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--既にPIZZA OF DEATHのサイトのKenさんのコラムで、出会いからレコーディングの秘話まで、いろいろと明かされていますが……。
ヤマケン: そうですね、だいぶ出ちゃってますからね(苦笑)。
--このタイミングでDRADNATSを知る人もいると思うので、さらに遡ったところから、3人の口で話してもらいたいと思います。まず、結成は2005年。そこから不動のメンバーですか。
ヤマケン: そうですね。DRADNATSは、メンバーが一回も変わったことがないので。元々、俺以外の二人が違うバンドをやっていたんですよ。俺も違うバンドをやっていて、ライヴハウスで対バンをしたりしていたんです。それで、お互いのバンドが解散して、DRADNATSになったっていう。ざっくり言うと。
--解散のタイミングが近かったとか?
ヤマケン: いや、この3人でやりたいから解散した、みたいな。
--そうなんですね!
ヤマケン: まあ、俺が誘ったんですけど……当時から(キクオは)めっちゃ声が良かったんで。俺もギターヴォーカルやってたんですけど、あんまヴォーカルやりたくなかったんで。
--そんな(笑)。
ヤマケン: そういうのもあるんですけど、それまでバンドを全然やったことがなかったんですよ。で、続けたら面白いなと思ってきて、だったら、やりたい奴とやりたいと。それで誘ったんです。
--二人のバンドは順調だったんですか?
キクオ: 僕らは続けていくノリで、誘われた時点では、その後のスケジュールも決めていました。プラス、ベースがいて、3ピースでやっていたんですよ。当時(高円寺)20000Vでヤマケンのバンドとかと対バンしていて、そうしたら一緒にやろうぜって言われて、いろいろ話して。確かトノの家で集まって話して、その時にお互いのバンドを解散させるっていうことが決まりましたね。あれ、ヤマケンのバンドは決まっていたライヴは……。
ヤマケン: 全部キャンセル。
--そこまでしたんですね! (↗)
ヤマケン: いや、俺以外のメンバーが、もうヤだって。解散するなら、もうここでするっていう感じでした。
--解散してまで結成したということは、当初からDRADNATSに対する思い入れがハンパじゃなかったんですね。
ヤマケン: いや、そうですね。だから続けてこれた感はかなりあります。
--でも、二人のバンドはベースだけ代わったわけですよね? 揉めなかったんですか?
キクオ: ベースの奴も非常にユニークで(笑)。僕とトノで、これはあいつに言わなきゃってことで、どっかのマクドナルドだよね?
トノ: 高円寺だね。
キクオ: 僕ら普段ミーディングとかしないのに、「ちょっと緊急ミーティングするから」って言って、そいつも何かおかしいなって思いながら来たと思うんですけど。それで3人で話して、「どっちが言い出す?」みたいな。それで言ったら、感づいていたっぽくて、結局は「頑張ってくれよ」みたいな感じでまとまって、それで終わったんですけど。でも、そいつもバンド続けてたもんね。
トノ: 今はわかんないけど。
キクオ: 僕らよりも先にロフトでライヴをやったりしていましたね。
--冷静に受け止めてくれたんですね。
トノ: まあ、凹んでましたけどね。「マジかあ……」って連呼していたし。
キクオ: 結果報告、みたいな感じでしたから。でも、受け止めてくれたんじゃないかなあ。
--ヤマケンさんは、二人のバンドを見てどう思っていたんですか?
ヤマケン: 初めて二人のバンドを見た時に、とにかくベースがいらねえなって思って。
--さっきから、その方が読んだら心配になるような内容になっていますが(苦笑)。
ヤマケン: いやいや、人間的にはいい奴なんですよ。でも、3ピースのメロディックってコーラスが肝になりますけど、そいつのコーラスが全然良くなかったんで。(キクオは)せっかくいい声を持っているのに、って。俺はどっちかっていうと、ヴォーカルよりもコーラスの方が得意なので、こいつの声に俺のコーラスを入れたら面白いな、っていうのが、DRADNATSを結成しようと思った最初のキッカケだったんですよ。
--仲が良くてっていうよりは、音楽的に惚れたんですね。
ヤマケン: そうそう。当時、ここ(トノ)と家がめっちゃ近くて。よく飲んだり、AIR JAMのビデオを見たりしていたんです。こっちは、ドラムが好きっていうよりまず人間性から入ってますね。こっち(キクオ)は歌から入ってます。だから最初、あんま仲良くなかったですね。お互い構えてて。誘ってはみたものの、くんづけで呼んでたし、敬語で話されていたし。 (↗)
キクオ: そうだね。
--それが幾つくらいの時?
ヤマケン: 9年くらい前なので……俺が24歳とかですかね。
--そのくらいの年齢って、バンドを続けるか辞めるかの岐路に立つ人も多いと思うんですけど。
ヤマケン: どうなんですかね? 俺自身が、バンドをはじめたのが凄く遅くて。23歳の後半くらいから、前のバンドをはじめたんです。半年くらいで解散しましたけど。それまでは大学辞めて、フリーターやって、みたいな感じだったんで。
--なんでその時期に、趣味とかで留まらない、ライヴハウスに出るくらいのバンドをやろうと思い立ったんでしょう。
ヤマケン: うーん、モテたかったっていうのがなかったと言ったら嘘になりますけど(笑)、単純に、これといって何かをやってきたことがなかったんです。部活くらいしか。何かやりてえな、自分発信でって思った時に、ハイスタめちゃくちゃ好きだったし、ライヴハウスは行っていたんで、バンドやってみよう、と。あんま年齢のこととか考えなかったです。
--楽器は?
ヤマケン: 楽器は、中学の頃にギターとか流行るじゃないですか。その程度ですね。友達の家に集まって、兄貴がいる奴がいて、兄貴がギターを持っていて、それを回しながら、XとかGLAYを弾く、みたいな。
--放課後の遊び道具だったっていう。
ヤマケン: そう。文化祭にもちょろっと出たりもしましたけどね、一回だけ。
--二人は? バンドを生活の中心に置いていきたい、みたいなことは前々から考えていたんですか?
トノ: いやあ、それはなくて。元々キクオを紹介されたのも、大学の友達で。ドラムは地元で触っていたくらいだったんですけど、たまたま軽音楽部に入ったら、俺がドラム叩いてるのをそいつが見て、どうしても紹介したい奴がいるんだけど、って。でも俺、正直ドラムに打ち込んでなかったんですよ。でも、キクオと会った時に、メロディックパンクが好きだって言っていて。それで、気も合いそうだし、またドラムはじめようかなってなったんです。でも、その時期にバイク事故にあって、もうドラム叩けねえやって思ったんですけど、キクオが「辞めないよね?」って言ってきて、「ああ。頑張ろうよ」、みたいな感じで、バンドになっていったんです。
--もしその時、キクオさんに言われていなかったら……。
トノ: まあ、キクオに熱がなかったらやっていないですよね。
キクオ: 僕は、元々地元の友達とバンドをやっていたんですよ。でも、ドラムの奴がジャズでやっていきたいってなって抜けて。それで、大学の友達にトノを紹介してもらって、これでやれる!って思ったら、トノが入院して、そのタイミングでベースが家業の葬儀屋を継ぐって言って辞めることになって、うわあやりたいのになあって……たぶん、メンバーがどんどん抜けていったことで、余計にバンドがやりたくなったっていうか。それで、トノが退院するまでにベースがいなかったら、このバンドは終わるなって思ったので、ネットで探して。そうしたらユニークな奴が現れたんです。
トノ: さっきの、マクドナルド事件の(笑)。
キクオ: 彼が入ってくれたから、トノが帰ってきた時にバンドをやれる環境が作れたんですよね。
--バンドを結成して、その先の目標があったというよりは、とにかくバンドがやりたかった?
キクオ: そうですね。僕、中三くらいからライヴは見に行っていたんです。HAWAIIAN6がブッキングで出ていた頃から。学校の友達に好きな奴が多くて、ライヴハウスに制服で行っていたんですよね。だから、自然とバンドをやってみたい!っていうのに結び付いたんだと思います。モテたいっていうのもあると思うんですけど、それ以前に、バンドをやっている自分がカッコいいと思っていたのかな。
--その思いは、ある程度の年齢になってもブレなかった?
キクオ: はい。僕、大学を中退しているんですけど、親にバンドをやっていきたいって言ったし、そういうのもあって、出来る限り続けていきたい気持ちは強かったと思います。
--ヴォーカリストとして、歌が好きとか、自分の声が魅力的だとは思ったことはなかったんですか?
キクオ: いや、全然ないです。DRADNATSの前のバンドの時は、自分の声が良いなんて思ってもいなかったし、バンドやりたい! ギターヴォーカルカッコいい!ってそれだけです。DRADNATSも最初は、どっちがメインヴォーカルやるかっていうのも定かじゃなかったと思います。ヤマケンがメインを張る時もあったし。 (↗)
ヤマケン: 曲調によって、自分の声の方が合ったりしたので。でも途中で言われたんです。どっちがメインか決めましょうって。それで、どうぞどうぞって。曲の作り方も、こいつの声に合わせるようになりましたね。
--それが、今の音楽性の土台になったというか。
ヤマケン: そうかもしれないですね。
--バンド名もずっと、DRADNATS?
ヤマケン: 変わっていないです。
--この名前にした時点で、3人の目指しているところが一致していたんだなって想像出来ますけど。
ヤマケン: まあ、好きでしたからね、目標というより。そのバンドがいなかったら、このバンドをやっていないので。
--でも、大胆ですよね!
ヤマケン: いや、当時は(ハイスタは)やっていなかったので、そんなに気にしてなかったです。いいじゃん、ぐらいで。
--ひっくり返すっていうアイディアは?
ヤマケン: ほんとはカッコよく言いたいんですけど……実は、(キクオが)俺らが当時使っていたスタジオの店員だったんですよ。そこの店長が付けてくれました(笑)。
--ナイスアイディアですよね!
キクオ: 何か、迷いなく言われましたよ。「逆にすりゃいいじゃん」って。逆っすか!?って思いましたけど。読み方も、ドラッドナッツって読むようにすればいいんじゃない?って。
--普段から、そういうアドバイスをバンドマンにしてあげてたのかな?
キクオ: いやあ、物静かな、キーボード好きな店長だったんで、そんなんじゃないと思うんですけど(笑)。
--でも、ハイスタは止まっていたとはいえ、ハイスタチルドレンなんて言葉もあったくらい、モロ影響下にいるなって思えるバンドはたくさんいた時期じゃないですか。そういう中で、こういったバンド名にしたことで、何か思うところはなかったんですか?
ヤマケン: そんなに意識がなかったのと、STANDARDを逆にしてハイスタ大好きです!って言っているわりには、曲はハイスタっぽくなかったので。そこが他のバックトゥザ90年代って言っていた子たちとは、ちょっと違うのかな。ハイスタが好きでバンドをはじめて、ハイスタみたいになりたいって掲げているんじゃなく、ハイスタみたいなことをやりたかったんですよ。AIR JAMに出たいんじゃなくって、AIR JAMみたいなことをやりたいっていう。そういう奴らに対して突っ張ってた時期もあったので。同じライヴハウスに出て、つるんでるのがダサいと思っていたし。その温度差はあったかもしれないですね。
--敢えて、まんまハイスタのような曲を作らないようにしようとしていたんですか?
ヤマケン: いや、そういう曲が作れなかったんですよ。声も合わないんですよね。自分のヴォーカルだったら作れたかもしれないんですけど、キクオは綺麗な声をしているんで、そうなってくると、もっと綺麗なメロディの方がのりやすいのかなって。
--突っ張ってた時期っていうのが……ヤマケンさんらしいですね。
ヤマケン: ありましたねえ。同世代に突っ張ってた時期、先輩に突っ張ってた時期、いろいろ俺はあります。昔っからそうでした、中学生くらいから。
--DRADNATSと同世代のメロディックパンクのバンドからも、00年代中盤から後半に掛けて盛り上がりを感じたことがあったんですけど、今は解散したり淘汰されてきているじゃないですか。そういう現状に対しては、どういう思いがありますか?
ヤマケン: 当時はあんまり実感がなくって。そんな際立ってセールスがあったわけでもないし、単純に何百人を集められるレベルで、単体で何千人のレベルのバンドは出ていないので。でも、今となってみれば、盛り上がっていたのかなって思うし、結構みんな辞めちゃったんで、寂しいですよね。続ける続けないは本人たちが決めればいいですけど、気付いたら辞めてんなあって。俺らにとってはライバルが減っていいですけど、仲いい悪いは関係なく、ライヴハウスを盛り上げようとしていた奴らが、いろんな理由で辞めていったのは、寂しいですね。 (↗)
--DRADNATSがここまで続いているのは、やはり結成した時の意識が高かったからですかね。
ヤマケン: それは結果論で、みんなそう思ってはじめたと思うんです。俺らはたまたまこのバンドのために集まりましたけど、幼馴染でやっている奴らとかも、どっかのタイミングで、 バンドで食っていきたいとか、こいつらとずっとやっていきたいとか思うだろうし。俺らが辞めなかったのは、その気持ちを、ありきたりですけど持ち続けていただけで。それが一番難しいと思うんですけど。年は勝手にとるし、生活環境も変わるんで。その違いだけですね。
--みんなが持ち続けられた理由って、何だと思います?
ヤマケン: 多分……他のバンドよりも、ずば抜けてバカですね。
二人:はははははは!
--そんな理由!?(笑)。
ヤマケン: 生きていると、いろいろ情報が入ってきて、いろいろ考えるじゃないですか。ハードコアのバンドを見ていると、土日しかライヴをやっていなくて、普段は家族のために働いていて、週末に自分たちのやりたいことをやりたいようにやるだけでいいんです!って言い切っている人って多いじゃないですか。それを見ていて、本当にカッコいいなって。でも、俺らみたいなジャンルってハイスタがいるんで、ちょっと夢があるんですよ。音楽でご飯を食べるとか、何万人を集めるとか。俺らは、それを未だにガチで信じてます。CDが売れないって言われている時代でも。
--それ、いい話!
ヤマケン: ほんとは、どう考えても趣味でやっているだけの方が楽しいですもん。二人は東京出身ですけど、こいつ(トノ)は九州出身で、わざわざ地元から出てきて、30歳にもなって、バカじゃないと続けていないです!
トノ: そうっすね(笑)。
ヤマケン: DRADNATSで家族を養っているとかでもないし、DRADNATS以外に東京にいる理由がないですからね。でも俺は、もしかしたら、来年から、このメロディックシーンが、ハイスタの時みたいになるんじゃないかなって、毎年毎年思ってます。
--でも、今こうしてPIZZA OF DEATHからKenさんのプロデュースでリリースできるんですから、信じてやり続けるって大切なことじゃないですか。
ヤマケン: 全然目標には到達していないんですけど、続けていればそれなりにあるんだろうなあって思いますよね。
--これは、若い世代にも聞かせたい話だなあ。
ヤマケン: でも、現段階で俺が言っても、まだ説得力がないので、今の言葉に説得力を付けられるように頑張んなきゃなって思っています、今は。
Interview by 高橋美穂
Vol.2.へ続く