど。でも”Best Wishes”が一番良かった。後付けだけど、Wish、って言葉を使いたかったのもあるから。これね、アートワーク見てもらえればわかるんだけど、中が全部手紙になってるの。一番最初に”拝啓”というか、みなさんへ、っていう書き出しがあって、あとに続く手紙の内容が全部歌詞であるっていうアートワークになってる。そういう作品を『Best Wishes』で締めるという」

――あ、それは見事。綺麗ですね。

「これも全部自分で考えてアイディア出したんだけど。そんなアートワークまではっきりわかって作るっていうの、初めてだった」

――へぇ……。月並みなこと言いますけど、そりゃ最高傑作になるはずだわって、今しみじみ想います。

「なんかね、俺も長年音楽を、バッケージ作品を作ってるけど……こんなに辻褄が合ってしまうことってあるんだなって自分でも思う。アートワークも含め、ライヴを休んで曲作りをしたことも含め、一度ちゃんと自分と向き合ったことも含め、このアルバムを作るためのストーリーが全部自分に必要だったんだなって、きちんと辻褄が合ってるように思う。人生の中でも、こういうことが起こるってなかなかないよなぁと思うから」

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インタビュー@石井恵梨子
photo by Teppei Kishida

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――制作前から、今までにないほどの自己検証と自問自答があった今回のアルバム。まず最初に生まれた曲は何でしたか。

「2曲目に入ってる「You And I,Against The World」」

――いい曲ですね、これ。

「いい曲よ? いい曲できて良かったなぁ……ってなんだこの言い方(笑)。でもそう、このサビがポーンと言葉と一緒に出てきて。あ、これじゃん!って初めて思えたの。今回は初めてテーマを先に作ってから曲を作るっていうやり方をしてて。だからバンドに曲を持ち込む時も『サビがこうで、コード進行がこうで、メロディはラララ~って歌うけど、このサビにはこういう言葉が乗るから』って先に言ってた」

――そこまで明確に決めたかった。

「うん。『こっから先は決まってないけど、でもサビはこうで、こういうこと歌いたんだよね』って宣言して。そこからバンドで練っていくやり方。「You And I, Against The World」も最初からそういう感じだった」

――なんで最初が「Against The World」だったんでしょうね。たとえば、ダサいけど「Save Japan」とかでも良かったわけで。

「あぁ。そん時ね、自分の頭にあったのが原発事故以降の是非を問ういろんな討論のことで。あんな事故があったらもう当たり前のように原発はダメだって思うでしょ、って俺は思ったんだけど、意外とそうじゃない人がいっぱいいて。ネットもリアル社会でもそうだけど、面倒くさいことがいっぱいあるでしょ。発言するだけで無責任だって言われたり。じゃあ代わりのエネルギーはどうすんのか、その町の産業はどうすんのか、原子力発電にどんなコストがかかって外国に年間これだけ払ってて、ストップすると何億の違約金がかかりますけどどうする気ですか……とか。正直、なんだこの人ら?って思ったけど、こんなにも話が通じない人たちがいるってこと、これまでの人生で痛感させられたことは意外となくて」

――パンクの村はけっこう狭いですから(笑)。

「そうそう。俺たちにとっての当たり前って世の中で全然違う。ほんと、心底そう思わされた。でももちろん、だからって怯みたくないでしょ。世の中がそうなら俺たち間違ってんのかなんて1ミリも思わない。逆に仲間を増やしていこうって、そういう発想から生まれた歌だから「Against The World」になった。でね、闘うことの象徴として自分の中ではジョン・レノンがあって。意外とみんな知らないんだけど、あの人、ものすごく闘ってた人でしょ。自分なりに、ジョン・レノンが感じたであろう世界観なんかもこのタイトルには込めたつもり」

――ジョン・レノン=ラブ&ピースの人、みたいな認識を持ってる人は多いですけど、健さんはどう認識してるんですか。

「あの人はね……とんでもなく風紀を乱す人(笑)。ラブ&ピースっていうのはわかりやすいテーマに過ぎなくて。実際ね、それこそ国家反逆罪じゃないけど、永住権を剥奪されそうになってたり、FBIにすごくマークされてたり、けっこうアメリカ国家にとって危ない人だったんだよね。でも発信を止めなかった。そんぐらいの気合も込めたいな、ってことなのかな。この曲の発想そのものは原発の討論にあるんだけど、いろんな討論や議論って実は全部似通ってるんじゃないかなと思うし」

――というのは?

「誰かがこう言ったから俺もそう思わなきゃいけないのかな、なんてことは絶対ないでしょう。日本は周りの顔色を窺うことがすごく多いから、個人的な考えや思想を出しづらいよね。でも、出しづらいっていうのが本来おかしくて、そこは変えていきたいと思う。俺は発言することや、それを人から否定されることへの恐怖は何もない。一時期はあったけど、もはやないから」

――なるほど。そういう覚悟の一歩から始まって、次に生まれた曲は何でしょう。

「次がね、5曲目の「This Is Your Land」」

――これは、昨年いしがきのフェスで見た風景から生まれたそうですね。

「そう。震災から半年後。岩手のフリーフェスに出演したら、俺らの演奏中に遠くから大きい日本国旗を振ってる人がいて。それにワケもなく感動しちゃって。そこから日本っていう国についても考えたし。俺は日本大好きだけど、なんで好きかって、単純に自分が生まれ育った国だから。あと神社に行くと落ち着くとか、コメ食べるの好きとか、そういうところで根っから日本人だと思うし、郷土愛もある。その気持ちのシンボルとして日本国旗があると僕は思うの。別に天皇制は否定しないけど、「君が代」問題とか国旗掲揚問題とかはどうでもいい。日教組にそんなこと指図されたくないよ。でも『自分の国の旗がいろいろ難しすぎて振れない』なんて国がどこにありますか?って思う。そうやって日本についてすごく考えたのかな。そしたら郷土愛が一気に出てきちゃって。まぁこの曲で日の丸とは歌ってないけど、『今は旗でしょう、旗は立てて振るんだよ!』みたいなね。『そうすると勇気沸くんだよ!』って言いたい気持ちがすごくあって……クッソ熱く語ってるね、今(笑)」

――いやいや。でもこういうコーラスはKEN BANDで初めてだから。作り方とか、込めた気持ちが今までと全然違うんだなっていうのはよくわかる。

「そう。言いたいことはやっぱり「This Is Your Land」だっていう気持ちが最初にあったし。別に盛岡の人もね、KEN BANDが演奏してるから旗を振ったわけじゃなくて。その人にちゃんと自覚があったんだと思う。俺たちはダメージを受けて、でもこうしてフリーフェスがあって、思いを持って来てくれるミュージシャンがいる。ここで何を振るかって日の丸でしょう!みたいな。そういうシンボルがその人にとって重要だったと思うの。それ見たら俺らもね、『ここは俺たちの土地っしょ! 何々県じゃなくて、俺たちみんなの生まれた国っしょ!』って言いたくなるし」

――この2曲から始まったってことは、今回の制作は、さぁ元気出そうっていうレベルじゃない、すごくディープな思索から始まったわけですよね。社会や日本国家。そこまで考える必要があったんですかね。

「たぶん……あったと思う。今話しながら思ったけど、ライヴを止めないまま曲書いてたら、もうちょっとライトな励ましの歌が揃ってたかもしれない。でもそれじゃ嫌だったんだろうなぁ。ほんと、今回は曲とテーマを持っていくたびにメンバーにギョッとされた(笑)」

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――アイディアじゃなく、テーマがいきなりあるわけだから。

「そうそう。それを言うのも恥ずかしくて(笑)。この自分の変わりっぷりが(笑)。『ここでジュンさんとミナミちゃんが”This is 、This Is Your Land”って言うんだよ!』っていう説明をする、その感じがすごく恥ずかしくて」

――ははは。でもそこで否定する人がいたら完成しない。被災地で同じ景色を見て同じ感情を共有できたのが大きいんだろうなと。

「デカいね。やっぱり震災後のいろんな風景を一緒に見て。いろんな生の声を聞いて。あとはFuckin'One ツアーも大きかったかな。石巻、宮古、大船渡にライヴハウスを作るって言って、いろんな人達が尽力してくれて、別々の土地でフリーライヴやフリーフェスをやって。そうすると自然と、その町、その土地っていうものを意識せざるを得ない。この場所をどうするのか、この土地で今後どうしていきたいのか。もちろん俺たちも単なる賑やかしのつもりはないけど、東京から来た者がいくら元気持ってこようとお金持ってこようと、結局は地元の人にやる気になってもらわなきゃ何も始まらなくて。幸いなことに東北の3箇所は、俺たちがフリーライヴしていくことで可能性というか、ここにはちゃんとマグマがあるぞって感じさせてくれたから」

――そうやって日本全体を思っていた健さんは、アルバムの途中から自分自身を掘り下げていくようになりますよね。

「それさぁ、無自覚なのよ。前にインタビューで指摘された時にへぇって思ったぐらいで。どっから変わったんだろうなぁ? 曲作った順番もここからは覚えてないんだけど」

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――さっき、テーマを説明する時の自分の変わりっぷりが恥ずかしかったって言いましたけど、そこに正面から向き合う必要も出てきたと思うんですよ。一番興味深いのが「Ricky Punks III」ですけど。

「これね、まぁ「Ricky Punks」っていうKEN BANDのシリーズ的な曲があって。パンクっていう小さなコミュニティを皮肉っぽく自虐的に歌うもので、そこにいる象徴がリッキーって人間なのね。第一回でも第二回でもそいつにすごくダサいことをやらせて、それを自分が歌うっていう形だったんだけど。今回はなんか彼に別のことをさせたくなって。こういうのが曲作りの面白いところだけど、最初、まずリッキーに何かさせたいな、って発想するところから始まったの。で、リッキーに俺が見た風景を全部やらせようと思った」

――へぇ。

「決して自分だけじゃないけど。今までパンクだ何だってこだわり持って壁作って、一生懸命イキがっていた奴に、それをぶち壊させようと。結局は自分が感じたパンク観なんだろうな。ずっとこだわり持ってたし、バンドや人ごとに思想があって、パンクってけっこう人と共有できないものだったりするでしょう? それこそ俺は『力を合わせて!』とかいうパンクがすごく嫌いだったんだけど。でも、今それしないで何がパンクよ?っていう思いが震災後すごく自分の中に出てきたから、それをリッキーにそのまんまやらせて」

――やらせる、だけじゃなく、自己批判も必要だったと思うんです。

「そうそう。結局は過去の自分を笑いものにしなきゃいけない。……だっさい曲よね(笑)」

――や、よくここまで書いたなと驚きましたね。

「うん。ほんとにこのリッキー、やってることは多少違えど、描写はまさしく自分自身で。いろいろ心に壁を作って拒絶するのが自分のパンク観だったのは事実で、だから、今までいくらたくさんの人前でライヴしてもどっか拒絶感があった。自分から進んで武道館でライヴやりたいっつって、いざ武道館でライヴやってるのに、なにかしら拒絶性があるの。常に」

――なんでしょうね、それは。

「んー……自分で自分のことを冷静に批判してる自分もいて。何万人とかの前でやる自分の矛盾も感じるし、それはいつもある。で、それがある限りは自分はまだパンクスでいられるっていう自覚もあった」

――なるほど。馴れ合いを常に拒否したいというか。

「うん。でも、そんな精神性を持った人間が、震災によってどれだけ壁を壊して、仲間の中に飛び込んでいったか。”We”っていう主語の中に飛び込んでいくか。うん……その曲はほんと、自分が目にした風景そのまんまで。風景じゃないな、自分の心象風景か。パンクのこだわりが崩れていくさま、みたいな感じ。震災という大きいものを前に、自分のこだわりがいかにちっぼけだったか。そういうのを自分なりに書いた曲」

――結果的に”UNITE”って言葉に辿り着けた自分を、冷静にどう思いますか。

「今は誇らしく思う……誇らしく、なんて言うと恥ずかしいけど(笑)。でも今は間違ってないなぁと思う。自分で。今はね、俺だけじゃなくて周りのバンドも、いろんな壁を崩してひとつの力になって、俺たちにできることがあるはずだってまとまれてる」

――AIR JAMは最たる例でしょうね。

「そう。でもその中にもパンクスの思想の違い、個々のこだわりは絶対あるから、いずれまたバラバラになる時期が来ると思う。ただ、それまでに行けるところまで行きたい。少なくとも俺だけじゃなく、こう思ったパンクスはいっぱいいたはずで。そんな想いを全部込めたのがこの「Ricky Punks III」だった」

インタビュー@石井恵梨子
photo by Teppei Kishida

Vol.3へ続く

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――アルバム制作の経緯を振り返ると、実はこれ、ドラムチェンジの一発目の作品ですよね。

「そうなのよ。そこは他のインタビューで全然訊かれないんだけど、実はそうなの」

――改めて聞きますけど、ガンちゃんこと石田さんはなぜ辞めちゃったんですか。

「ガンちゃんは、なんか、やりたいことがあるって言ってて……今は何してんだろう(笑)。もともと彼は大阪でも洋服関連の仕事してた人で、そっちをまたやりたくなったみたい。まぁ時代が時代だから上手くいかないことも多々あるのかもしれないけど、今はそっちで頑張ってるんだと思う」

――オリジナル・メンバーだし、辞めると言われた時はやっぱりショックでした?

「や、以前から、音楽的な部分でもバンド内が3対1になっちゃってて、言い方悪いけどタイミングだったと思う。バンド一緒にやってると、お互い傷つけ合うこともあるし喧嘩することもあるんだけど『これで普通の友達に戻れるよね』つって。それくらいスンナリ、ポジティヴに受け止めたのかな」

――そこから新加入した松浦英治さんは南さんの紹介で。これもスンナリ決まったんですか。

「実は、他にも何人か試したドラマーがいて。その中で、メンバー三人で話して一番欲しいタイプのドラマーがまっちゃんだったの。すごくドラマーっぽいタイプだし、もともとオルタナ系というかヘヴィ・ロックが好きな奴だから、ヘヴィなビートも叩けるし。すごく可能性のあるドラマーだと思ってる」

――彼が入ってからKEN BANDの雰囲気はどんなふうに変わりましたか。

「あぁ……でも彼が入ったのは昨年の2月でしょ。その直後に震災があって、俺たちはもうなりふり構わずツアーに出ることになって、本人も混乱しながら、ワケもわからずついてきてた部分があっただろうね。しかも僕の10コ下だし、入ったばっかりの人間をそこまで振り回しちゃうことに罪悪感はあって、すごく気を遣ってた部分があったの。でも途中から、そうやって気を遣ってる自分のことを自分でアタマきはじめて、そこにうまく座ろうとしてる松浦にもアッタマきて(笑)。そんで『俺は今日からお前のこと追い込みかけるからな!』って宣言して、付き合い方ガラッと変えて(笑)。そこから新作作りに入っていった。だから、まっちゃんが入ってKEN BANDの雰囲気がどうっていう話でもないんだよね。どんなことがあっても僕らは、目の前のことをプラスに変えてかなきゃいけないわけだから」

――では、ステージに出ていく時の感覚は、震災以降変化しましたか。

「すごく変わったと思う。これは東北に限った話じゃないんだけど、やっぱ日本中が怖い思いしたと思うから。……言葉にするとあまりにも馬鹿っぽいんだけど『オレ来たから大丈夫だぜ!』みたいな感じを、すごく見せてあげたくなった。少なくともライヴハウスに来て、音を浴びて存在を感じたいと思ってるお客さんにとっては、その空間こそが救いだと思うの。救いであり居場所である。そこを自分でもしっかり出したくなったかな。それまではね、悪い言い方しちゃうとシステムに乗っかってた部分があって」

――システム?

「ツアーが決まってブッキングをしました、チケットの発売日が決まりました、お客さんがそれを買いました、僕たちはその日が来たら現地に行ってライヴをします、と。もちろんそれだけではなかったけど、当時はそういうシステムにどこか乗っかってた気がして。今はもっと……気持ちがこもってる、って言うと平たい言葉だな。もっと特別な気持ちをもってやれるようになった」

――その『オレが来たから大丈夫だ』っていう気持ちは、たとえ嘘でもいいから自分は彼らの希望であるべきだと言い聞かせる必要があった、ということですか。

「そうだと思う。僕がお客さんだったらそうして欲しいと思うの。なんか怖い思いして、それでも生活のために四六時中仕事とかしなきゃいけないし、仕事失った人は仕事探さなきゃいけなくて。それでもライヴに来たら……やっぱ、本気で『ウォー!』って言いたいでしょう。改めてライヴってそういう場所なんだって気づかされた。昔からそうだったんだけど、もっともっとその自覚が強くなって。前はちょっと照れ臭くて隠してた部分もあったと思うの」

――ヒーロー視されるのを、ことさら嫌がる性格ですからね。

「そう。そうなの。でもその照れがもう必要なくなった。それって人から見たら180度くらい違うことなのかもしれないけど、案外、自分で壁一枚破ってみたらそうなってたというか」

――ただ、健さんだってずっと強くあり続けられたわけじゃないですよね。コラムにもあったけど、ステージ上で号泣したっていう話。

「あれねぇ……震災一ヶ月後の盛岡でのライヴだったんだけど。それまでライヴはずっと明るく振る舞ってたの。あえて明るく盛り上げてたんだけど。ただ、盛岡は沿岸の被災地じゃないにせよ、一時期はライフラインもダメになって街そのものがものすごく深刻なダメージを受けてた。そこで音楽を鳴らす僕らの前には、本気で怖い思いをした連中が目の前に何百人かいるわけでしょ。しかもライヴ前に震度5くらいの余震があったの。俺もいくら明るく振舞おうと、単純に不安になるよね。で、ホテルの部屋でブルーハーツのファーストを聴いたりして、自分もそのアルバムに救われて。そういうバックグラウンドがありつつ、ステージではいつものように軽快にライヴを進めていったはずが……やっぱり後半になって「Punk Rock Dream」をやった時かな、俺は本当に希望を歌っていて良かったなぁって思い始めたの。お客さんだって希望を求めて来てくれるし、熱も全然違う。震災から一ヶ月しか経ってないのにバンドが来てくれたっていう、もう何かにすがるような形相があって。それを見てると、俺は本当に希望を歌い続けて良かったって、あの曲の歌詞が自分の中にガンガン入ってきちゃった。あと「Let The Beat Carry On」とかね。“何があっても続けていこう、繋げていこう”って、本来別のことを書いた曲なんだけど、違った意味を持って自分の中に還ってくる。もう……涙がボロボロ出て、歌うどころじゃなくなっちゃった。でも理屈じゃなかったんだろうな。なんで、とかじゃなくて、音楽ってもしかしたらそういうもんなのかもしれないっていうのがその場ですごくわかって」

――あぁ。なるほど。

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「昔、俺も経験あるの。震災とは全然関係ないけど、好きなバンド見に行ってピットで大暴れして、英語の歌だからよくわかんないけど一緒になって歌ってたら、ワケもわからず涙出そうになるっていう。そういう記憶とかも全部ガーッと自分の中に入ってきちゃって……もう人目はばからず泣いた。ちょっと涙がこぼれました、とかいうレベルじゃないの(笑)。『ワァーッ!』って泣いたもん。終わった時は恥ずかしくて楽屋帰ってからメンバーに謝ったぐらい(笑)」

――「Let The Beat Carry On」でグッと来るのはよくわかるし、逆に、『FOUR』の曲は当時の感情とズレが生じるものも多かったのかな、と思います。

「あー、さすがに「Your Safe Rock」ぐらいになるとちょっと響かない気はしたかな。それで今の気持ちをもっと的確に歌いたいとも思ったし。もちろん「Punk Rock Dream」や「Believer」、「~Winding Road」、あと「How Many More Times」とかね、自分の人生や希望を歌った歌が別の意味をもって自分の中に入ってくることはいっぱいあったんだけど。でも、震災後を捉えた希望を鳴らしたかった。もっと言うと絶望というか、この現実をちゃんと捉えて、等しく怖い思いをした人たちの前で一緒に鳴らせるものがあったらいいのになぁと思って」

――ただ、そうは思いつつも、ツアー中は曲が作れなかったと。

「そう。そんなこと初めてだった。今までも曲作り期間っていうのは多少あったけど、だいたいアルバムの核になるような曲はいつもツアー中にポロッと書けてたの。あと何曲か必要だね、じゃあ腰据えて作りますか、程度の話で済んだんだけど。今回はもうまったくアイディアが湧いてこない。湧いては消えて湧いては消えて……だから本当言うと湧いてこないわけじゃないんだけど、湧いてくるものはどれも今の自分とちょっと違う。本当はこういう気分じゃないんだよなぁって。だから、その気分を探り当てるために休みが必要だったのかもしれない。音楽的にも歌詞のテーマでも、ほんとにどこから手をつけていいものかわかんなくなっちゃって」

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――けっこうシリアスな状態?

「酷い気分だった。もう完全に追い込まれてた。ライヴ活動を止めたのも『これからそういう期間設けますよー』っていうライトなノリじゃなくて。『あれぇ……ちょっと……ライヴ一回止めないと……もう作れないわ』みたいな。宣言した時はピザ・オブ・デス全体がまずい雰囲気になっちゃったくらい。もうピンチだったもんね。俺社長辞めます、引退です、って言い出すぐらいの感覚で。それが去年の11月とか」

――そのヘヴィな気分は、いつ頃から上向きに変わっていくんですか。

「いや……結局最後まで上向かなかったんじゃないかなぁ。二ヶ月くらいでグワーッと書いたし、ものすごいテンションで作っていったんだけど……家族にすごい迷惑かけたと思う。八つ当たりされまくって。あと意味もなく朝まで起きてるわけ。カッコつけた言い方すると何が降りてくるかをずーっと待ってるの。でも傍から見れば何もしないで呆然としてるダンナを、毎朝見かけてるわけね、カミさんは」

――あぁ……それはイラッときます(笑)。

「もちろん『わかってくれ、今俺こんな感じでしか作れないんだ。夜中起きてなきゃダメなんだよ』って説明したけど……でもカミさんは夜中ずっとツイッターでキャッキャしてるとしか思えなかったかもしれない(笑)。かと思えば嬉々として『今日こんな曲書いたんだ、こんな感じ!』とか言い出して。うん、可哀想だったなぁと思う」

――過去にない精神状態だったのは、意識的に傑作を作る必要があったんだと思いますよ。前の延長でどうっていうものでは納得できなかった。

「そうなのかもしれない。これ全部できなきゃもうライヴは始めませんよっていう心構えでやらないと気が済まなかった。本当に言いたいことをしっかり並べて、腰を据えてやる必要があったんだろうな。だってコードを並べれば曲はできるし、なんとなく思いついたことを書けば詞にもなる。でも、それじゃ嫌だった。なんか自分を止めることで、すごく特別なものを作り出したいって思ったのかもしれない」

――あと、昨年からはハイスタも動き出したじゃないですか。「もうハイスタやればいいじゃん」「三人で次作ればいいじゃん」っていう声、たくさんあったと思うんですよ。そこでKEN BANDの存在は危うくなったと思うし、なぜこの体制で続けるのか自問自答も必要だったと思う。

「うん、それは確かに。でもね、ハイ・スタンダードは11年間休んでたバンドであって、KEN BANDは今年で8年、自分がずーっとやってきたことだから。当然今の気分に近いし、自分の意見や自分の音を一番素直にアウトプットできるところ。だからハイ・スタンダードがこの先活動するとしても、これは自分にとってすごく必要なアウトプットだと思う。そういうことを考える時間にもなったのかな。ソロというかKEN BANDで続ける理由を、ちゃんとその時期に理解できたのかなって思う」

――そうして完成したこのアルバムを、今、自分ではどう感じていますか。

「うーん……震災があって原発事故があって、いろいろ日本が揺れる中で、自分が言いたいこと、歌いたいことというより人前で言いたいことを、ちゃんと詰め込めたアルバムになった。あとはもうリリースしたらお客さんにどう受け止めてもらってもいいです、っていうものができたかな」

――最高傑作だと思いますよ。音よりも何よりも、横山健という人間がドンとリスナーの心に入ってくるアルバム。

「もう、ほんとそうだったらいい。今回はもう音じゃない。音楽だから音なんだけど、音じゃないよね、うん」

インタビュー@石井恵梨子
photo by Teppei Kishida

Vol.2へ続く

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