『横山健の別に危なくないコラム』
Vol.111
今年の東京の冬は例年に比べて比較的暖かかった。気がする。
とはいえ冬なので、ボクには充分すぎるほど寒かったが。
ボクは寒いのが大嫌いだ。心の底から嫌いだ。しかし夏にはできないオシャレをできるから、それを楽しんでいる。ウソ。30年ほど同じカッコしてるボクが、そんな楽しみ方をするわけがない。実は、少し寒くなってきて初めて革ジャンを着る、そういった時なんかは少しワクワクはする。それは本当だ。しかしそれも一週間を待たずに飽きる。
ボクにとって「寒さ」とは迷惑以外の何物でもない。しかし「寒さを商売にしている方だっているんだし……」と自分に言い聞かせている。これも本当だ。「農家の方々だって冬の寒さがなければ不都合なことがあるでしょ」、むしろそれくらいデカい考えをしないと、とてもじゃないがこんなもんには耐えられない。
2月の末に急に暖かくなり、3月に入るといきなり最高気温が20℃を超えた日があった。段階というものはないのか。個人的には当然「このままの気温が続いて欲しい」と思ったが、そうは問屋が卸さないことも分かってはいた。日本の春は「三寒四温」と言われ、寒い日が三日くらい続いて暖かい日が四日くらい続く、これを繰り返して少しずつ……なんかこれ前に書いたことある。
そんな柔らかくて素敵な言葉の響きとは裏腹に、東京に雪が降りやがった。20℃超えの数日後に。しかも3回ほど。ボクは頭がおかしくなりそうだった。自分はいい。ボクはいいのだ。頭がおかしくなりそうなほど心配なのは、庭に植えてある植物たちだ。数日の暖かさで、春が来たと勘違いして、少し新しい葉っぱを出し始めたものもいる。そいつらのことをよくも裏切ってくれたな。まぁ百歩譲って、それもいい。数日のガマンだ。少しだけ止まっておけば済む。暖かくなるにつれて、心の傷も癒えることだろう。
しかし中にはそれで済まないものもいる。オーガスタやバショウ(バナナ)といった、大きな葉っぱ連中だ。ある程度の耐寒性は持ち合わせているので、寒さはさほど問題ではない。問題は雪だ。雪の重さだ。葉っぱの上に雪が積もると、少量に見えてもなかなか重い。葉の面積も広い分重い。その重さで葉が根元から折れてしまう。折れてしまうと暖かくなってもしばらくはリカバリーの時間が必要になり、立派な葉っぱが数枚ついたと思った頃にはもう秋の気配だ。そして冬が来て、また雪が降って、同じ事の繰り返しじゃないか。オーガスタやバショウの気持ちを考えると、とても胸が苦しい。
昨年は一晩でかなり迷惑な量の雪が降り、オーガスタが葉っぱ一枚を残して全て折れるという憂き目にあった。それが昨年中になんとか復活をしたのだ。先日は1cmほどの積雪で済んだことに加えて、恐れ知らずのボクが夜中に葉に積もった雪を払い落としてみせた。恐らくダメージはさほどないと思う。真の男は、自分の危険など考えない。
ボクのアルバムに一枚の写真がある。おそらくボクが小学校低学年の頃で、その写真は大雪の中で撮られたものだ。住んでいた家の前に大きな駐車場があった。東京にしては珍しく大雪が降り、その駐車場で近所の同じ年頃の友達と数人で雪遊びをしているところが写っている。その写真が撮られた日のことはよく覚えている。いまだに雪が降るたびにその日の情景を思い出すくらい、よく覚えている。そして「子どもにとっては雪って楽しいんだよなぁ」なんて、少しノスタルジックな気分になるのだ。
雪が降る中での集合写真があるのだが……そこにはボクの母親も含め、子ども達のお母さん達も写っている。「これは誰のお母さんで、これはこの子のお母さん」、全員覚えている。ボクが小学校低学年ってことは母は三十代半ば、他の子のお母さん達の年齢もそんなに違わないだろう。どのお母さんも優しそうで幸せそうな、朗らかな笑顔で写真に収まっている。
しかし何かがおかしい。何かが引っかかる。その正体を見つけてしまった。約50年もの間、ずっと見落とし続けていた恐ろしいポイントに気がついてしまった……自分に置き換えた時に「この状況で笑えるか!?」、子どもの腰くらいまで積もった雪の中で、完全に停止したであろう首都機能の中で、ボクだったら笑えるか?絶対に笑えない。仮に子どもが雪ではしゃいだとしよう。今の時代はスマホもあるから、そのはしゃぐ姿を写真に収めておこう、それくらいのことはするかもしれない。しかしスマホはおろかデジカメもない時代、誰かが家からわざわざカメラを持って出たのだ。その時点ですでにおかしい。そして誰が撮ったかわからないが、何年に一度かの東京の大雪の中で、朗らかな笑顔をたたえて写真に収まる……正気の沙汰とは思えなくなった。お母さん達の朗らかな笑顔も「狂気の笑顔」だったのだ。子ども達が笑ってるのはわかる。そりゃ楽しい。ボクもお腹にギッシリと雪を詰めて、巨大化した上半身を見せ、友達をドカンドカンいわせたもんだ。子どもは楽しくて当たり前。しかし、良い大人が笑うのはおかしいだろう。みんな気が狂っていたんだ。ボクの母親も狂っていたんだ。
繰り返すが、ボクはこの日のことをよく覚えている。お腹に雪なんか詰めたもんだから、翌日しっかり風邪をひいて発熱したことも覚えている。ボクが親なら、そうなることくらい予想がつくので、絶対にさせない。しかしお母さん達は誰も止めなかった。それどころか、「健ちゃんったら、もう!」なんつって、他の子ども達と一緒にバカウケしてた。自分の子にもさせたがった記憶すらある。みんな狂ってる。ボクの母親はバカウケしている息子を見て、なんなら誇らしく思っていた、まである。狂ってる。
Ken Yokoyama はずいぶん北海道に行っていない。おそらく5~6年行っていない。理由は明快、寒いからだ。これも本当だ。なので寒くない時期なら行きたい。時々「北海道が嫌いなんですか?」と訊かれるが、そんなわけはない。毎年「北海道行こうよ!」と言い出す頃には、寒くない時期の会場のスケジュールは埋まっていて、「そんじゃあまた来年を狙おう」、そして逃すを繰り返している。以前は寒い時期でも厭わずに行っていた。しかしもう嫌になったのだ。
北海道のハードコアバンド SLANG の KO ちゃんが毎年12月に ZEPP札幌で開催していた「POWER STOCK」というイベントがあったのだが、それには毎年出演していた。札幌の凍結したツルッツルの道を、毎年歩いていたのだ。あぁ、思い出すと冬の札幌も、そこにしかない趣があった。寒さなど構わず行きたくなるが、毎年お約束のように来たことを後悔していたのだから、やはり慎重に。すすきののお姉ちゃん達の「雪の中でもミニスカート」という天晴なる姿に懐かしさも覚えるが、感傷に突き動かされるのは学ばざる者の所業だと言えよう。
しかし POWER STOCK はなぜわざわざ12月に開催していたのだろうか……?雪が降っているに決まっている。
やはり一度、北海道の新千歳空港が大雪で、着陸できなかったことがあった。翌日に行けたので事なきを得たが、翌日も同じく大雪だったら……?そういえばその年、他のバンド達はどうしてたんだろう……?陸路で行ってたのだろうか……?
その年の北海道行きの飛行機に、ボクは乗機するなり離陸を待たずに寝てしまった。疲れていたのか、めちゃくちゃ深く寝た。目を覚ましたら、飛行機は着陸していて、乗客は全員降りるのを待っていた。隣に座っていたミナミちゃんに「着いたの?」と聞くと、ミナミちゃんは「着きましたよ……羽田に」、ミナミちゃんはたまにどうでもいいウソをつく。ウソというか、すぐにわかる冗談。彼独自のノリがある。まるで子どもだ。「思い切ってつまんないこと言うなぁ」、これがその時のボクの素直なミナミちゃん評だ。ところがボクが状況を把握するまでに、長い時間はかからなかった。「”当機は雪のために着陸できず、新千歳空港の上空を旋回し、羽田に戻りました”」、本気でバカなんじゃなかろうかと思った。ミナミちゃん、つまんないなんて思ってごめん。つまんないのはこの飛行機の方だわ。なにが悲しくてわざわざ羽田に戻ったのか?新千歳の近場でどっか着陸できるとこ、あったんじゃないのか?青森でも秋田でも良かったじゃないか?少なくとも羽田よりはマシじゃないか?上空で旋回して帰ってくるって、帰り道にズボンの中にウンコ漏らして、その場でパンツ捨ててきゃいいものを、わざわざ家に帰ってクソまみれのパンツ捨てるようなもんではないか?
しょうがないので、ボク達一行は翌日改めて羽田に集合することにし、いったんそれぞれの家に帰った。Jun ちゃんだけは家がかなり遠いので、蒲田のカプセルホテルに泊まった。ちなみに蒲田という街は羽田の隣町で、治安は褒められたものではない。Jun ちゃんの住んでいる街(八王子)の治安も褒められたもんじゃないので、馴染むんじゃないだろうか。翌日 Jun ちゃんから聞いたのだが……カプセルホテルのチェックアウト時間は早く、羽田での再集合まで何時間かつぶさねばならなくなったらしい。Jun ちゃんは蒲田の公園のベンチで暇つぶしすることにした。そこに汚いオッサンが寄ってきて「新入りか?」、そう言うと、一方向を指し「あっちの方に良い段ボールあるぞ」と教えてくれたらしい。
ここまで数時間でガーッと書いた。「寒いのが嫌いだ」ということから書き出し、気の向くままに書き進めたらこんなことになった。これはこれで楽しい。
ボクは長年「ギター・マガジン」というギター誌にコラムを書いていた。先日連載を止めてしまったのだが、十数年も月一で書いていた。実は今回のこのコラムの書き進め方は、ギター・マガジン誌での連載時に獲得した手法だ。文字数も2000字前後と指定されていたし、ギターの専門誌だからテーマも自ずと絞られる。盆栽の専門誌に鉄道のことを書いてはいけない。「最低限この件にだけは触れておきたい」というテーマが毎月あり……例えば新しいギターを買ったならその件について、あるギタリストと会話したならその件については触れよう、ということだ。その件が出発点なのか着地点なのかは特に決めず、突然関係のないことなども書きつつ、気が向くままに書いていた。なので楽しくはあったが、文章に特筆すべき内容がない月もあった。
このコラムは違う。締め切りもないわけだし、自分の中で書きたいと思ったテーマが3つ、あるいは4つ程度あり、なるべくそこから大きくブレないように真面目に書く。文字数の制限もないので、トコトン書く。これをスタイルとしてきたつもりだ。なのでこちらのコラムの方が熱量も高いし、内容も濃い。ノーギャラなのに、だ。
両方を愛読してれていた奇特な方なら、そのスタイルの違い、ボクの言わんとしていることを理解してもらえるだろう。
ギャラといえば、ギター・マガジンの連載ではギャラは発生していた。とはいえ、ほんの少額、雀の涙程度と言って良い額だ。いや、ギャラが雀の涙程度などと、仕事をいただく側が言うべきことではない。こういうことは依頼する側が言って初めて成立することだ。自分でバカと言うのは良いが、他人にバカと言われると腹が立つのと同じだ。これは良くない。
ボクは書くことを楽しんでいた。ギター・マガジン用の文章の書き方も確立させた。月一という決まりは時にはハードではあったが「電気代くらいこれで稼ぐぜ!」という気持ちで取り組んだ。ボクの仕事は、ほとんどを自分で発想する。なので「やらなければいけない」と取り組む仕事はレアで、労働者としての健全さを保つ意味でも貴重である。そんな思いを抱いて、ギャラをいただきながらやっていたが、近年は誰にも読まれていないということにいい加減気づき始めた。そうなると雀の涙すらいただくことが申し訳なく思えてくる。そんな経緯で連載を止めた。
実際、雀の涙は電気代の何分の一にしかならなかった。ボクが充電式であることもあり、横山家の電気代は高い。
またここまで書いて気がついたのだが、このコラムの書き方、自分が何を考えているかを自問自答しながらグッと掘り下げ、文字にする。これはある種のセラピーに近い行為だ。人間はいろんなことを考える。よく紐解いていけば「自分はこんなことを考えていたのか」、「自分の中での矛盾が発生していたに気が付かなかった」など、思わぬ発見や作用がある。文章化すること、あるいは言語化することは、自分の思考を明快にする上で、さらには他者との関わりを避けて通れない社会生活を送る上で、非常に大事なことなので……なんかこの感じも20年ほど前に書いた気がする。
しかし「寒いのが嫌だ」からここまで話を展開させること、これもなかなかのテクニックと言えるかもしれない。しかも大事な内容はほとんど無く。人間はいくつになっても、進化しようと思えばできることを、いみじくも身を以て証明しているとも言える。ボクって尊い。
寒さに話を戻せば、この冬に限らず、東京はここ数年暖冬傾向にある。ボクは若い頃から防寒肌着を愛用して寒さから身を守っていた。ヒートテック出現以降は上下セットを10組ほど揃え、冬場の長めのツアーでもそこまで寒い思いをしなくて済んだ。それがコロナ以降、必要なくなったのだ。
バンドのメンバーとよく雑談するのだが……メンバーはみんな「健はちょっと寒くなるとヒートテック」という強烈な残像を、ボクに対して持っている。毎年少し肌寒くなった時期に、ミナミちゃんに訊かれる。「もうヒートテックは着用し始めたのか?」、ここ数年のその問いに対する答えは「No」だ。一回も着なくなった。必要なくなったのだ。ボクにとってはここ数年の冬はそれくらい暖かい。しかしミナミちゃんは防寒肌着を着ている。そして「それほどの寒さじゃない」と主張するボクに、こう言うのだ。「あ……健さんは太ったからね、そりゃ寒くないでしょ」、近年この会話を繰り返している。
そうなのだ、ものすごく太った。7~8年前から比べると15kgは増量しているだろう。Tシャツのサイズも M から L に変わった。気に入っていた Tシャツは着れなくなり、全て買い換えを余儀なくされている。それくらい太った。確かに「太ったから寒くない」というのは案外本当のことかもしれない。脂肪を身につけることが防寒対策上もっとも有効な策だとするならば、太ることも悪いことではない。見栄えは決して良くはないが、防寒機能性には代えられない。
そもそも50代半ばでもあるし、気を抜くと太る。気を抜くということは、節制をしなければ、ということだ。節制、これもまた大嫌いだ。病気になってしまったらマズいが、太ることを気にかけて節制するなんて、ボクは嫌だ。人前に出る仕事なので最低限のラインというものはあろうが、しかし腹が出たギタリストの姿なんかは前から結構好きだ。ギタリストに限らず、アメリカなどのお父さんで、Tシャツに浮き出た乳首に酒と暴飲暴食で出た腹、頭は生え際後退、そういった姿には憧れすらある。
ボクと大して年の変わらないあるシンガーが「太っていくロックアーティストとかいるが、ああはなりたくない」と自身の美意識の高さを表明したという。ボクは太っていくロッカー、カッコ良いと思うが。人間味があって良いと思う。太って劣化したと揶揄されるロックンローラーを見て「ご飯が美味しすぎたのかな?酒かな?」とか「そうなる体質だったのかな?」と想像を巡らすのはアカデミックなことだ。
もっとも美意識なんてものは人それぞれだ。先のシンガーが「ああはなりたくない」と思っているのは、それはとても結構なことだ。今時「そういった発言はルッキズムがどうこう」と言われることも多いが、そんなもん本人の勝手だ。
「ボクが皆さんに言いたいのは、おもしろいもので「ロックンローラーにもいろんなタイプがいるよー」ということだ。
太って良いことばかりではない。ボクは乳首を痛めた。近年よくオーバーオールを着用するのだが、その肩紐が乳首にこすれて乳首を痛めたのだ。つまりどういうことかと言うと、胸が大きくなったのだ。おっぱいだ。おっぱいがおおきくなると、当然乳首は前にせり出す。それが肩紐にこすれるのだ。
我が家の愛犬「ちち丸」がもう5才。名前の由来はボクにおっぱいができたからなのだが……そう考えると5年以上前から立派な乳保有者であったのだが、ここ数年の発達は以前に比べて目覚ましい。なんなら前にせり出すだけでなく横にも広がり、貧乳の皆さんが悔しがるような「横乳」すら手に入れつつある。もはや「美乳」とも呼べるかもしれない。こればっかりは分けてあげたくとも無理だ。ボクだってできることなら分けてあげたい。
とにかくオーバーオールを着用していない時でも、乳首がヒリヒリする。特に寒いと乳首が勃つのは皆さんも御存知の通り。そうなるとヒリヒリと痛い。そんな時にギターのストラップがヒットしようもんなら……さすがにこれは太ったことの弊害だと認識せざるを得ない。ブラジャーとは考えたものだ。しかしただの布切れだと乳首は守れない。だってボクは別に裸でオーバーオールを着ているわけではない。つまりTシャツ越しでも乳首は傷つく。なのでもっと言うと、ブラジャーというより「パッド」だ。パッドが優秀なのだ。おっぱいの形を大きく見せるだけではない、女性の乳首を外敵から守っているのだ。
ちなみに聞いた話によると、男性が慣れていない長距離走をすると、乳首を痛めることがあるらしい。ゴールする頃にはランニングシャツの乳首のあたりに血が滲んでる人もいるとか。充分理解できる話だ。これを逆説的に考えると……オリンピックや世界陸上で、そんなシーンは見たことない。つまり若い頃からランニングをしているトップランナー達の乳首は「慣れている」ということにはならないだろうか?さらに考えを押し進めると「乳首は鍛えられる」ということではなかろうか?
そこへの興味は尽きないのだが、話は変わって、ボクは以前ライブでよくストリップを披露していた。バンドにブルースを演奏してもらって、ボクは少しずつ脱いでいくのだ。脱ぐアーティストは、特にパンクバンドには少なくない。衝動がそうさせるのだ。しかしボクのストリップは「衝動」などというカッコ良いものではない。ロックの原風景としての「しょうもなさ」への憧憬の発露だ。
いまこの太った状態のボクは「見せ時」のような気がしている。絶対にみっともなくて、おもしろいと思う。ものすごく演りたい。10年前はフェスでも演っていたのに……えっくんが加入して以降、2019年から演れていない。これには理由があって……実はえっくんがブルースを叩けないのだ。「そんなの覚えりゃ簡単にできるでしょ?」そう思われると思う。そりゃあれほどの腕前を持つえっくんが、パターンを覚えて回数を覚えて叩く、当然そんくらいできるに決まっている。しかしそれではブルースとは呼べない。形式的にはブルースであったとしても、それじゃあ横山は脱げない。
ボクのみっともない体は出る場所を求めている。しかしおそらく次に脱ぐ機会があるとするなら、それは「えっくんの心にブルースが宿った時」であろう。
とにかく春の訪れを待つ。
2025.03.19